リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

227. 16回目のドイツ旅行(30)ペーター・デル(父)探索の旅、最終日

2020年08月11日 | 旅行

▶ペーター・デル(父)を訪ねてグロースヴェルツハイムとラートハイムへ

 


ゼーリゲンシュタットのバジリカ


◆2019年8月12日(月)この日はペーター・デルの探索の旅、最終日。まずはグロースヴェルツハイムへ。

 私はよくこむら返りを起こします。この日の朝は6時半頃に3回目のこむら返りで仕方なく起床。三津夫も同じ頃に目が覚めて起き出しました。私たちは起床時間がほぼ同じ頃だということ、同じ時代の作家作品に興味があること、グルメを追いかけることは必要なく、質素な食事で満足できることが共通しています。だから旅を共にできるのでしょう。ただ、今回の旅での歩きが足の負担になっているようで、こむら返りはしつこくなってきました。これは三津夫にはないことです。普段バドミントンで鍛えている彼の方が基礎体力があるということですね。私は目を覚ましてゆとりがあると日記をつけます。そうでないと日々の記憶はぐんぐん薄れていき、いつどこに行ったのかがわからなくなってくるからです。写真を見ただけでは教会名もなかなか思い出せないので、極力書き込むようにしています。

 この日はトーマスが乗り換えの多い小さな町への案内を車でしてくれるということで大船に乗った気分でいました。1階に上がるといつものようにルースが生姜湯を飲ませてくれて、新聞を眺めながら声がかかるのを待ちます。トーマスの家では数社から新聞を取っています。でもなかなか読める記事は少なく、写真を眺めるのみです。今日は10時半に出発と聞いていたのでゆっくりと食事を済ませました。

 トーマスの車にはナビももちろんついているのですが、タブレットとスマホも同時進行で駆使します。ただ、ちょっと怖いのは、彼が運転しながらナビを平気で入れていくこと。日本ではしてはいけないことなので、それを見るとどうしてもドキドキしてしまいます。もちろんアオトバーン(ドイツの高速道路)は平気で100キロ超えで走りますから。
 トーマスはまずグロースヴェルツハイムに向かいました。高速道路ですから途中アシャッフェンブルクとかハーナウとか、聞き慣れた地名が次から次へと出てきますが道路に関する土地勘がないので今どの辺まで来ているのかよくわかりません。グーグルアース・プロで測ってみると、トーマスの家から直線距離で24~25キロぐらいのようです。ようやくグロースヴェルツハイムに着きました。町に着いてから教会までが結構わからなくてぐるぐる回ることも多いのですが、今日は聖ボニファティウス教会に一発で到着。ありがたいことです。

 中に入るとペーター・デルの聖母子像(写真・下)がありました。この聖母はひょうたんのような頭の形をしていて、ヘルシュタインにある聖アンナ三体像(ゼルプドリット象)と趣が大分違います。こちらは初期の作品だったのかなと思っていたのですが、よく調べてみると同じ頃に彫られているのです。そしてマリアの服の裾から顔をのぞかせているような(はたまた遊んでいるような?)天使を彫っています。これはハンス・ラインベルガーの聖母子像にわりと多く見られるようです。ペーター・デルはリーメンシュナイダーの工房にいた記録がありますが、その後ハンス・ラインベルガーの工房にもいたと書かれています。そして私たちがこの旅の資料で持ち歩いたカタログに、バイエルン国立博物館のマティアス・ヴェニガーさんが、彼の作品にはハンス・ラインベルガーの影響が大きく、リーメンシュナイダーの影は薄いと書いています。ウィキペディアにもそう書かれていました。



