Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

2016年度刑法Ⅰ(第14週)共犯の諸問題(3)(刑事判例資料)

2016-07-08 | 日記
 刑事判例資料
 第14回 予備罪の共同正犯・共犯と中止犯・必要的共犯
81殺人予備罪の共同正犯(最一決昭和37・11・8刑集16巻11号1522頁)
【事実の概要】 Xは、Yから不倫相手Zの夫Aを殺害する計画を聞き、それに応えてBから青酸ソーダを受け取り、Yに渡した。しかし、YとZは、その青酸ソーダを使用せずに、Aに睡眠薬を飲ませて、殺害した。YとZには、Aに対する殺人既遂罪の共同正犯が成立する。
 第1審名古屋地裁の判断は、以下の通りである。
 1.殺人予備罪とは、基本犯である殺人罪を実現する目的に基づいた準備行為であり、しかもその目的は、その準備行為を行なう者が自らが有していることを要し(いわゆる自己予備)、他人の殺人目的のために行なう準備行為(いわゆる他人予備)は、殺人予備罪にはあたらない。従って、Xには殺人予備罪は成立しないと判断した。
 2殺人予備罪は、基本犯である殺人罪の構成要件の修正形式である。基本犯の構成要件を修正したものとしては、未遂犯や共犯(教唆・幇助)があるが、それも処罰される行為であるという意味では1個の「犯罪」である。予備罪も「犯罪」である以上、正犯(刑法62条1項)である。従って、予備罪(正犯)に対する幇助も有り得るので、XにはYの殺人予備の幇助が成立する。
 控訴審・名古屋高裁の判断は、以下の通りである。
 1殺人予備罪は、殺人罪の修正構成要件であり、構成要件である以上、その構成要件的行為または実行行為を観念できるので、共同して殺人予備罪の構成要件該当行為を実行した場合、殺人予備罪の共同正犯が成立する。
 2かりに、構成要件的行為または実行行為は、殺人罪のような犯罪の基本犯ついて観念できるだけであり、構成要件の修正形式である殺人予備罪には観念できないならば、他人が行なう殺人罪の予備行為を共同して実行しても、殺人予備罪の共同正犯は成立しないことになる(各人に殺人予備罪の単独正犯が成立するだけ)。このような奇妙な結果は不可解であり、殺人予備罪には構成要件や実行行為はありえないとする立場は批判されるべきである。
 3ただし、殺人予備罪の構成要件は、基本犯である殺人罪のそれに比べて、定型性が緩やかであるため、その成立する範囲は広いという問題があり、殺人予備罪の幇助の成立範囲も広がるおそれがある。そういうこともあって、刑法は予備罪の幇助の成立する範囲を限定するために、内乱予備罪の幇助(刑79)について明示的な規定を設けている。刑法が内乱予備罪の幇助の処罰規定を設け、殺人予備罪の幇助などについては処罰規定を設けていないのは、前者については処罰するが、後者については処罰しないという意思の現れであると解釈することができる。
 4従って、殺人予備罪の幇助を処罰する明示的な規定がないので、Xには殺人予備罪の幇助は成立しない。しかし、Xの意思とその行為を併せて考慮すると、それが「殺人予備罪の共同正犯」にあたると認定し得る場合には、殺人予備罪の共同正犯として処罰することができる。
 以上のように、控訴審は判断した。
 これに対して弁護人は、共同正犯の規定である刑法60条の「犯罪の実行」とは、殺人罪のような基本犯の構成要件的行為を実行することを意味し、殺人予備罪の修正された構成要件的行為の実行は、それにあたらないので、殺人予備罪の共同実行に刑法60条を適用することはできないと主張した。また、共同正犯にあたるのか、それとも幇助にあたるのかを区別する基準として、最高裁は主観説を採用しているので、殺人予備罪とは自己目的の準備行為であり、他者目的のために準備をしても、殺人予備罪の共同正犯にはならないので、控訴審の判断はこの点について判例に反するとして上告した。
