リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

54. ニュルンベルク

2017年04月18日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅  No.10


                

    ニュルンベルクの町のスナップ(三津夫撮影)


  ▼ニュルンベルク 10月18日~19日(1泊)
  ◆10月18日(火) 疲れもピーク    8621歩


  今日は朝8時半にチェックアウトをしてニュルンベルクに向かいました。シュタイナハとアンスバッハで乗り換えでした。時間が4分しかなくちょっと気がかりでしたが、トランクは若い男性が持ってくれてスムーズに移動、ダンケ! またそれぞれの列車が少しずつ遅れて来たのでゆとりができ、無事に乗り換えられました。

  ニュルンベルク中央駅に着くと、物陰にラリっているような妖しい雰囲気の男性を多く見かけました。そこに何人かの警察官もいて、これも移民受け入れの結果なのだろうかと気が重くなりました。ホテルに着くと午前中にもかかわらず一部屋だけ確保してくれたので、トランク3つを運び込んでから再び町へ。まだ早いけれど三津夫の要望で先にお昼ご飯を食べようということになり、デパートで学食スタイルの食堂に入りました。自分が食べたいものを選んで取り、その重さで支払うというものです。これはお腹にあった分量で食べられるので助かります。三津夫と二人分で14ユーロでした。

 食後、近くのロレンツ教会でファイトシュトスの「受胎告知」(写真・左下)、アダムクラフトの「秘蹟室」(写真・右下とその下)を見ました。後者は現在修復中で幕が掛かっていて、啓子さんには全容を見てもらえず残念でしたが、この二人の彫刻家はリーメンシュナイダーと同時代に活躍した、いわばライバルでもあります。以前修復前の写真を写してあったので、三津夫はこれらの作家を一緒にまとめて日本で紹介するのが良いのではないかと、しきりに私に誘いをかけるようになりました。旅の最初にはまだまだ3冊目の本を出版する気力が湧かずに聞き流していたのですが、こうしてみてみると、何回も足を運んでリーメンシュナイダーだけではなく他の作家の作品も大分撮影してきたのだなということに思いが至るようになってきたのは事実です。でも、のるかそるかはまだ半々でした。

    

    


                         



  このあとゲルマン国立博物館でリーメンシュナイダーの弟子、ペーター・デル(父)の作品を一つ探しながら回りましたが、結局見付けることはできませんでした。私は足首の痛みが限界に達していたのでホテルに戻ることにしました。啓子さんと三津夫はそれぞれマルクト広場やデューラーハウスまで行ってから別行動となり、啓子さんはお孫さんの列車を探してあちらこちら歩き回って、おもちゃ博物館がとても楽しかったそうです。
 私たちの部屋の鍵は開きにくく、何度も受付まで往復しなければなりませんでしたが、その都度若い女性のスタッフに嫌な顔をされ、最後に彼女自身がやってみても本当にうまく開けられないことがわかるまでとてもつんけんされました。駅から近い割に安くて便利なのですけれども、こんなに嫌な顔をされたのは初めてで残念でした。鍵は力づくで開けられるものではなく、少し引き加減、押し加減、上に持ち上げたり下げたりすると開きやすくなるらしいと勉強にはなりましたけれど。
  夕食は町に出て中華レストランに入り、焼きそば、チャーハン、キュウリのニンニクドレッシング、焼きリンゴなど食べてお腹いっぱいになりました。でも、ここの焼きリンゴは普段のイメージとはまったく違って、リンゴに衣を付けてあげた天ぷらのようでした。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA, Mitsuo FUKUDA

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