Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

刑法Ⅰ(14)択一

2021-07-11 | 日記
NO.51 共犯の従属性
 共犯の従属性に関する次の1から5までのうち、誤っているものはどれか。
(1)共犯従属性説は、教唆犯の成立には少なくとも正犯の実行の着手を必要とする見解である。
→正犯と共犯の関係をめぐって、2つの学説が対立しています。共犯独立性説と共犯従属性説です。
 共犯独立性説は、共犯は正犯とは無関係に成立し、処罰されると解します。犯罪の結果を発生させるために、他人を教唆するような行為を行うこと自体に犯罪的な意思が表明されているので、正犯が犯罪の実行に着手していなくても(法益侵害の危険性が発生していなくても)、共犯(教唆犯)の成立を認めることができます。共犯独立性説は、共犯者の意思の危険性を重視することによって、その意思が教唆・幇助という行為によって表明されていることを根拠に共犯の成立を認めます。
 共犯従属性説は、共犯は正犯と無関係に成立することはありません。犯罪の結果を発生させるために、他人を教唆するような行為を行えば、犯罪的な意思が表明されているといえますが、正犯が犯罪の実行に着手していなければ、法益侵害の危険性は発生しないので、実害はまだ生じていません。共犯の成立には、少なくとも正犯が犯罪の実行に着手していることが必要でしょう。共犯従属性説は、犯罪は法益を侵害することであり、それと直接的な因果性を持っているのが正犯であり、間接的な因果性を持っているのが共犯だと考えます。したがって、少なくとも正犯が犯罪の実行に着手していることが、共犯の成立に必要です。
 記述の内容は、正しい。


(2)共犯従属性説は、教唆犯の成立につき正犯の有責性まで必要するとはかぎらない。
→共犯は正犯の実行に従属します。例えば、XがYを教唆してAから金銭を奪わせた場合、Yに窃盗罪(正犯)が、Xには窃盗罪の教唆犯が成立します。これに対して、Aから金銭を奪うに至らなかった場合、Yには窃盗未遂罪(正犯)が、Xには窃盗未遂罪の教唆犯が成立します。共犯は正犯の実行に従属して成立するという場合、未遂犯が処罰される犯罪の場合、この「実行」には「実行の着手」が含まれます。
 では、Yが刑事未成年(14歳未満)である場合、Yの行為は窃盗罪ないし窃盗未遂罪の構成要件に該当する違法な行為を故意に行っていますが、刑事未成年なので、責任能力が認められず、処罰されません。この場合、Xには窃盗罪または窃盗未遂罪の教唆犯が成立するでしょうか。共犯従属性説における「従属性」は、正犯が実行した行為の構成要件該当性、違法性、有責性に従属すると解すると(極端従属形式)、Yは有責ではないので、Xには窃盗罪などの教唆犯は成立しません。YもXも不処罰です。ただし、XはYを道具のように利用して窃盗を行ったと認定し直して、窃盗罪の間接正犯を認めることができます。
 ただし、共犯は、正犯が実行した行為の構成要件該当性と違法性に従属するだけでよい(制限従属形式)、あるいは構成要件該当性にだけ従属する(最小従属形式)と解すると、Xには窃盗罪などの教唆犯が成立します。このように、教唆犯の成立につき正犯の有責性まで必要する学説ばかりではありません。
 記述の内容は、正しい。


(3)共犯従属性説によれば、教唆の未遂は認められないが、従犯の未遂は理論上認められる。
→教唆の未遂とは、他人を教唆して犯罪を実行させようとしたが、実行に着手しなかった場合です。教唆自体が未遂に終わった場合です。これに対して未遂の教唆とは、他人を教唆して犯罪を実行させようとし、実行に着手させたが、未遂に終わった場合です。正犯が未遂に終わっていますので、教唆者には未遂罪の教唆が成立します。
 従犯の未遂とは、幇助の未遂のことです。正犯を幇助しようとしたが、正犯が実行に着手しなかった、あるいは正犯が無関係に犯罪を実行したような場合です。これに対して未遂の幇助とは、正犯を幇助したが、正犯は実行に着手するにとどまった場合です。正犯が未遂に終わっていますので、幇助者には未遂罪の幇助が成立します。
 問題は、教唆の未遂と幇助の未遂です。刑法では、教唆犯について「人を教唆して犯罪を実行させた」(刑61)と規定されているので、教唆犯は正犯の実行に従属するというのは当然ですが、幇助犯については「正犯を幇助した」(刑62)と規定されているので、「実行」という要件がないので、正犯が実行していなくても、幇助犯が成立するような理解ができるかのように思われがちです。しかし、正犯とは犯罪を実行したから正犯になるわけであって、犯罪を実行していないのに、幇助犯が成立するというのは理論的にはありえません。したがって、共犯従属性説によれば、正犯が実行に着手していなければ、教唆も幇助も成立しません。
 記述の内容は、誤りです。