【裁判所の判断】 被告人Xの行為につき殺人予備罪の共同正犯として認定した原判決に誤りはない。
【解説】 予備罪の共同正犯が成立するためには、予備罪の共同実行もまた刑法60条の「共同した犯罪の実行」にあたると解釈できなければならない。刑法60条の「犯罪の実行」を、刑法43条の「犯罪の実行」と同じ意味であると解すると、それは構成要件該当行為の共同実行であり、法益侵害の結果発生の具体的な危険のある行為の共同実行である。予備罪の行為は、そのような行為ではないので、予備罪の共同正犯は認められない。それでは、予備罪の幇助であれば認められるか。幇助とは正犯を幇助することである。正犯とは犯罪の構成要件該当行為を行なった者のことである。予備罪は正犯ではないので、それを幇助しても、正犯の幇助にはあたらない。このように刑法60条の「犯罪の実行」、「正犯」を厳格に解釈すると、予備罪の共同正犯も、その幇助も成立しえない。
 しかし、それは妥当な結論とはいえない。名古屋地裁は、予備罪とは、自ら基本犯を行なう目的で、その準備をすることであって、他人が行なう犯罪を準備しても、予備罪にはあたらないという前提に立って、Xの予備罪の共同正犯の成立を否定し、その上で、予備罪は基本犯の構成要件の修正形式であり、その限りでは構成要件を観念しうるので、予備罪の実行者もまた「正犯」であり、それを幇助すれば、予備罪の幇助として処罰しうると判断し、Xに殺人予備罪の幇助を認めた。これに対して、名古屋高裁は、予備罪は基本犯の構成要件の修正形式であり、その限りでは構成要件を観念しうるので、予備罪の実行者もまた「正犯」であり、それを共同して実行すれば、予備罪の共同正犯になるので、Xに殺人予備罪の共同正犯の成立を認めた。地裁の判断に関しては、予備罪の幇助の成立は、内乱予備罪の幇助のような明文規定がある場合に限られ、殺人予備罪の幇助の個別的な規定がない以上、それを認めることはできないと論じ、共同正犯の一般規定(刑60)を適用した。
 妥当な結論を導くとはいっても、その妥当性は理論に裏づけられていなければならない。予備罪とは、指摘されているように、自らが基本犯を行なう目的で準備を行なうこと(自己予備)である。この目的を身分(構成的身分)と解して、目的のないXが、Yにその目的があることを知りながら、共同して予備を行なった場合、Xには殺予備罪の共同正犯が成立することになる(刑法65①の「共犯」は共同正犯も含む)。判例の傾向としては、目的のないXがYの目的を知っていたということは、自らもその目的を了解し、未必的にその目的のために準備したと認定できるので、殺人予備罪の共同正犯の成立を認めることもできる。名古屋高裁の判断を理論的に説明するならば、このようになるであろう。これに対して、予備罪とは自己予備に限られ、目的のない他人には共同正犯ではなく、共犯しか成立しえないと解するならば、殺人予備罪の共犯の成立を認めことができる(刑法65①の「共犯」には狭義の共犯しか含まれないと解する立場から主張可能)。
97共犯と中止犯(最二判昭和24・12・17刑集3巻12号2028頁)
【事案の概要】
 XとYは、共謀して強盗の実行に着手したが、Xは自らの意思でその継続を中止することにし、Yに対して、「帰ろう」と言って、立ち去るよう勧告して、1人で外に出た。Yはその勧告を受け入れ、いったんは手にした金銭を元の場所に戻したが、再びそれをポケットに入れ、Xが外に出た3分後に出て、2人で帰った。

