野洲川橋北詰交差点を渡ると・・・
「十輪院」
😀 1657年(明暦3年)に開かれたお堂で、当時は野洲川のほとりにあったそうです。夜、旅人が迷わないように、境内には常夜燈が設けられていました。
境内には芭蕉の句碑がありました。
😀 「野洲川や身は安からぬ さらしうす」
(野洲川の近くで晒しの作業をやっているが、大変な重労働なことよ)
江戸時代、野洲は「晒し(さらし)」で有名だったそうです。晒しは、木綿や麻を煮て臼でつき、水に晒すという繰り返しの作業で、大変重労働でした。
しかし、この句も芭蕉の存疑句です。心なしか芭蕉の句のどれもこれも、存疑句に思えてきます
十輪院の向かいには「石仏石塔群」
野洲市コミュニティバス「おのりやす」のバス停・・・ ネーミングがgood でも1日5本😅
JR東海道本線ガード下を通過すると・・・
「宇野酒造」・・・清酒「玉の春」、純米酒「悠紀」の蔵元です。
😏 守山の宇野家のご親戚でしょうか?
「四ツ家八幡神社」
😀 平安中期、奥州征討に向かう源頼義(源頼朝の祖先)は、野洲で佐々木軍およそ400騎の加勢を得ました。頼義は京の石清水八幡宮(源氏の氏神)を篤く信仰していたので、この加勢をを神慮と喜び、この場所に八幡宮を祀ったそうです。ちなみに、京の石清水八幡宮を鎌倉の由比に勧請したのが、鶴岡八幡宮の始まりです。
「蓮照寺」
「唯心寺」
正面に近江富士(三上山)が見えました。
鎌倉時代に建立された「背くらべ地蔵」
当時は乳幼児が育ちにくかったので、親は「我が子もこの背の低いお地蔵さんくらいになれば、後は良く育つ」と背くらべさせたそうです。
「朝鮮人街道追分」
😀 右は中山道、左は朝鮮人街道。朝鮮人街道は、近江八幡~安土~彦根~鳥居本を通り、再び中山道に合流します。
「野洲小学校」
😀 瓦屋根の塀が素敵です。
「外和木(そとわぎ)の標碑」
😀 先程通過した追分の地名が「小篠原字外和木」だったそうです。
「おばあちゃんと孫」の飛び出し人形。
「JR野洲駅」に到着!
2023年11月4日8時5分~16時40分
29216歩の旅でした😄
29216歩の旅でした😄
JR野洲駅からJR草津駅へ戻り・・・
「肉酒場モダンミール」で夕食。
😀 お腹いっぱい・・・美味しかったです。