りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その23-③ 興津~

2016-12-14 10:00:00 | 旧東海道散歩
清見寺からほどなく、平成16年に復元された「坐漁荘」があります。無料で一般開放されていて、ボランティアの男性が館内を詳しく説明をして下さいました。


坐漁荘は明治~昭和の政治家である西園寺公望(さいおんじきんもち)の住宅でした。
70歳の時「この後の人生はのんびりと魚釣りでもして過ごすつもり」で「坐漁荘」が建てられましたが・・・当時は激動する日本。最後の元老(昭和初期まで政務の決定や後継首相の決定などにあずかって力のあった老臣)の助言を求め政治家の「興津の坐漁荘詣」が頻繁に行われたそうです。(だから近くの一碧楼水口屋に多くの政治家が宿泊したのですね。wink
92歳で亡くなった時の最後の言葉は「いったいこの国をどこへもってゆくのや」・・・終生、政治家だったのですね。

horori「坐漁荘…と言っても海は見えないのですね」 
smile「海のこと・・・聞いちゃいます?」

今はこのような2階からの景色ですが・・・


当時は目の前はすぐ海だったのだそうです。

niko遠くに三保の松原が写っています。

smile「子供の頃は海水浴を楽しんだものだよ」
…と海が埋め立てられた当時の様子を話して下さいました。

smile「よく見ると、ビルとビルの間に三保の松原が見えるよ」

niko確かにかすかに見えます!教えて頂かなければ気がつきませんでした!

坐漁荘で薦められたので、旧東海道から少し離れた「廬崎(いおざき)神社」に立ち寄りました。


再び旧東海道を進みます。自動販売機のラッピング広告はこの辺りのソウルフード「もつカレー」。


通りがかった東光寺の山門には・・・
「たらちねの 母がなりたる 母星(ははぼし)の 
子を思う光 われをてらせり」  正岡子規

何故かこの日は、この句に強く惹かれました。

庵原(いはら)川を渡ります。

wink26歳の若かりし清水次郎長が、ここで喧嘩の仲裁をし男を上げた・・・という場所です。

旧東海道松並木の松が1本だけ残っていました。


「延命地蔵」の前を通り・・・


「木嶋こうじ店」

坐漁荘で「冷たい甘酒が飲めるよ・・・」と教えて頂いたのですが、この日は甘酒の素しかない様子・・・珍しい「みそぷりん」を購入しました。白みそが入っている、少ししょっぱいプリンでした。

さらに旧東海道を進みます。

(つづく)

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