(4)共犯独立性説は、教唆の成立には正犯の実行を必要としない見解である。
→共犯独立性説は、共犯は正犯から独立して成立する、正犯が実行していなくても成立する、正犯が実行していても、それとは無関係に成立するという考えです。(3)で説明したように、刑法61条・62条は、正犯の実行が教唆・幇助の成立要件なので、共犯独立性説は、現行刑法には適しない考えです。ただし、破壊活動防止法のような治安刑法や自衛隊法の罰則には、教唆それ自体を処罰する規定があるので、特別刑法には例外的に共犯独立性説の立場から定められた独立教唆罪があります。


(5)共犯独立性説は、教唆自体の未遂を認める見解である。
→共犯従属性説によれば、人を教唆して犯罪を実行させようとしたが、実行に着手しなかった場合、正犯は未遂でさえないので、不処罰です。教唆者は、教唆自体が未遂に終わっているので、不処罰です。これに対して共犯独立性説に立つと、教唆が未遂に終わっていても、処罰される場合があります。例えば、人を教唆して殺人や窃盗などの未遂犯が処罰される犯罪を実行させようとしたが、実行に着手しなかった場合、殺人未遂や窃盗未遂の教唆が成立します。
 では、未遂が処罰されない器物損壊罪のような犯罪を教唆した場合はどうなるでしょうか。器物損壊罪の教唆の未遂が成立するでしょうか。この問題については、共犯独立性説の論者に答えてもらわなければ分かりませんが、教唆という行為も犯罪の一種であり、教唆を開始すれば、教唆の実行の着手にあたるので、正犯が実行していなくても、教唆の未遂というものを観念することができます。ただし、刑法には教唆の未遂を処罰する規定はありません。そうすると、教唆の未遂が処罰されるのは、少なくとも未遂が処罰される犯罪の場合だけで、未遂が処罰されない器物損壊罪のような犯罪を教唆しても、器物損壊罪の教唆の未遂は成立しないでしょう。
 記述の内容は、正しい。


NO.52 共犯の処罰根拠と違法の連体性
 共犯の処罰根拠と違法の連帯性に関する次の【記述】中の①から⑤までの( )内に、後記の【語句群】から適切な語句を入れた場合、(①)および(⑤)に入るものの組合せとして正しいものは、後記1から5までのうちどれか。なお。文章中の「共犯なき正犯」とは、共犯行為が違法でなくても正犯行為は違法とすることをいい、「正犯なき共犯」とは、正犯行為が違法でなくても共犯行為は違法とすることをいうものとする。
→共犯は正犯の実行に従属して成立します。さらに、共犯は正犯の構成要件該当性と違法性に従属して成立するという「制限従属形式」が通説といわれています。つまり、共犯は、正犯の構成要件該当性と違法性に従属=連帯しているということです。
 正犯は共犯の存在とは無関係に成立することができるので、共犯なき正犯という場合はありえます。しかし、共犯は正犯の存在とは無関係には成立しないので、正犯なき共犯というものはありえません。共犯独立性説に立たない限り、それは認められません。
 このような制限従属形式の考えに基づいて正犯と共犯の違法性の連帯について理解することが必要ですが、複雑な犯罪に関して、学説の争いがあります。それを正確に理解することが必要です。


