国道8号線に戻ると・・・魅力的なお店「俺のカレー食堂」
ですが、今回は立ち寄らず右側の脇道に入ります。
公園の奥に「明治天皇聖蹟の碑」
😀 1878年(明治11年)北陸巡行の帰りにこの場所で休息したそうです。
再び国道8号線に合流すると・・・
「源義経元服の地」がありました。
京の鞍馬で暮らしていた牛若丸(後の義経)は、源氏再興を志し、鞍馬を抜け出しました。奥州下向の途中、鏡宿(かがみのしゅく)に宿泊した時、平家の追手が、稚児姿の牛若丸を探していると聞き、夜、元服することを決意します。
「元服の池の碑」
😀 鏡池の石清水を使い前髪を落とし、侍姿の自身を池の水に映したと云われています。
ということは・・・自身が元服した場所のすぐ近くで、平宗盛親子を処刑したということですね😬
「道の駅竜王かがみの里」で休憩。
歩道橋を渡り・・・
「鏡神社」へ。
鏡神社参道口に「源義経烏帽子掛けの松」がありました。
池で元服した牛若丸は、この松に烏帽子を掛け鏡神社へ参拝し、(成人した名を付ける烏帽子親もいないため)自ら「源九郎義経」と名乗りを上げ、源氏の再興と武運長久を祈願したそうです。
鏡宿は、古代から室町時代まで京都と関東、東北を結ぶ東山道の宿場町として発展しました。江戸時代に中山道が整備されると正式な宿場に認定されず、賑わいは無くなりましたが、守山宿と武佐宿の間の宿として本陣と脇本陣が設置されました。
「旅籠加賀屋跡」
「林惣右衛門則之本陣跡」
😀 紀州侯の定宿で、皇女和宮も休息で利用したそうです。
明治時代は駐在所でした。
「源義経宿泊の館跡碑」
😀 義経は、宿駅の長(おさ)であった澤弥伝(さわやでん)の旅籠「白木屋」に泊まりました。
1874年(明治7年)開設された「鏡郵便取扱所跡」
「大願寺」には・・・
明治時代、徳化学校が開設されました。
「旅籠枡屋跡」
「真照寺」
😀 万葉集の女流歌人額田王(ぬかたのおおきみ)の父、鏡王(かがみにおおきみ)が眠るお寺です。
「旅籠吉田屋跡」
(つづく)