人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(告知編) 2016 オテロを指揮 ジュールフィル Jose Cura / Otello / Gyor Philharmonic Orchestra

2016-04-18 | オペラの指揮


ホセ・クーラは昨年、ハンガリーのジュールフィルハーモニー管弦楽団と客演指揮者として契約したことを記者会見で発表しました。
そしてシェークスピア没後400年記念日の2016年4月23日、シェークスピアを原作とするオペラ、ヴェルディのオテロを指揮者として振ることが決まっています。
 → ジュールフィルのHP

クーラ自身は歌いません。会見では、「我々は若い歌手を育てる必要がある」と語っていました。
 →直近のクーラが歌ったザルツブルクのオテロについては、これまでの投稿をご覧いただけるとうれしいです。

すでに今週土曜日に迫った本番にむけて、リハーサルがはじまっています。リハーサルの様子や、事前に受けたインタビューからクーラの思い、公演の概要、オテロの解釈などを紹介したいと思います。

*5/26追加 すでに終了した公演の様子、画像、クーラの発言などについては →(本番編) 2016オテロを指揮 ジュールフィル
 
*4/19追加 クーラのFBに合唱団とのリハーサル中の様子がアップされました。 →クーラのFBページ
歌い、踊り、芝居する指揮者(笑) 後半、爆笑、爆笑でとても楽しそうなリハーサルです。


ジュールフィルハーモニー管弦楽団の客員指揮者には、これまでギルバート・ヴァルガ、ゾルタン・コチシュとともに、日本の小林研一郎らの名前があり、日本にもなじみのあるオケのようです。
場所は、ハンガリーのジュールにあるアウディ・アリーナという4000人規模の大会場です。コンサート形式で、若い人たちに来てもらいたいと企画したようです。現在のところ、ネットラジオ中継などの情報は入っていません。最近のハンガリーでのコンサートは2回とも録音・録画が放送されたので、今回も楽しみに待ちたいと思います。

ジュールの街に貼られた巨大ポスター

Saturday, 23 April, 2016 - 19:00 Audi Arena, Gyor
Program: Verdi Otello
The stage version of the opera is performed on the 400th anniversary of playwright William Shakespeare’s death.
Győr Philharmonic Orchestra, conducted by José Cura
Featuring / Christian Juslin / Gabrielle Philiponet/ Piero Terranova / Zsófia Kálnay / Gergely Boncsér / Marcell Bakonyi
Hungarian National Choir



公演に向けてクーラが受けたいくつかのインタビュー(2016年3月頃)から、抜粋しました。ハンガリー語からなので、誤訳やニュアンスの違いが多いかもしれません。あらかじめお断りしておきます。

●ヴェルディの音楽のくみ尽くせない魅力
Q、ヴェルディの音楽の何が特別か?
A、ヴェルディは天才であり、彼の音楽に私は感嘆する。主に彼の成熟期の作品だが、私はこれらの専門家でもある。
しかしヴェルディは、私の一番好きな作曲家というわけではない。

私の好きな作曲家はヨハン・セバスチャン・バッハ。そしてヴェルディの成熟した音楽には、バッハのような特徴がある。
それは彼が、彼の作品を演奏する方法について、スコアの中であまり多くの説明をしていないことだ。ヴェルディはこう言っているかのようだ。「もし君が優れているのなら、君は私が言いたいことを理解するだろう。しかし君が私の音楽を理解するために多くの説明が必要というなら、まだ君は十分に良いとはいえない」と。

ヴェルディの音楽における、決して尽きないパフォーマンスの可能性へ「開かれた扉」は、とても魅力的だ。ヴェルディの解釈の秘密を所有する唯一のものだと自ら主張する学校の存在など、私には決して理解できない。ヴェルディは、ヴェルディ音楽の「自称」司祭たちが彼の音楽に課している制限に対して、真っ先に怒っただろう。

Q、数多くオテロを演じてきたが、毎回、新しい側面にこだわっているのか?
A、オテロの中核の概念は、シェイクスピア以来、またはさらにその原作者から変わっていない。しかしこの「中核」に埋め込まれている数多くの詳細を発見することは、私にとって最も刺激的なことだ。この決して止まらないプロセス!



●ジュールの公演 指揮と舞台デザインを担当
Q、コンサート形式で実施されるがそれについては?
A、パフォーマンスが良ければ、それは良いということだ。形式は重要ではない。フルステージの舞台であっても、同様に、指揮、場所、雰囲気、観客と出演者、天候・・多くの要素に依存する。
私は多くの理由から、このコンサートが非常に特別なものになると期待している。しかし、また、非常に異なる面がある。普通の劇場ではなく、アリーナで演奏することだ。

Q、指揮と舞台デザインを?
A、この場合、舞台デザイナーは通常の状況とは違い、演奏するための「空間」をデザインする。アリーナでおこなう限界のなかで、観客の助けになるように、パフォーマンスに焦点を当てた照明をデザインする。