【記述】
 「共犯の違法性につき、(①)とする見解がある。これによると、『正犯なき共犯』も、『共犯なき正犯』も認められるということになり、甲が乙に対して自傷行為をするう唆したところ、乙はそれに従いナイフで自分の腕を刺し、全治2ヵ月の傷を負ったという事例Ⅰにおいて、甲に傷害罪の教唆犯が成立することになる。しかし、この見解に対しては、(②)という批判がなされている。そこで、共犯の違法性につき(③)とする見解や、(④)とする見解が主張されており、これらによると先の事例では甲に傷害罪の教唆犯は成立しないことになる。ただ、これらの両見解も、甲が乙に対して甲の身体に傷害を負わせるよう頼んだところ、乙はそれに従い甲の腕をナイフで刺し、甲に全治2ヵ月の傷害を負わせたという事例Ⅱにおいては、その結論を異にする。前者の見解からは、『正犯なき共犯』は認められないが、『共犯なき正犯」は認められるということになり、この事例でも甲に傷害罪の教唆犯は成立しない。これに対し、後者の見解からは、『正犯なき共犯』も『共犯なき正犯』も認められるということになり、この事例では傷害罪の教唆犯の成立が認められる。後者の見解は、人による違法の相対性を原則的に否定する客観的違法性論に立って、違法の連帯性を貫徹させるものであるが、この見解に対しては、(⑤)という批判が向けられている。


→共犯が処罰される理由(共犯の処罰根拠)をめぐって、堕落説と惹起説の間で対立があります。堕落説とは、共犯は教唆・幇助という行為によって正犯を犯罪の世界に引き込んで堕落させ、構成要件に該当する違法な行為を行わせた(違法共犯論)、あるいは構成要件に該当する違法で有責な行為を行わせた(責任共犯論)から処罰されるという考えです。この学説によれば、犯罪結果を発生させたのは正犯であって、共犯ではないと考えます。そうすると、正犯の違法性と共犯の違法性との間には連帯・従属関係はないことになります。共犯独立性説の考えに親和的です。これに対して、惹起説とは、共犯は正犯を介して犯罪結果を惹起したから処罰されるという考えです。この学説によれば、犯罪結果を直接発生させたのは正犯であるが、共犯正犯の行為を介して間接的に結果を発生させたので、正犯の違法性と共犯の違法性との間には連帯・従属関係があると解します。共犯従属性説の考えに親和的です。現在では、惹起説が有力です。
 惹起説はさらに純粋惹起説、修正惹起説、混合惹起説の3説に分かれます。
 純粋惹起説は、共犯は正犯に従属して成立するという立場に立ちながら、共犯の違法性は、共犯行為それ自体の違法性であって、正犯の違法性と異なる場合のあることを認めます。正犯の行為が殺人罪にあたり、正当防衛(違法性阻却)または過剰防衛であっても(違法性の減少)、教唆者が説得的加害意思があれば、殺人罪の教唆の違法性は阻却も減少もしないことを認めます。従って、正犯なき共犯を認めます。その逆の場合、例えば正犯には積極的加害意思があったので違法性阻却されないが、共犯は正当防衛を教唆した場合、共犯の違法性が阻却される場合があります。純粋惹起説は、正犯なき共犯だけでなく、このように共犯なき正犯も認めます。
 修正惹起説は、共犯は正犯に犯罪を実行させるので、共犯の違法性は正犯の違法性によって根拠づけられると解します。したがって、共犯それ自体の違法性というものを否定します。修正惹起説の「修正」は、純粋惹起説が主張する共犯それ自体の違法性を修正し、共犯の違法性を正犯の違法性によって根拠づけることを意味します。そうすると、正犯の違法性が阻却されたり減少すれば、共犯の違法性も同じように阻却・減少します。正犯がなければ共犯もありません。したがって、共犯がなければ正犯もないことになります。ただし、それは判例の考え方に合致しません。
 混合惹起説は、共犯の違法性は、共犯それ自体の違法性と正犯の違法性の2つによって根拠づけられると考えます。正犯の違法性が阻却されれば、共犯の違法性も阻却されるので、正犯なき共犯を否定します。ただし、共犯がなくても、正犯の成立を肯定します。


