Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

22講義刑法Ⅰ(02)

2022-04-18 | 日記
 刑法Ⅰ(02)不作為犯論
(1)講義刑法Ⅰ
1犯罪の基本形態
 犯罪は、「構成要件に該当する、違法で、かつ有責な行為である」と定義されます。行われた行為が犯罪の構成要件に該当していると判断するには、その行為と結果の因果関係が必要です。一定の結果の発生を要件とする結果犯(既遂犯)の場合、結果が発生せず、結果発生の危険があっただけなら、未遂犯の構成要件該当性しか認められません(殺人未遂罪や窃盗未遂罪など)。未遂犯処罰の規定がなければ(刑43、44)、処罰されません。
 構成要件に該当するか否かの判断の対象になるのは、「行為」です。それは、行為主体が一定の動作を行って、行為客体に対して物理的な作用を及ぼし、一定の結果を発生させることです。あることを考えただけで、何もしていなければ、処罰されることはありません。一般社会に定着しているのとは異なる「思想」を持っているからといって処罰するなら、思想や人格を処罰することになり、基本的人権の尊重という憲法の立場に反します。犯罪として処罰されるのは、他者や社会・国家に有害な作用をもたらす行為を行った場合に限られます。これを行為主義といいます(行為原理、侵害原理とも言います)。「罪刑法定主義」のもとでは、どのような行為を行えば処罰されるのかを刑法によって事前に明らかにしておくことが必要です。
2作為と作為犯
 では、この「行為」とは、どのような意味でしょうか。行為とは、一般に身体的な動作を伴って行われる人の態度を指します。それは多くの場合、行為客体に対して外部から物理的な作用を及ぼし、行為客体の状態を悪化させる行動、すなわち「作為」を意味します。刑法に規定されている犯罪のほとんどが作為による犯罪、すなわち作為犯です。人の行動の自由や移動の自由を制約する逮捕罪・監禁罪、人の社会的評価を引き下げる名誉毀損罪、暴行・脅迫を手段として人の財物を強取する強盗罪、他人名義の私文書・公文書を作成する文書偽造罪などの条文を読めば、それらの犯罪が作為によって行われる犯罪である、作為犯であることは明白です。
3不作為と不作為犯
 しかし、条文を詳しく読んでいくと、犯罪として処罰される行為は「作為」だけではありません。例えば、刑法107条の多衆不解散罪では「解散しない」という態度が処罰されます。また、刑法130条後段の「不退去罪」では「退去しない」という態度が処罰されます。さらに、刑法218条後段の保護責任者不保護罪では「生存に必要な保護をしない」という態度が処罰されます。これらはいずれも「~~する」という作為ではなく、「~~しない」という不作為度です。このように条文を詳しく見ていくと、刑法は作為だけでなく、不作為をも犯罪として処罰することを明記しています。罪刑法定主義のもとでは、刑法はどのような作為を行えば、またどのような不作為の態度をとると犯罪として処罰されるのかを条文で明らかにしています。しかも、不作為が処罰されるのは、それが作為によって実現される法益侵害の結果の発生を防止しない場合に限られていることも分かります。暴行目的で多衆が集合し、騒乱へと発展しなねない危険な段階で(刑106の騒乱の一歩手前なので不処罰)、権限のある公務員(警察官)が解散命令を出すなどの措置を講じたが、それに背いて解散しなかった場合には多衆不解散罪として(作為犯である騒乱罪に準じて)処罰されます。また、許可を得て住居に立ち入った後、居住者から退去の要求を受けたにもかかわらず退去しなかった場合、住居侵入罪の場合と同じ住居権の侵害が認められ、不退去罪として処罰されます。さらに、保護責任者不保護罪の場合も同じです。老年者や幼年者など要扶助者を保護する責任のある者が要扶助者に食事を与えなかった場合、作為による保護責任者遺棄罪と同じく生命・身体に危険を及ぼしているなら、その不作為は保護責任者不保護罪として処罰されます。
 このように作為によって実現される法益侵害は、不作為によっても実現されたり、それに準じた危険が生ずる場合があるので、それを例外的に処罰する規定が設けられています。このように条文によって不作為が処罰されることが明記されている犯罪を「真正不作為犯」と呼びます。作為によって行われるのが作為犯であり、不作為によって行われるのが不作為犯であり、刑法では二分されて規定されています。作為によって行われるのは悪違反、不作為によるのが不作為犯です。作為によって不作為犯を行うのは論理的に不可能です。問題になるのは、不作為を処罰する明示的な規定がないが、不作為によって作為犯の結果が発生させていることを理由に、その不作為に対して作為犯の規定を適用できるのかという問題です。
4不作為による作為犯
 作為によって不作為犯を行うことは不可能ですが、不作為によって作為犯を行うことは可能だと考えられています。不作為の態度によって作為犯の構成要件的結果(構成要件要素としての法益侵害結果)を発生させることは可能だというのです。刑法では、作為犯の形式の条文は作為に適用され、不作為犯の形式の条文は不作為に適用されるので、作為犯形式の条文を不作為に適用することはできないはずですが、学説の多数は、不作為に作為犯形式の条文を適用して処罰できるといいます。判例も同様です。このように作為犯の規定を適用して処罰される不作為のことを「不真正不作為犯」といいます。殺人罪、保護責任者遺棄罪、現住建造物等放火罪(さらには詐欺罪)などの条文は作為だけでなく、不作為にも適用され処罰されています。
5不真正不作為犯論の重要課題
 ただし、不作為に作為犯の規定を適用して処罰するためには、一定の条件が必要です。不解散罪、不退去罪、保護責任者不保護罪などの「真正不作為犯」では、誰の不作為が処罰されるのかが条文で明らかにされてるので、それ以外に人の不作為が処罰されないようにされています。公務員から解散命令を受けた多衆の人々の「解散しない」という不作為、居住者から退去命令を受けた人の「退去しない」という不作為、要扶助者を保護する責任のある者の「生存に必要な保護をしない」という不作為というふうに明らかにされています。しかし、不作為に対して作為犯の規定を適用する場合、その条文は作為犯形式で規定されているため、誰の、どのような不作為が処罰されるのかは、明らかではありません。したがって、誰の、どのような不作為に作為犯形式の条文が適用されるのかを明確にする必要があります。この問題を考えるのが「不真正不作犯論」の重要なテーマです。そのために、通説・判例では「保障者説」という学説が採用されています。例えば、ある人が生命の危険にさらされているとき、その人の生命を維持し、または生命への危険の除去する義務を負っている人(保障者)が、その義務を履行することが可能で、かつ容易であった場合には(作為の可能性と容易性)、その人には救命の作為義務が課されます。それにもかかわらず、不作為の態度をとった、しかも作為義務を履行していたならば、生命侵害を十中八九、回避できたといえる場合には、その不作為は殺人罪の構成要件に該当すると判断でき、殺人罪の規定を適用することことが認められています。
 以下では、不真正不作為犯に関わる判例などを参考にしながら、不真正不作為犯論の問題、とくに誰に作為義務があるのか、誰が保障者なのか、不作為と結果の因果関係はどのように認定されるのかを考えます。