 原審は、X・Yに強盗既遂罪の共同正犯の成立を認め、Xに懲役3年の実刑判決を言い渡した。これに対して、弁護人は、Xには刑法43条但書の中止未遂の規定を適用すべきであると主張して、上告した。

【裁判所の判断】
 Xは、Yの金銭強取を阻止せずに放任した以上、中止未遂の規定を適用することはできない。

【解説】
1共犯と中止の関係
 共犯と中止犯の問題は、次のように考えなければならない。それは、共犯からの離脱または共犯関
係の解消が認められたうえで、離脱者が自己の意思により犯罪を中止していなければならない。

2共犯からの離脱または共犯関係の解消
 共犯からの離脱は、犯罪の実行の着手の前後に分けて考えられる。
 XとYが、強盗を共謀し、その準備をした後、その実行に着手する前に、Xが離脱するためには、XがYに離脱の意思を表示し、それがYによって了承された場合に、Xには離脱が認められ、それまでの行為(強盗予備罪)について責任を負うだけである。強盗の実行の着手後の離脱の要件は、XがYに離脱の意思を表示し、それがYによって了承され、さらにXがYの犯行の継続を阻止すれば、Xには(Yにも)、強盗未遂の共同正犯が成立するだけである。

3実行の着手後の未遂に対する中止未遂の規定の適用の要件
 犯罪の実行に着手した後、これを遂げなかった場合、未遂が成立するだけであるが、それが自己の意思に基づく犯罪の中止による場合、中止未遂として、その刑を減軽または免除される。強盗の実行に着手した後、Xが自己の意思により犯罪の中止を決意し、それをYに表示し、Yがそれを了承し、さらにXがYの犯行の継続を阻止した場合、Xの強盗未遂に中止未遂の規定を適用することができる。Xの強盗未遂の刑は、減軽または免除される(Yの強盗未遂は強盗の「障碍未遂」でしかない)。

4実行の着手前の予備に対する中止未遂の規定の準用の可能性
 中止未遂は、実行の着手後に適用される規定なので、実行の着手前に離脱したXに対して、中止未遂の規定を適用する余地はない。Xには強盗予備罪が成立するだけであり、その刑は減軽・免除されない。

5着手後の未遂の刑が免除されたが、着手前の予備の刑が減軽・免除されない場合のアンバランス
 着手後の未遂に中止未遂の規定が適用されて、刑が免除されたが、着手前の予備の刑が免除されな場合、アンバランスではないだろうか。実行の着手後の離脱は、着手前の離脱よりも、違法性が低く、また非難可能性も低いが、着手後の未遂に中止未遂の規定が適用され、刑が免除されるにもかかわらず、着手前の予備の刑が減軽・免除されないのは、やはりアンバランスな感は否めない。このアンバランスを解消するためには、犯罪の予備後、自己の意思に基づいて、犯罪の実行に着手するのを中止した場合、予備罪に中止未遂の規定を「準用」することが考えられる。
 この問題は、殺人予備罪、放火予備罪の場合は、「情状」により、予備罪の刑を免除することができるにもかかわらず、強盗予備罪には「情状」による刑の免除の可能性がないため生じている。





















98必要的共犯(最三判昭和43・12・24刑集22巻13号1625頁)
【事案の概要】
 被告人X・Yは、弁護士資格を持たないZに依頼して、法律事件の示談交渉をさせ、その報酬を支払った

 第1審静岡地裁沼津支部は、X・Yに弁護士法違反の行為の教唆の成立を認めた。原審東京高裁もこれを認めた。原審東京高裁もまた、この判断を是認した。

【裁判所の判断】
 弁護士法72条は、弁護士の資格を持たない者が、報酬を得る目的で、一般の法律事務を取り扱うことを禁止し、それに違反する非弁行為を同77条で処罰する規定を設けている。ただし、弁護士資格を持たない者が、自分の法律事務を、自分で取り扱うことまで禁止してはいない。つまり、弁護士法が禁止している非弁行為は、、弁護士資格を持たない者が他人の法律事務を取り扱うことであると解釈すべきである。従って、 法律事務の解決を求めている者が存在し、その者が弁護士ではない者に依頼して、問題を解決させ、それに対する対価として報酬を与える行為が、弁護士法が禁止する非弁行為の典型であると解される。

 このような非弁行為は、論理的に考えて、1人で行うことはできない。法律事務の取扱を依頼する者の存在が必要である。この者の依頼がなければ、非弁行為は行われなかったであろうと考えられる。その意味では、依頼者は非弁行為の教唆ということができいる。ところが、弁護士法は、弁護士ではない者の行為を非弁行為として処罰する規定を設けているが、その依頼者を処罰する規定を設けていない。それはなぜか。非弁行為の依頼には、刑法61条が適用され、非弁行為の教唆が成立するので、個別の処罰規定を設ける必要はないと考えられているからなのか。それとも、非弁行為の教唆として処罰する必要がないので、あえて個別の処罰規定を設けなかったということなのか。弁護士法が非弁行為の依頼を処罰する規定を設けなかったのは、処罰することを控えたことを意味する。そうである以上、この行為に刑法61条を適用して、教唆として処罰するのは、弁護士法の意図するところと矛盾すると言わなければならない。

