リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

295. 17回目のドイツ旅行(23) 久しぶりに見たフリーデルの笑顔

2023年02月06日 | 旅行

▶今日はローテンブルク経由でクレークリンゲンに向かいます。



気になっていたユダの足下
 聖ヤコブ ルター派教会(教会・修道院㉓)(緑) 「聖血の祭壇」1501.04.15~1504/1505


▶ユダの鍵の謎

 ローテンブルクにも15回目の訪問となる今日の目的は、ユダの足下の研究でした。町の中央に立つ聖ヤコブ ルター派教会(以下聖ヤコブ教会 教会・修道院㉓)の「聖血の祭壇」の話です。この祭壇の中央に設置されている最後の晩餐の彫刻では、キリストが裏切り者のユダに厳しい目を向けている様子や、それぞれの弟子たちの驚く表情、慌てて何か言い合っている様子、ユダの服の詳細な彫りなどを主に撮影してきました。
 けれども、故ヨハネス・ペッチュ氏(以下ヨハネス ブッフ・アム・ヴァルトに住んでいたアマチュア写真家)がこのユダを取り外すという「ユダの鍵」を撮影しているのです。何のための鍵なのかずっと気になっていました。そして教会の壁には下のような比較のための写真が貼られているのです。左側がユダを取り外したところで、右側が普段私たちが見ている構図、ユダが前面の中心に立っている写真です。



(上)中央のユダを取り外した写真と設置してある写真 (下)ヨハネスが写したユダの鍵の写真


 この写真は以前から見ていましたが、やはりこうしてよく見較べてみると、素材となる木材の幅が短く、リーメンシュナイダーは見る人にもっと長い机をイメージして欲しくて中央のつなぎ目を隠したかったのではないか、そのためにユダを前面に立たせる構図を考え、却ってその構図がドラマを引き立てる効果を出したということではないだろうかと思えます。けれども他の彫刻はある程度群れで彫られていて安定して立っていますが、ユダだけ単体でこの位置に立てるとどうも危なっかしい。だから床にしっかり止める方法を考えてこのようにしたのではないでしょうか。
 でもそれならなぜこの鍵は作られたのでしょう。なぜユダを外せるようにしたのでしょう。将来修理が必要になったりしたときのためでしょうか? それとも奥行のある机の下を年に一度掃除するときのためなのでしょうか? いやいや、どれも凡庸すぎますね。しっかり止めたままでも良さそうなものなのに…。やはり鍵の謎は解けないままです。
  
 ただ、鍵をどこからどうやって開けたのかという謎は今回細部を写してやや解けてきました。トップの写真を見ると、左手前に何やらとがった金具が見えています。その延長上にどうやらユダの右足があるようです。黄色い矢印を付けた上に、手前の金具と同じような小さな小さな金具が見えています。手前の金属部分のどこかを例の鍵であけるとユダの右足の裏を止めているこの小さな金具がはずれるのではないでしょうか。その鍵穴を見付けてみたいものです。それにはもっと身長が必要なのですが。

 それにしても今までこの飛び出した金具自体に気が付かなかったのはなぜなのだろうと不思議になり、以前写したこの祭壇の写真を見てみたところ、ほとんどが正面からの写真で、真正面からだとまったく金具には見えなかったことがわかりました。斜め下から写したから飛び出している取っ手のような金具だとわかったのでした。今後も行く度に少しずつ謎に迫ってみたいと思っています。
 


▶今日はローテンブルクからブッフ・アム・ヴァルトを経由してクレークリンゲンに向かいます。

 いきなり「聖血の祭壇」の話に入ってしまいましたが、今日はなかなか忙しいのです。最初にローテンブルクに行き、そこからブッフ・アム・ヴァルトに回り、最後はクレークリンゲンのラインハルト家に泊まらせていただくのです。今日はそのバタバタ日記になります。


◆2022年9月24日(土曜日)6710歩
 ホテル・レギーナをチェックアウトしたときもオーナーが駆け寄ってきてトランクを階段下まで下ろしてくれました。「来年(今年のことです)また来ます」と心の中で感謝しながら、ヴュルツブルク中央駅へ。