【語句群】
ア 共犯は正犯者を通して間接的に法益を侵害するものであり、共犯の違法性は共犯行為自体の違法性と正犯行為の違法性の双方に基づく
→混合惹起説(③)
イ 共犯は共犯者自身がみずから刑法各側で保護されている法益を侵害するものであり、共犯の違法性は共犯行為自体の違法性に基づく
→純粋惹起説(①)
ウ 共犯は正犯が法益を侵害するのに加担するものであり、共犯の違法性は正犯行為の違法性に基づく
→修正惹起説(④)
エ 必要的共犯で処罰規定がおかれていない者やおとり捜査の不可罰性を基礎づけることが困難になる
→麻薬捜査官Xが薬物常習者を装って売人Yに接近し、麻薬の販売を行わせようとして、逮捕した場合、Yは麻薬の有償譲渡未遂罪の正犯ですが、修正惹起説によれば、Xはその教唆犯になってします。(⑤)
オ 真正身分犯に関し、非身分者が身分者に加功した場合に非身分者も身分犯の共犯として処罰される旨を規定する、刑法第65条第1項を合理的に説明できない
→(②)
NO.058 未遂の教唆
 「甲は、はじめから未遂に終わらせる意図で、致死量の約半分の量の薬物を乙に渡し、その薬物を飲ませて丙を殺害するよう依頼したところ、乙は殺意をもって丙にその薬物を飲ませたが、丙はひどい下痢をしただけで生命に別条はなかった」という事案における甲の罪責に関し、次のⅠおよびⅡの【結論】があるものとして、学生AからFまでがそのいずれかの結論を採ったうえで【意見】を述べている。異なった結論を採っている学生を組み合わせたものとして正しいものは、後記1から5まのでうちどれか。なお、本問では、乙には殺人未遂罪が成立するものとする。
→乙は、殺意を持って、丙に薬物を飲ませ、下痢に症状を引き起こしました。たとえ致死量の約半分であっても、乙は行為時において致死量に達していると認識しており、また一般人もそのように認識しえたと思われるので、殺人罪の実行の着手を認めることができます。そうすると、乙には殺人未遂罪が成立します。
 甲は、致死量の半分であることを知っていたので、乙が殺人未遂に終わることを認識していました。つまり、丙が死ぬことはないと認識していました。このような認識は、一方では「乙に殺人未遂に終わらせる認識」であり、他方では「乙に殺人に至らない健康被害を発生させる認識」です。
 教唆とは、人を唆して「犯罪」を実行させることですが、教唆の故意とは、人に「犯罪=既遂」を行わせる認識を指すのか、それとも「犯罪=既遂および未遂」を行わせる認識なのでしょうか。正犯が殺人未遂に終わることを知りながら、殺人未遂を行わせた場合、殺人未遂の教唆の成立を認める可罰説が主張されていますが、不可罰説は、犯罪を既遂に限定し、このような未遂の教唆の成立を否定します。この場合、甲の認識を傷害罪の教唆の故意として扱います。
【結論】
Ⅰ 甲に殺人未遂罪の教唆犯が成立する。→可罰説
Ⅱ 甲に傷害罪の教唆犯が成立する。→不可罰説
【意見】
学生A 僕は、共犯の処罰根拠について因果的共犯論を採るので、教唆犯の故意が成立するためには、結果発生の認識が必要だと思うけれど、そこにいう結果とは、法益侵害の危険をも含めて考えることができるから、そのような危険の発生を認識していれば、教唆犯の故意が成立するということができるよ。
→Aは因果的共犯論の立場に立っています。教唆の故意は、結果発生の認識だといいます。ただし、この結果発生の認識とは、法益侵害の危険性という未遂をも含むといいます。そのような危険性を認識していれば、教唆犯の故意、すなわち未遂犯の教唆の故意が成立するといいます。
AはⅠの結論をとります。
学生B 共犯の実行従属性については共犯従属性説が妥当だよ。だから教唆行為は実行行為ではなく、「実行行為を生ぜしめる行為」であり、この点についての認識があれば教唆犯の故意が認められると思う。
→Bは、共犯は正犯の実行に従属するという共犯従属性説に立ちます。正犯の実行とは、犯罪結果を発生させる行為であり、教唆それ自体は、そのような行為ではないので、教唆は犯罪の実行行為ではないといいます。教唆は、あくまでも正犯に実行行為を行わせる行為にとどまります。共犯が、正犯に殺人罪の実行行為を行わせる認識があれば、殺人罪の教唆をしたことになり、殺人罪が未遂に終わっていれば、殺人未遂罪の教唆が成立します。
BはⅠの結論をとります。
学生C 僕は、共犯の実行従属性については共犯独立性説を採り、教唆行為自体が1つの実行行為であると考えるので、教唆犯の故意については、正犯の場合と同様の認識あるいは予見が必要だと思うよ。
→Cは、共犯独立性説の立場に立ちます。共犯は、正犯の殺人未遂とは別に、それから独立して成立します。甲が薬物が致死量の半分であると認識し、丙は死亡しないと思っていたので、その認識は傷害罪の教唆の認識でしかありません。そうすると、傷害罪の教唆しか成立しません。なお、この立場は、その薬物では人を殺せないにもかかわらず、甲は殺せると思って乙に渡し、乙は殺せないことを知りながら丙に飲ませ下痢にした場合、乙は傷害罪の正犯であり、甲は殺人未遂の教唆犯になります。
CはⅡの結論をとります。
学生D 共犯の処罰根拠については責任共犯論が妥当であるが、未遂に終わらせる意図で教唆した場合も、他人を堕落させる意思があり、教唆犯の故意に欠けるところはない。
→責任共犯論によれば、共犯の処罰根拠は、正犯を教唆・幇助して、犯罪の世界へ引きずり込み、堕落させて、犯罪を実行させることにあります。正犯が殺人未遂を行っている以上、教唆者には殺人未遂の教唆共犯が成立します。
DはⅠの結論をとります。
学生E 僕は、共犯の実行従属性については共犯独立性説を採るけれど、この見解の実質は、正犯の実行の着手がなくても共犯を未遂として処罰しうるという考え方であるかた、「犯罪行為に引き込む認識」があれば、共犯の故意は存在すると考える。
→Eは、共犯は正犯に独立して成立するという立場に立った上で、共犯の処罰根拠は、正犯を犯罪行為に引き込むことにあると述べています。その犯罪行為とは、乙から見れば殺人未遂罪です。甲にその認識がある以上、殺人未遂罪の教唆が成立します。
EはⅠの結論をとります。
学生F 僕は、共犯の処罰根拠について因果的共犯論を採るので、結果発生の認識がなければ教唆犯の故意は認められないと考える。そこにいう結果には、法益侵害の危険も含めて考えることができるから、危険は生じるが結果は発生しないという認識があるときには、正犯の場合ならば故意があるとはいわない以上、教唆犯の場合も故意はないと解すべきである。
→Fは、因果的共犯論に立ち、人を教唆して犯罪を実行させる教唆の場合の「犯罪」とは、法益侵害結果だけでなく、その危険も含まれると解しています。正犯が、生命の危険は生ずるが、死亡結果は発生しないと認識している場合、正犯には殺人の故意はありません。これは共犯の場合も同じだといいます。従って、甲には傷害罪の教唆の故意にとどまります。
FはⅡの結論をとります。


