りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その2 増上寺~

2015-02-11 21:00:00 | 旧東海道散歩
この日の夜は銀座で食事の予定があったので・・・その前に少しだけ散歩。

大門駅から出発して、第一京浜沿いを歩きます。



日本橋から1里(約4km)の「金杉橋」に到着。まだ1里って…先が思いやられます。

上には首都高が通っていて、屋形船や釣り船がスタンバイしていました。
昔はここまでがいわゆる「江戸」でした。品川あたりは郊外。
ですから京都から江戸に来た人はこの「金杉橋」に到着してやっと「江戸だ~!」と実感できたそうです。

歌川広重の「金杉橋海」

この絵の中で橋の欄干はわずかに描かれているだけ。それだけ橋の上は人々で大渋滞・・・ということでしょうか。
ここは有数の漁村で、江戸前の魚が獲れました。
落語に詳しくない私でも知っている名作「芝浜」の魚屋勝五郎はここの住人です。

さらに第一京浜沿いを歩いて西郷隆盛・勝海舟会見の地

慶応4年(1868)3月14日 西郷隆盛と勝海舟はこの高輪の薩摩下屋敷で会談しました。江戸総攻撃予定の前日、ギリギリに攻撃中止、江戸城無血開城が決まったのです。

西郷隆盛、勝海舟会見の図


後に勝海舟は、西南戦争で西郷隆盛が亡くなった後、西郷隆盛が明治新政府から賊軍扱いされたことを悼んで、西郷隆盛留魂碑を建てたそうです。かつて敵同士だった二人…その後の素敵な関係が偲ばれます。


三田を通過し、札の辻交差点。

ここは高札場(基本的な法令を書き記した木の板を掲示した場所)でした。
時代劇で「生類憐みの令」が発せられた時に必ず登場するあの場所です。
忠臣蔵の赤穂浪士も泉岳寺へ向かう道中、この場所を通ったそうです。


高輪大木戸跡


かつては幅7.2m、高さ3m、長さ9mの石垣が両側にあり、その間に門と柵が設置されていました。

歌川広重 佐野喜東都名所「高輪之図」


旧東海道から江戸府内の入口として、治安維持や交通規制の役割があった場所で、日の出から日の入りの時刻くらいまで開門していたようです。
有名な唄、「お江戸日本橋七つ立ち 初のぼり 行列そろえてあれわいさのさ こちゃ高輪夜明けの提灯消す こちゃえ」
つまり朝4時ころ日本橋を出ると夜明けくらいに高輪に到着。するとちょうど大木戸が開門して通過できたわけですね。


その後も第一京浜沿いを歩いて・・・・



品川駅に到着。


大門から品川駅まで5904歩の散歩でした。

(2014.11.15)
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