今朝はあけましておめでとうと一声書いて、昨日準備をしていたパヴィリオンのことを書こうと思っていたら、能登の地震のニュース。とってもおめでとうとは言えない。
私は輪島高校の出身なのです。警察官だった父の関係で、小学校1年生の時に金沢近くの松任から奥能登へ引っ越しして、高校3年間は輪島近辺の駐在所で過ごしたもので、もう60年もの昔になりました。
金沢へ電話し、NHKWorld を見て輪島の町が燃えているのを涙ながらに見ていました。日本国内にいてもどうしてあげることもできないのに、こんなに遠く離れた英国から、輪島の友達には電話もできない。
無事を祈るばかり・・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨年末3泊4日でブライトンのユースホステルで過ごし、孫のジュードとパトリックがパヴィリオンでアイススケートをするというので見にいってきた。
パヴィリオンの裏庭に作られたスケートリンクで大人も子供も大喜びで滑っている。初めて滑るジュードは転んでいるほうが多いか、手すりにしがみついているほうが多い。
此のパヴィリオンは英国に来た51年前と今から2-30年前の2回は行ってみたことがあるが入場料が高くそれに内部が写真禁止だったから、今回も行かないと娘に言った。
彼女が入場してきて写真可と言い、昨年加入したArt Fund のカードで無料とのこと。
此のRoyal Pavilion は英国王室の別荘だった宮殿で、1787年当時まだ皇太子だったプリンス・ジョージ(のちのキングジョージ4世)が夏のホリデーにロンドンから近い海辺の町ブライトンにインド・サラセン様式の宮殿を建てた。
内装には中国の影響が多くみられる。
ダイニングルーム。
此の宮殿の見ものはこれらエキゾチックなライト と天井。
派手で遊び好きなキングジョージは此の宮殿でロンドンからやってくる貴族とパーティに明け暮れた。
だから宮殿の台所は非常に大きい。
此の丸い絨毯は機械織りなのだが非常に大きく、どうやったらこんな巨大サイズの円形ができるのだろうか想像できない。
此の宮殿最高の素晴らしいミュージックルーム。多くの貴族はこの部屋でダンスに興じた。1975年この部屋が放火され、再建に7年かかったという。
今年の干支ドラゴンの壁飾り、
中国系のシャンデリア?19世紀初期は中国やインド、日本の文化がもてはやされた。
これらも中国のデコレーション。
1914年から1916年このパレスはミリタリーホスピタルに改装し、第1次世界大戦で傷ついたインド兵を看護した。720床のベッドで2300人の患者を看たとのこと。
ヴィクトリア女王のベッドルーム。ベッドのマットレスを6枚も重ねた中で寝ていた女王様、此のパヴィリオンが気に入らなくて1850年にブライトン市に売り払い、その金でワイト島に宮殿をつくった。
ロンドン・ブライトン間に鉄道が施設されたのは1841年でロンドンからの観光客がブライトンへ押し寄せたため、1850年ブライトン市が一般公開を始めた。
非常に大きな建築物に王家のベッドルームには秘密のドアがついていたりで、孫のジュードも結構楽しんでいた。