(1)AとB (2)BとD (3)CとE (4)CとF (5)DとE →(3)


Nо.059 幇助犯
 幇助犯に関する次のアからオまでの各記述を判例の立場に従って検討し、正しい場合には1を、誤っている場合には2を選びなさい。


ア 従犯が成立するためには、従犯者に、正犯の行為を認識してこれを幇助する意思があるのみでは足りず、従犯、正犯間の相互の意思連絡を必要とするが、このような相互の意思連絡は、正犯行為についてなんらかの意思連絡があれば認められる。
→共犯は正犯に従属して成立します(共犯従属性説)。教唆は、「人を唆して犯罪を実行させる」(刑61)ことです。この「唆す」(そそのかす)というのは、人に犯罪を行うようけしかけたり、誘惑したりする行為です。正犯は、教唆者にけしかけられていること、誘惑されていることを認識しています。したがって、教唆犯と正犯の間には相互の意思連絡があるといえます。
 これに対して、幇助の場合、「正犯を幇助する」(刑62)ことです。正犯が幇助者に手助けされていることを認識している場合もあるでしょうが、そうでない場合もあるでしょう。会社の事務所に侵入しようとしているXのために、Yが会社への恨みを晴らすために、密かに事務所のドアの鍵を開けたままにしたので、Xの建造物侵入罪が容易になった場合、XはYに手助けされていることを知りません。このような幇助を「片面的幇助」といいますが、正犯Xと幇助犯Yとの間に何らかの意思連絡がなければ、幇助犯が成立しないと解すると、Yには幇助は成立しません。判例は、幇助の場合については意思連絡が不要と解して、片面的幇助を認めます。
アの内容は、間違っています。


イ 従犯が成立するためには、犯罪の遂行に便宜を与え、これを容易ならしめることで足り、その遂行に必要不可欠な助力を与えることを必要としない。
→幇助は、正犯を助けることです。助けるというのは、犯罪の実行を決意している人を物理的または心理的に援助することです。それには様々なものがありますが、犯罪の遂行に必要なものであれば、援助にあたります。不可欠なものであることは必ずしも必要ではありません。促進効果で足ります。その限りにおいて、幇助は正犯の結果に対して因果性を持っていることを要します。
イの内容は、正しい。