 今日の最初の目的地はローテンブルクです。上記の「聖血の祭壇」を見に行くためです。ただ、悩みは大きなトランクでした。ローテンブルク駅から町までは10分ぐらい歩かなければなりません。コインロッカーがあればと思いましたが、この日の宿を提供してくださったイングリッドとヴォルフガング・ラインハルト夫妻が探してくれたものの、コインロッカーのボックスはあるけど機能していないのだそうです。そこで前夜三津夫に相談しました。
「何度も行っている聖ヤコブ教会なのだけれど、あと少しだけ撮影したい箇所があるので急いで行ってくるから駅で荷物を持って待っていてもらえないかしら」
と。でも嫌な顔をして断られました。当たり前ですよね。気持ちはよくわかります。それなら仕方がないのでトランクを持って教会まで歩くしかありません。

 翌朝は歩く覚悟を決めて列車に乗り、10時51分にローテンブルクに到着。そうしたら三津夫が駅でトランクを見ていてくれるというのです。ありがとう! そんなわけで、何時になるかわからないのでラインハルト家には用事が済んだら電話を入れると約束してありました。彼女たちの家から車で迎えに来てくれるという本当にありがたい友人夫妻です。

 すぐに聖ヤコブ教会(教会・修道院㉓)に小走りで出かけました。教会に入り、祭壇のある2階に急いで上がるとあいにくツアー客が祭壇前のベンチに座ってガイドさんの説明を受けていました。祭壇があるのは小さな合唱隊席なので大変狭く、なかなか正面から撮影ができません。最初に奥の壁に掛かっていた「ユダがある時とない時との比較写真」をもう一度写しましたが、曲がっています。私は元々四角いものを正面から写すのはどうも苦手で仕方がないのですが。
 まだガイドさんの説明が続きます。そこで左側から上部に立つマリアを写したり、裏側から天辺に近いキリストの背中を写したり、真横から祭壇の横幅の薄さを写してみたりするうちにやっとツアーの人々は階下へ下りていきました。すわっとばかりに急ぎ写したのがトップの写真です。次の人たちが来るとなかなか良いアングルを見つけるのが難しいからです。何とか金具の出っ張りを写し、ようやく駅まで戻りました。

 それから駅前のショッピングセンターにある花屋さんに駆け込んで籠入りの花をヨハネスのお墓のために買いました。花束だと後で困ることもあると身に染みたからです。この後ようやく三津夫の元に戻ってお昼を買いました。ケバブ屋さんが駅の横までテーブルとベンチを出していたので、三津夫はここで本を読んだりして待っていてくれたのです。ここのケバブは以前から美味しかったので、お昼用のケバブを注文。飲み物も買って暖かい外で食べました。本当にお待たせしました。

 

▶次はブッフ・アム・ヴァルトのフリーデルを訪ねます。

 食事が済んですぐにクレークリンゲンの丘の上に建つラインハルト家で待っているイングリッドさん(ヴュルツブルクのイングリッドとたまたま同じ名前の方)に電話を入れました。私からの電話があったらヴォルフガングさんと一緒に車で迎えに来てくださることになっていました。そしてすぐにブッフ・アム・ヴァルトのフリーデルにも電話を入れましたが、まだ着く時間がわかりませんので、「また駅を出るときにもう一度電話をちょうだい」と言われました。ラインハルト夫妻の車に乗ってすぐにフリーデルに電話を入れておきました。
 フリーデルは、上記のように私の写真集の出版を推してくれた写真家ヨハネス(故人)のお連れ合いで、7月には90歳のお誕生日を迎えました。2019年にもやはりラインハルト夫妻と一緒にヨハネスのお墓参りに行ったのですが、日程が合わず、フリーデルは出かけていて会えなかったのです。夫妻にとっては2回目のフリーデル訪問で、初顔合わせとなりました。