●オテロの解釈と現代
Q、あなたのオテロの解釈は?
A、(オテロをめぐっては)これにはヴェルディ自身の永遠のたたかいがあった。彼はいつも不満を表明してきた。「私はベルカントを書いていない。ドラマを書いたのだ」と。真のヴェルディ演奏者は、これを解釈規則にすべきだ。
オテロにおいて、言葉とその意味は、音楽自体と同様に重要だ。言葉が音楽の媒介物で、時折、ドラマのメッセージを伝えるベルカントとは違う。ベルカントの優先順位は、そのつくりだす音の美しさ。しかしオテロのような音楽ドラマは、盟友として音楽を用いて、言葉の意味を伝える。

Q、今回の舞台に現在の世界を反映させる?
A、我々の生きる世界は、もうこれ以上の衝撃を与えるものを必要としていない。世界的な混乱は、控え目に言っても、混乱を例示するどんな強調でも、レトリックになってしまうようなものだ。
しかしオテロのような作品は、500年間、何も変わらないことを考えさせ、非常に「現実的」であるということは真実だ。議論の尽きない宗教についてだけでなく、ドメスティックバイオレンス(DV)、あるいは裏切り、人種差別、外国人嫌悪、人間の使用と乱用など。



●オテロとシェイクスピア
Q、シェークスピアがユーモラスだというのは?
A、真剣であることと深刻ぶることは違う。後者は傲慢と退屈の根源だ。偉大なアーティストは熱心に自分の仕事をするが、決して深刻ぶることはない。モーツァルトとシェイクスピアがその良い例だ。良いユーモアのセンスを持っているのは健康な事だが、これは生活をおもしろおかしく過ごすことだけを意味するものではない。良いユーモアをもつことと、表面的であることは混同すべきでない。

Q、オテロの原作については?
A、ヴェルディのオテロの脚本家であるボイトは見事な仕事をしており、原作を尊重している。またオペラのオリジナルソースが、シェイクスピアのテキストではないことはとても興味深い。
原典はイタリアの小説家・詩人のツィンツィオだ。彼はシェークスピアがオセローを書く1世紀前に生まれた。シェークスピアのドラマは、ツィンツィオの「百物語」と題した作品集に基づいている。



●人生と芸術、読書について

Q、好きなオペラは?
A、それは、劇場で私が働いているところをあなたが見ることができる作品だ。私の年齢で、これまでのキャリアを経て、自分が好きではないようなオペラには出ない。

Q、あなたにとって芸術の魅力は?
A、何か言いたいことがあり、公然と叫びたいことを持つ時、何も彼を止めることはできない。もちろん多くの勇気が必要で、たたかい、ラフな道を行かなければならない。我々の願いは決して不可能なミッションではないという認識、それが我々をつよくしてくれる。

Q、困難の時、文学から慰めを得た?
A、文学は常に私の人生の一部だ。哲学者ホセ・インヘニェーロスブックの著書「平凡な男」は常にベッドサイドにある。他者の妬みと戦わなければならない時、私を癒してくれる。

Q、多忙ななかで本を読む時間は?
A、私たちの脳が多くの物事を処理し知覚することは驚くほどだ。現代的な技術のデバイスによって私たちの能力の発達を妨げることはできない。いつでも可能な限り読む。

Q、今何を読んでいる?
A、いつも同時にいくつかの本を読む。さまざまなトピック、職業に関連して、また短編小説、他の好きなジャンル、楽しみのためのコミックなど。ちょうど、Reverteの「善良な人々」を読み終えた。いまは現代美術家サルバドール・ダリの本を読んでいる。またクリストファー・コロンブスについて驚くような内容の面白い日記も読み始めたところだ。



●人生哲学は「今を楽しめ」
Q、あなたはこれまで「第4のテノール」などのレッテル張りを拒否してきたが「ルネッサンスマン」というレッテルは?
A、私は説明を求めて物事をするわけではない。ただ行う。例えば、私は自分が写真家だと主張したことはない。写真は趣味だ。世界を観察したいという私の欲求を大いに助けてくれる。
結局のところ、私はいつも言うのだが、人生は「ほんの少し」のことをするためだけでも余りにも短い。「今を楽しめ」が私のモットー、そして、私の人生哲学だ。

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2016年4月15日に公開された記者会見の動画。残念ながらハンガリー語で字幕もないため、内容は聞き取れません。左側の女性は、デズデモナで出演するGabrielle Philiponet
José Cura Győrben rendezi az Otellot

同じく会見の動画、後半にクーラのインタビューと昨年のロスト・アンドレアとのコンサートの様子が少し見られます。
Újra Győrben vezényel José Cura


Gabrielle Philiponetとホセ・クーラがコンサートで歌ったオテロとデズデモーナの二重唱「もう夜もふけた」 2013年トルコ
G. VERDI / OTELLO "Già nella notte densa" José CURA & Gabrielle PHILIPONET, conductor Vladimir LUNGU


リハーサルに熱中するあまりか、いつにないユニークな表情の写真(笑)

妙に短い指揮棒を使っていると思ったら、鉛筆のようですね(笑)


1996年のオテロロールデビュー以来、20年間オテロを歌い演じ続け、2013年には故郷アルゼンチンのテアトロコロンでオテロを演出・舞台デザインしました。そして今回が、はじめての指揮者としてのオテロです。巨大な会場で特有の困難はあると思いますが、大勢の人々が楽しめるコンサートにしたいというクーラの情熱あふれる指揮で、オテロが大きく成功することを願っています。



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