ウ 甲が、乙またはその得意先が公然陳列するであろうことを知りながら、わいせつ映画フィルムを乙に貸与したところ、乙の得意先である丙が乙から当該フィルムの貸与を受けて、上映により公然陳列した場合、甲の行為は丙の犯行に直接関与するものではないから、甲にわいせつ物公然陳列財の従犯は成立しない。
→これはいわゆる間接幇助の問題です。刑法61条には教唆が、62条には幇助が定められています。61条2項には、いわゆる間接教唆の規定があります。間接教唆とは、教唆者を教唆した者のことです。XがYに対して、対立する組織のトップAに傷害を負わせるよう命じたところ、YはZにそれを実行させるよう命じ、ZにAを負傷させた場合、Zは傷害罪の正犯であり、Yはその教唆犯です。Xは、この場合、Yの教唆犯になります。
 では、Xが、対立する組織のトップAに傷害を負わせようとしているYに対して武器などを援助したところ、YはZもまた同じことを考えていることを知り、その武器をZに貸し与えて、Aを負傷させた場合、Zは傷害罪の正犯であり、Yはその幇助犯です。XはYの幇助犯になるでしょうか。刑法62条には、間接幇助の規定はありません。従って、間接幇助は処罰しない趣旨であると思われます。しかし、判例では、間接幇助を認めています。条文にない類型なので、それを処罰することは問題であると批判されていますが、正犯の実行にとって重要な幇助(武器の貸与)であることを理由に、間接幇助が認められています。
ウの内容は、間違っています。


エ 幇助罪の個数は正犯の罪の個数によって決定されるが、幇助罪が数個成立する場合に、それらが刑法第54条第1項にいう1個の行為によるものであるか否かは、幇助行為それ自体についてみるべきである。
→Xが、YとZに対して、1個の行為によって、それぞれの犯罪を幇助した場合、XにはYの犯罪の幇助犯とZの犯罪の幇助犯の2個の幇助犯が成立します。この2個の幇助犯の関係は、幇助行為の個数を基準にして判断されます。幇助行為が1回しか行われていない場合には、2個の幇助犯は、刑法54条1項前段の観念的競合にあたります
エの内容は、正しい。


オ 乙が強盗の目的でAを殺したことを知りながら、甲がその後の乙の強取行為を幇助した場合、あくまで甲は強盗罪の幇助をしたにとどまり、殺人については何ら幇助をしていないのであるから、甲に強盗殺人罪の従犯は成立しない。
→この問題は、承継的共犯のうちで幇助の成否が争点です。まず承継的共同正犯を復習しておきます。
 乙が強盗の目的でAに暴行を加え、事情を知った甲が分け前にあずかるために、乙と共同してAから財物を奪取した場合、承継肯定説からは、甲と乙に強盗罪の承継的共同正犯が成立します。
 乙が強盗の目的でAを殺害し、事情を知った甲が、乙に協力するために、乙の財物奪取を手助けした場合、承継肯定説からは、強盗罪の承継的幇助が成立するのでしょうか、それとも強盗殺人罪の承継的幇助が成立するのでしょうか。大正時代の判例には、強盗殺人罪の幇助を認めたものがあります。
 判例が強盗殺人罪の幇助を認めた理由は明らかではありませんが、おそらく犯罪共同説の考えがあるからだと思います、共同正犯とは犯罪の共同正犯であり、故意犯の共同正犯です。共同正犯が成立する罪名は同じものでなければなりません。この考えを共犯に応用すると、正犯のところで成立する犯罪に対して共犯が成立するので、共犯の罪名も正犯の犯罪の罪名と同じになります。世犯のところで強盗殺人罪が成立しているなら、それを承継的に幇助した者には強盗殺人罪の幇助犯が成立します。
オの内容は、間違っています。
*ただし、甲は、乙の財物奪取を容易にしただけで、殺人を容易にしたわけではありません。部分的犯罪共同説の理論を応用して、乙の強盗殺人罪の正犯と甲の強盗罪の幇助犯の構成要件の重なる部分の強盗罪の幇助が成立すると解することもできるように思います。


Nо.060 幇助犯の因果関係


 次の【事例】について、後記アからウまでの各【見解】を採って、甲乙の行為とABの死亡結果との間に因果関係があるかどうかを検討した場合、甲、乙の両者に因果関係を認める【見解】として正しいものは、後記1から5までのうちどれか。