聖母子像 ペーター・デル(父)
 1525頃 グロースヴェルツハイム 聖ボニファティウス教会

◆歴史ある町 ゼーリゲンシュタット

 第2の目的地ラートハイムに向かう前に、トーマスがこのすぐ近くに大きなバジリカ(古代ギリシャ・ローマの公会堂風の教会、ここでは修道院)があるから見ていこうと言ってマイン川の川縁に車を停めました。なるほど対岸にそびえ立つバジリカ(写真トップ)は堂々として素晴らしい景色です。しかし川向こうにどうやってわたるのかなと思っていると小規模なフェリー(いかだ?)が往復していました。渡る時間は正味5~6分でしょうか。着いたゼーリゲンシュタットはなかなか歴史ある町で、紀元100年頃にはローマ軍の歩兵大隊が駐屯する城塞が建てられたそうです。

 ゼーリゲンシュタットは、815年1月11日付けの贈与証明書に、オーバーミュールハイムとして初めて記録されている。この街は、カール大帝の伝記記者であったアインハルトによって創設された。彼は、815年にフランク人入植地 Obermulinheim をルートヴィヒ敬虔王から贈与されると、ここにベネディクト会修道院を創建した。」

と、ウィキペディアには出ています。詳細を知りたい方は「ゼーリゲンシュタット」で検索できますのでご覧ください。

 私たちはここで一休み。入口に向かう間にもニワトリが走り回り、羊まで歩いているというのどかな風景でした。ただ、修道院の中に入るときらびやかな彫刻ばかりで、せっかく連れてきてくれたトーマスに申し訳ないなと思いながら、せめて数枚記念に撮影しておこうとカメラを構えました。

 



バジリカのバルコニーでコーヒータイム

 

◆ちょっと苦労したラートハイム

 帰りのフェリーが昼休みというのはちょっと参りましたが、しばらく待って運航再開。車に戻り、最終目的地ラートハイムへ。ここは町には順調に着いたものの聖ラウレンティウス教会が見当たらず、トーマスがiPhoneでチェックしてもう一つ奥の村だと言ってさらに進みました。ここでようやく聖ラウレンティウス教会があってホッとしたのもつかの間、表示を見るとこの教会で間違いなさそうなのに中には鉄柵があり、それらしい彫刻が見当たりません。「おかしいね」と言っている間にもトーマスは外に出て探索、教会だと思っていた建物の一つ上にある建物が本当の教会だったことがわかりました。やっと拝観できた3体の彫刻を以下に載せておきます。これも同時代の作で、瓢箪型の頭の聖母マリアはグロースヴェルツハイムの聖母マリアとよく似ています。ただ、裾からのぞく天使は彫られていませんでした。なぜなのでしょうね。

 それにしてもトーマスがいなかったら私たちはあきらめていたかもしれません。おかげさまで今回の旅で見たかったペーター・デルの作品拝観率は100%となりました。トーマスに心から感謝! 





上から聖ラウレンティウス、聖母子像、洗礼者ヨハネ
 ペーター・デル(父)1525頃 聖ラウレンティウス教会 ラートハイム

 

◆午後はゆっくりルースと語り合いました。

 機嫌良く帰宅。ルースが野菜スープを出してくれました。今日の成果をルースに語りながらいただくと、トーマスは疲れて休みに行くと言い、2階へ。三津夫も眠いからちょっと下で休んでくると階下に下りていきました。その結果ルースと二人、タブレットで写真を見せながらゆっくりと子どもたち、孫たち、政治や戦争の話など交わし、心の交流を図ることができました。普段なかなかこうしてゆっくり会話するゆとりがないので貴重な時間となりました。知らない間にトーマスはどこかへ外出し、雷雨もあったりして6時頃。ルースが花の水やりをしなくてはと立ち上がって、雨だけでは枯れてしまう花があるとのこと。これだけ広い庭の維持も大変な仕事なのだろうなと思いました。

 夕食はチーズのキッシュにサラダ。三津夫はビールとワインを、私も少しワインを美味しくいただきました。食後はまだ雨が降っていましたが、それでも散歩には行くというのでカーディガンと合羽を羽織って一緒に行きました。これが今年最後の夜の散歩になります。ぐるっと一回りして戻ってくると万歩計は約5000歩となっていました。夜10時頃、お休みなさいと挨拶をして階下に下りました。明日はいよいよ帰国です。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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