れら工房BLOG

2004年の夏に引っ越して、れら工房をオープンしました。
ブログを始めて10年以上が過ぎました。

ハコミ・チャイルドワーク

2006-02-24 16:09:23 | ハコミ
出かける時は曇り空で、降りそうな気配でしたが、帰る頃には小雨となっていました。
寄り道もせずにサッサと帰りました。
郵便局にも寄らずに、また月曜日にしようなどと・・・
小雨が降ってるので・・・

さて、17日から19日までのハコミの感想を書いてみようかとしてます。
なか日に大きく揺さぶられることが起こりました。
0才のチャイルドが出てきました。今までで一番小さい子どもです。

☆。.:。★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。☆。.:*:・'゜★

赤ん坊が出てきてここから何処かへ行きたいと連れて行ってくれと頼む場面は何回も出て来ているのですが。そうなんです。私は赤ん坊の時から、あの家を出たいと思っていたらしいのです。

実際に一人暮らしが出来たのは19才の時でしたが・・・
やっと、家を出られて嬉しかったのをおぼえています。
親には東京へ出て、勉強をしたいのだと嘘をついたわけです。
つまり、どこかの大学には入れればよかったわけです。
だから、ちゃんと将来の道筋を考えてません。
どんな仕事をしようかという明白なビジョンが無い。

とりあえず、どこかへ進学すると言うことで、父はしぶしぶ出してくれた。自分で稼いで暮らす自信がないので、いくらか仕送りをしてもらった。

それでも、遅刻、サボりをしたけれども、追試、追レポートで卒業はできました。

息子が高2で出席不足になった時、私は卒業したのに息子は高校中退なのかと大変ビックリしましたが、そのうちに息子が家に帰ってこなくなると、私より早く家出を決行してしまうのかと何かうらやましくもあり、不思議な気分でした。

一方では息子に置き去りにされる母の寂しい気分も味わい、子どものほうが親より過激な行動するのかしらと思ったり・・・

子どもたちも居心地の悪い家から出て行きました。

私はといえば進学したのですから、夏休み、冬休みと帰省いたしました。
4年で卒業したら、親のめんどうをみるために働くはずだったのに!
母は元気一杯働いて、そのころ和裁教室がうまく回転し、経済状況が好転しました。
私は1年間の猶予の後、教育学部の健康教育学科へ学士入学し、そのまま大学院へ2年間。
どこへ就職してよいかわからず、とりあえずキャンパスにいて時間稼ぎ・・・のような意味合いがあります。
何を仕事にするかという見通しを持っていない。
だから、30才頃に子どもが産まれると「主婦」として暮らすことになりますが、働いている人の噂を聞くと、心おだやかでなくなる・・・・・

きっと、理想として、仕事も子育ても両方出来る人でいたかった!
けれど、家事の出来ない人、慣れていない人と暮らして、洗濯炊事をこなしながら、外へ仕事に行けるだろうかと、試しに産休補助養護教諭をやってみたけれど・・・
全く無理!ムリ!
夫に家事を教えながら、仕事の時間に間に合わせるなんて、私にはムリ!
保育園の送りを手伝う夫がいたけれど、それだけではムリ!

家事のほとんどは自分でしなければならない。
そして、自分にあっている、やりがいのある仕事を見つけていれば私だって続けたかも・・養護教諭が自分にあっているのかどうか疑問だった。
私は何をするために生まれたのか?
そういうことが私にはわかっていなかった!
夏休み春休みなどがある職業として、養護教諭の免許は持っていてもよいかな?
ということでした。

それで今、私は何をする人?

☆。.:。★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。☆。.:*:・'゜★

ハコミの師匠は「好きなことをしましょう!」と言います。
で、私はPCに向かう時間をもちます。
好きなことをしている内に、それが仕事になる・・・ということらしいのです。

私はハコミの周りにいることが心地よいので、それを自分に許しています。
ハコミワークに出て、新しい自分を発見するのはくたびれることもありますが、何か先へ進める気がします。

今回もかなりガタガタになりましたが、ようやく今日あたり感想書いておこうという気分です。
日曜に終って、水曜に自主勉強会はハードだった。

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18日に0才のチャイルドが出現しました。その子の注文は

生まれて来てよかったね!
女の子でよかったね!
可愛いよ!

などを何回も言ってもらうことでした。ちょうどそこに居合わせた二人に言ってもらい、私は泣きました。

私が誕生した時、おおむね歓迎されはしましたが、父にとって男でないことが残念極まりないことらしく、ことあるごとに口にする。
 赤ん坊の時、男の子ですか?とよく聴かれた。(男の子のようにみえた)
 ほんとは男として生まれるはずだったけれど・・・途中で女になった。
 男だったら・・・(これは何回聞いたセリフか!)

そのようなことを言われ続けると私が女であることが申し訳ない、ごめんなさい!
と思うようになってしまい、自信のない私が出来上がる。
私はできそこないだという気分になる。

自分の自信の無さの根源がここにあったのかと、今の私は納得する。

しかも、弟が5才で亡くなるので、さらに追い討ちをかけられる。
「お前は長男として生きよ!」

弟の分まで生きなくてよいのだと、ようやく今の私には見えてきた。
自分を生きてよいのだという許しが自分の中からでてきた。

あるところまで、男として生きるように期待され、20代も後半になると。「孫はまだか」という言葉の攻撃にあう!
なんとかしなければ・・・

何とか、みつくろって私は息子と娘を産んだ。

もう、うるさい親はあの世へ行ってしまい、静かなはずなのだけれど・・・

言葉のいくつかが残されたまま・・・まだ、私を縛っている。
もう、私を自由にしてよ!








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