【事例】
 Xは、Aの自宅に侵入して同人を殺害し、金品を強奪する計画を立てた。この計画を知ったAの家政婦・甲は、Aに恨みをいだいていたため、Xの犯行を助けようと、同人にA宅の合鍵を手渡した。翌日深夜、合鍵を得て犯行への意を強くしたXがA宅のドア前まで赴いたところ、たまたまAがドアの鍵を閉め忘れており、ドアには鍵がかかっていなかったため、XはそのままA宅に侵入して、Aを殺害し、金銭等を奪った。
 さらに後日、Xは、Bを宝石取引名目で誘い出して、同人所有の普通乗用車に同乗させ、走行中の車内においてBを殺害して現金等を奪うことを企てた。たまたまXの計画を知ったBの秘書乙は、Bの人使いの荒さから同人に対して恨みをいだいていたため、Xの犯行を助けようと考え、Xには秘密で、Bが普段から持ち歩いているお茶の入った水筒に睡眠薬を混入した。BはXに会う直前に水筒のお茶を飲んだことにより意識が朦朧としていたため、ほとんど抵抗することもできないままXに刺殺された。


→甲は、Xが強盗罪を行うために、A宅の合い鍵を渡しています。それによって、Xは犯行への意を強くしました。甲の行為は、Xの強盗に対して心理的因果性を有しています。Xがその鍵を使ってAの家に入ったのであれば、甲の行為はXの強盗罪に対して物理的因果性を有しています。しかし、A宅の玄関ドアは、Aが鍵を閉め忘れたため、開いたままでした。したがって、甲がXに合い鍵を渡した行為は、Xの強盗罪に物理的因果性を有していません。ただし、心理的因果性を及ぼしているので、その限りにおいて幇助が成立します。


 乙は、Xの強盗殺人を手助けするために、Bに睡眠薬入りのお茶を入れた水筒をXに渡し、Xはそれを飲みました。Bはそのために意識がもうろうとし、XはそのおかげでBの抵抗にあうことなく、殺すことができました。乙は、たまたまXの犯行計画を知りました。乙は、Xとは無関係に、Xの犯行を手助けしようとしただけです。そのことをXは知りませんでした。このような場合、乙の行為が甲の強盗殺人罪に物理的な因果性を及ぼしている場合には、強盗殺人罪の幇助が成立します。なお、この事案は、承継的幇助の事案ではありません。


【見解】
ア 幇助行為が正犯の実行を物理的または心理的に容易にし、または促進したと認められる場合に因果関係が認められる。片面的幇助については、物理的因果性が存在する場合には肯定される。
→甲は、XにA宅の合鍵を渡したことによって、Xの犯行はどのようになったでしょうか。ドアは開きっぱなしだったので、Xの犯行は、甲の行為によって物理的に容易になったとはいえません。しかし、甲がXに合い鍵を渡したことによって、Xは犯行の意を強くしたので、心理的な因果性が及んでいます。甲の幇助の因果性を認めることができます。


 乙は、Xとは無関係に、Xの犯行を容易にするために、Bに睡眠薬入りのお茶を飲ませました。そのおかげでXはBの抵抗を受けることなく、殺人を行えたので、乙の行為はXの犯行を物理的に容易にしたといえます。


アの見解は、甲と乙の幇助の因果性を認めます。


イ 幇助の因果性の内容は、意思の疎通による心理的因果性であり、従犯と正犯との間に意思の疎通があれば、因果関係は認められる。
→正犯と幇助犯との間に意思疎通・意思連絡を求めるような幇助概念もありうると思いますが、そのような幇助概念からは、甲の行為に幇助の心理的因果性を認めることができても、乙の行為にそれを認めることはできません。


イの見解は、甲の幇助の因果性を認め、乙の因果性を認めません。


ウ 幇助行為と正犯結果との間に因果関係が必要であるが、その因果関係の内容としては、事後的に見て危険の増加が認められることで足りる。
→甲は、XにA宅の合い鍵を渡しましたが、それは結果的に(事後的に見て)Xの犯行の危険性・確実性を増大させるものではありませんでした。ウの見解に従うならば、甲の行為はXの強盗罪の幇助とはいえなくなります。


 乙の行為は、事後的に見て、Xの犯行の危険性・確実性を高めているので、ウの見解によれば、幇助の因果性が認められることになります。


ウの見解は、甲の幇助の因果性を否定し、乙の因果性を肯定します。


1アイウ 2アイ 3イウ 4ア 5ウ
→4ア