フリーデル、お世話をしてくれているエリーナさん、フリーデルが切り抜いた記事を持つ三津夫


フリーデルのサンルームにて あと何回会えるかな…


▶フリーデルの笑顔

 フリーデルはヨハネスが2010年に脳梗塞で倒れてことばが話せなくなってから辛い日々を過ごしてきました。ヨハネスとの意思疎通が難しくなって二人ともに笑顔がなくなっていたのです。そして2015年にヨハネスが再び倒れて亡くなった後は電話をかけてもいつも悲しげな声でした。足を痛めて歩きにくくなり、手術を受け、そのリハビリの時期にリトアニアから働きに来ているエリーナさんが泊まり込みでフリーデルの世話をしてくれるようになったのです。その後は手紙でも電話でもとても明るい声になり、今回の訪問時にもケーキや珈琲など準備して待っていてくださいました。上の写真の三津夫とフリーデルの間に座っているのがエリーナさんです。彼女のおかげでフリーデルは昔のように笑顔を取り戻すことができました。この日も初対面のラインハルト夫妻とも笑顔で会話を交わし、住所交換もしていました。たっぷりケーキと珈琲をいただき、広い庭に出ておしゃべりをしました。お天気が良く、暖かな思い出の時間を持つことができたのを本当に嬉しく思います。

 さて、お墓参りに行こうと思ったら、彼女は毎日のように行っているから今日は行かないとのこと。「お花をどうしましょう?」というとテーブルの上に飾っておきたいとのことでした。ヨハネスに書いてきたカードを渡して、ラインハルト夫妻と4人でお墓参りをしてきました。これで大事な友だち3人のお墓参りの旅は終わりました。


「ヨハネス、フリーデルが笑顔で過ごせるようになって良かったわね」とご挨拶。


▶クレークリンゲンではラインハルト家に2晩お世話になります。

 2016年の旅で知り合ったラインハルト夫妻は、以前から「今度クレークリンゲンに来たら我が家に泊まりなさい」と言ってくださっていましたので、今回ご都合を伺ってお邪魔することにしました。
 ヨハネスのお墓参りを済ませると、一路夫妻のお宅へ。こちらはクレークリンゲンの町を見下ろせる小高い丘の上の住宅地に建っています。斜面のある広い林がお庭になっていて毎年胡桃もたくさん採れるそうです。その庭の下に息子さんの一家が住んでいて2人のお孫さんが可愛くて仕方がないご様子。コロナ禍ではこんなに近くにいるのになかなか会えないと嘆いていらっしゃいましたが、今はとても明るい笑顔でした。
 いつものように『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』とささやかなお土産をお渡しすると、仲睦まじく肩を寄せて見てくださっていました。日本のお土産の箱はいつも開けるのが勿体ないと言ってくださいます。開けたままの形で包装紙まで保存してあるのです。



一緒に『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』をご覧になるラインハルトご夫妻


 私たちには半地下のお部屋が提供され、専用のトイレ、バスルームを使うことができました。暖かい布団も毛布も用意されていて、サッパリしたお部屋でした。シャワーを浴びるときだけ少しハイツングを入れさせていただきましたが、部屋では暖房を使わずに過ごすことができました。お二人が日本に来ることがあれば我が家の狭い部屋に泊まっていただくつもりです。

 この日の夕食は近くのWein Paradies のレストランへ。ワインがとても美味しいのだと勧められ、普段飲まない私もお相伴にあずかりましたが、確かに美味しい! でも、やはりワインは強いのです。最後にトイレに行くときは足下がふらついていました。でも三津夫は大変気に入ったと喜んでいたら、何とその美味しいワインを1本、お土産だと渡されたのです。本を一冊ずつフリーデルとラインハルト夫妻にお渡しして軽くなったところへ重たいワインが一瓶加わりました。

 そのお勧めのワインがこちらです。

 

 外に出ると吐く息が白くなるぐらい冷え込んでいました。まだ9月ですが、もうドイツは秋も終わりのような寒さです。

 明日は以前から気になっていたクレークリンゲンのヘルゴット教会に寄付を渡す日です。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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