【解説】
 犯罪は、一般に単独で行なうことを想定して規定されている。それを複数人で行なう場合が共同正犯または共犯である。これを任意的共同正犯または任意的共犯と呼ぶことができる。

 これに対して、ある犯罪が成立するために、複数人の関与が必要不可欠な場合がある。これを必要的共同正犯または必要的共犯という。学説・判例では、一般に両者を総合して「必要的共犯」と呼んでいる。例えば、騒擾罪、多衆不解散罪、凶器準備集合罪などである(集団犯)。この罪は、すでに複数人による実行が法定されている。従って、「凶器準備集合罪の共同正犯」というような表現をする必要はない。さらに、重婚罪、贈賄罪・収賄罪のように対向関係にある行為者によって行なわれる犯罪がある(対向犯)。これについては、同一の罰条が適用されるもの、個別の別条が設けられているものに分かれるが、対向関係にある両当事者とも処罰される。

 しかし、対向犯のうち、一方の当事者は処罰されるにもかかわらず、他方の当事者は処罰されないような犯罪がある(片面的対向犯)。例えば、わいせつ文書頒布罪がそうである。わいせつ文書を頒布した者は処罰されるが、それを受け取った者は処罰されない。頒布行為は、受取行為があって成立する行為であるが、刑法は頒布行為のみを処罰し、受取行為を処罰しない。

 問題なのは、受取行為を頒布行為の教唆・幇助として処罰することができるかという点である。XがYに対してわいせつ文書を頒布するよう依頼し、Yがそれに応えて頒布した場合、依頼し、受け取ったXを頒布罪の教唆として処罰することができるか。この問題は、例えば、XがYに自殺の方法を教えてくれと依頼し、YがそれXに教え、Xが自殺した場合、Yには自殺幇助罪が成立するが、Xに自殺幇助罪の教唆が成立するかという問題でもある。同じように、嘱託殺人の被害者に嘱託殺人罪の教唆が成立するかという問題に広がっていく。そして、弁護士法違反の非弁行為を依頼した者に非弁行為の教唆が成立するのかという問題に行き着く。

 結論的に言えば、片面的対向犯のうち処罰規定が設けられていない者を、処罰される者に対する共犯として処罰するのは妥当ではない。というのは、対向犯のうち処罰されないのは、その者が被害者の側にいるため、違法性・有責性が認められないからである。例えば、わいせつ文書頒布罪の法益は、社会の健全な性的秩序であるが、その法益の担い手は、我々一人一人である。わいせつ文書が頒布されることによって、我々一人一人の法益が侵害されているのである。そのような文書を頒布する者がいるから、それを受け取る被害者が出てくるのである。従って、わいせつ文書が見たくて、その頒布を依頼しても、頒布罪の教唆にあたる違法性や有責性があるとはいえない。ただし、通常想定される頒布の依頼の程度を超えた依頼が行なわれた場合には、もはや依頼者は被害の側にいるとはいえないので、教唆の成立が認められる場合もある(小学校の児童に頒布するよう依頼したような場合)。

 弁護士法違反の行為についても、有資格者による法律事務の適正な扱いのための法制度を侵害する者(非弁行為者)が存在するから、それに頼ろうとする者が出てくるのである(通常の弁護士報酬が払えないとか、依頼したことが弁護士に知られると不利益になるなどの理由がありうる)。ただし、Xが非弁行為者Yに依頼するというのではなく、ZがXを唆して、Yに依頼させるよう仕向けたような場合には、、通常想定される非弁行為の依頼の程度を超えているので、弁護士法違反の非弁行為の教唆が成立する。非弁行為の教唆は、このような場合にだけ成立すると解すべきである。