リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

53. クレークリンゲン

2017年04月17日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅  No.9


             

         ローテンブルクのユースホステル                      気さくなブルク牧師さん:クレークリンゲン、ヘルゴット教会前にて


   ◆10月17日(月)  クレークリンゲンではいつも何かが起こる   18797歩    

  夜中に3度もお腹が痛くなってトイレへ。セイヨウスモモはあまりたくさん食べない方が良さそうです。
 5時40分には目が覚めてしまったので2時間かけて昨日の分までの日記を書き留めてホッとしました。今日は11時20分のバスまで自由行動。簡単に朝食を済ませてから呼び出しバスの予約電話を入れました。クレークリンゲンからローテンブルクまで戻るバスに乗りたいと伝え、14時45分の予約を取ってホッとしました。通常のバスは18時25分までないからです。

 11時頃までは、ローテンブルクのまだ歩いていない場所があるので、三津夫とできるだけ歩いてみようということになりました。啓子さんはお土産を買いに行っているはずです。城壁内の一番西側に突き出した公園には小学校1年生が遠足に来ていました。丸くなってからやおらバーッと走り出し、それぞれ座ってお弁当を広げました。この時間でもうお昼? 近くにいた先生とおぼしき人に聞いてみたら、朝食なのだそうです。そして彼女たち5人は付き添いの母親だとのことでした。

          


 公園の南の端には小さな建物がありました。中を見てみると第二次世界大戦の戦没者の慰霊の碑があり、「我々の犠牲者は全ての人々、全ての民族の平和の種となるだろう」と書かれていました(写真・上の真ん中)。しばし心からの祈りを捧げました。更に南に下って行くと大きな屋根に目玉がたくさんついているような建物があり、裏側の壁を赤い蔦がみごとに覆っていました(この頁のトップ写真)。ここはユースホステルなのだそうです。写真の一番右は街中でみかけたお店のショール。色が素敵と思って写しました。 

 駅前のホテルに戻り、ショッピングセンター(Kaufhof)で焼きそばを食べたところ、とても口に合って美味しかったので、今夜はここで食べても良いねと三津夫と話しながらバス停へ。
  一番駅寄りのバス停にクレークリンゲンまで行くバスが来ます。啓子さんとここで合流してバスに乗車。途中で数人いた乗客は全部いなくなり、私たち3人の貸し切り状態。ドイツ鉄道のホームページで調べたときには途中で乗り換えがあってクレークリンゲンのバス停に12時25分到着となっていたのに、実際は乗り換えも無く、直行で12時に到着してしまったので驚きました。クレークリンゲンではヘルゴット教会の牧師さん、トーマスブルクさんと12時半頃会うことになっていたのですが、30分近く早めに着いてしまってどうしようかと思いました。電話番号はメモしていなかったため、地図を頼りに牧師館まで歩いて行ってみました。ベルを鳴らしてみたところ、お連れ合いが出てきて、「いつも素敵なカレンダーをありがとうございます」と嬉しそうに挨拶してくださいました。「彼はまだちょっと出かけていて…」と言っているところにブルクさんが赤い車で戻っていらっしゃいました。あまり早く私たちが着いたのでビックリされていましたが、すぐに黒い車に乗り換えて、私たちを乗せてヘルゴット教会に出発。歩いて行っても良かったのですけれど、車で一緒に教会まで行くとメールで書いてくださっていたのです。

 ヘルゴット教会では受付の女性、ヴァグナーさんが笑顔で出迎えてくれました。いつも会う方ですが、割と暖かい今日のような日でも厚着です。教会内はひんやりしていて体が冷えるのだそうです。啓子さんもマリア祭壇の素晴らしさをわかってくれたようです。三津夫も私もこの祭壇はリーメンシュナイダーの祭壇の中でも一番の傑作だと感じているので、せっかくローテンブルクまで来たのであれば是非見て欲しかったのです。
 ゆっくり教会内を見終わってから、クレークリンゲンの街まで戻り、ブルクさんがお茶に招いてくださいました。ケーキがとても美味しいというカフェです。珈琲を飲みながら、ブルクさんは教会の受付女性たちの健康を気遣い、できれば外にキオスクのような建物を造りたいのだと話していらっしゃいました。でも数年前に祭壇の周りを明るくし、堂内の修復にお金を使ってしまって今はそのためのお金がないのが悩みだと。マリア祭壇のファンでもあり、多くの人たちに見て欲しいと願う私たちのような人間がなんとか支援できないかと、このあとずっと考えています。牧師さんという立場では決して豊かでないことはわかっているのに心苦しかったのですが、私たちが払うと言ってもダメでした。こちらが先に払ってしまえばよかったのですね。ローテンブルクまで送ってくださると言われたのですが「バスを予約しているので大丈夫ですから」とお断りし、ゆっくり街中を散策しながらバス停に戻りました。

 さて、ここは2年前に呼び出しバスとは知らずにバスを待っていて待ちぼうけをくった場所。今回はちゃんと電話で予約したので大丈夫…なはずだったのに、2時45分を過ぎてもバスが来ないのです。少し遅れているのかなと思っても段々心配になり、電話を入れてみたところ、なんと今朝受け付けた女性は2時45分と言ったのに、それはローテンブルクに到着する時間だと言われてしまいました。そんな~! いくら抗議しても時既に遅し。夕方6時過ぎまで待つ? それもしんどい。苦肉の策でブルクさんにお願いに上がりました。するとビックリしながらも快く車を出してくださったのです。時計を見たら3時25分頃でした。「どこまで送ったらいいですか」と聞かれ、今ならデトヴァングに間に合うかもしれないと思いついて「デトヴァングで」と答えてしまいました。すかさず後ろで三津夫がたしなめます。でもブルクさんは「デトヴァングの教会は今開いているのかな?」と言うので、「実は昨日行ったときに開いていなくて、平日は午後4時まで開いていると書いてありました」と話したのです。「よし、わかった。もし教会が開いてなかったらローテンブルクまで行きますからね」といってブルクさんはバーッとスピードをあげました。その速いこと、速いこと。20分後にはデトヴァングに到着! 中を見たらちゃんと教会のドアは開いていたので報告。本当に助かりましたと頭を下げてブルクさんとお別れ。このご恩はいつかお返しします。

  こうして啓子さんにはリーメンシュナイダー祭壇の最も素晴らしい4点を見てもらうことができたのでした。5時15分頃ホテルに戻り一休み。6時に啓子さんとショッピングセンターに向かいました。ブランチを食べたベトナムレストランで、お寿司の盛り合わせやビールなどをたのみ、美味しくて満足しました。確かHANOIかHanoiという名前だったと思いますが、ここはお薦めです。
 この2日間、ローテンブルクの街中で結構石畳を歩いたり、デトヴァングまでの小道を2往復したりしたせいか、足首を痛めてしまいました。しっかりとかかとまで保護してくれるような運動靴の方がよかったと改めて思いました。今履いている靴は良い靴なのですが、かかとのしまりがちょっとゆるいので、どこかで靴を買い直そうと決心しました。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA, Mitsuo FUKUDA

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