Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

2017年度刑法Ⅰ(第07回)刑事判例資料

2017-05-22 | 日記
【44】事実の錯誤と法律の錯誤(1)(最二判昭和26・8・17刑集5巻9号1789頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、養鶏業、養兎業を営んでいたが、野犬により被害を受けたため、養鶏業を中止せざるをえなくなった。養兎業はなんとか継続していたものの、その「種兎」が野犬にかみ殺され、さらに標本製造用の皮類まで被害を受けたため、防止策として、養兎小屋前に罠を仕掛けた。
 翌朝、首輪はつけているものの、「鑑札」(首輪に付けられたキーホルダー型の札。注射済みと書かれている)のないポインター種らしき犬が罠にかかっていた。
 大分県の「飼犬取締規則」によると、警察等は、獣疫その他危害予防のため、必要なときには「無主犬」の撲殺を行うことが許されているが、被告人は、無鑑札で飼い主が不明の犬は「無主犬」とみなされると信じて、その規則を誤解して、犬を撲殺し、皮をはいで、なめしにした。

 原審は、(犬の飼主に対する)器物毀棄罪と窃盗罪の併合罪を認め、被告人に懲役4月執行猶予3年に処した。弁護人は、被告人が「無鑑札の犬」は「無主犬」と信じて行ったので、他人の器物を損壊している認識はなかったし、また「無主犬」の死体は一般に経済的価値があるものと考えられていないので、他人の器物を窃取している認識もなかったとして、器物の損壊および窃盗の故意はないと主張して、上告した。

【争点】
 被告人は、犬を撲殺して、その皮を自己の物にした。その認識もあった。しかし、その犬が他人の飼犬であることの認識はなかった。それゆえ、他人の器物を損壊したことについて、また他人の財物を窃取したことについて認識はなかった。このような場合、器物損壊と窃盗の認識=故意があったといえるか。

【裁判所の判断】
 被告人の各供述によれば、被告人は、本件犯行当時、判示の犬が首輪はつけていたが、鑑札をつけていなかったので、それが他人の飼い犬であっても、無主の犬と見なされるものであると信じて、これを撲殺するにいたった旨弁解していることが窮知できる。そして、大分県令第27号1条には、飼い犬の証票なく、かつ飼い主が明らかではない犬は無主犬と見なす旨の規定があるが、これは同令7条の警察官吏などが獣疫などの予防のために無主犬の撲殺を行う旨の規定との関係上設けられたものであって、私人が無主犬と見なされる犬を撲殺することを容認したものではない。被告人は、この規則を誤解して、鑑札をつけていない犬は、たとえ他人の犬であっても、直ちに無主犬と見なされると誤信したというのであるから、判示の犬が他人所有に属する事実について認識を欠いていたものと認める場合であったかもしれない。そうであるならば、被告人がその犬が他人の飼い犬であることを判っていた旨の供述をもって、直ちに被告人が判示の犬が他人の所有に属することを認識しており、本件について犯意があったものと判断したことは、刑法38条1項の解釈適用を誤った結果、犯意を認定するについて、審理不尽の違法があったものといわざるをえない。

【解説】
 人を殺してはならない、他人の財物を盗んではならない、それを壊してはならないというルールは、いつの時代でも、どの国でも、社会的に定着し、法によって遵守することが義務づけられている。それを破った者には、刑罰が加えられることも定着している。このようにいつの時代にも、どの社会でも禁止される犯罪を自然犯という。これに対して、制限速度違反や駐車禁止違反のように、特定の社会・行政目的を実現するために、刑罰によって禁止される犯罪を行政犯という。

 そのような行為を犯罪として処罰するためには、行為者が客観的にその行為を行なったという事実だけでなく、行為者にその認識=故意があったことが必要である。刑法は、罪を犯す意思がない行為は罰しないと定め、犯罪として処罰されるのは、原則的に故意による犯罪であるとしている(刑38①)。

 では、故意が成立するためには、行為者がどのような事柄を認識していることが必要か。自分の行為が犯罪にあたることの認識が必要である。つまり、自分の行為が違法であり、法によって禁止され、処罰されることを認識していなければならない。自然犯であれば、当該事実を認識していれば、違法であることの認識を得られるが、法定犯の場合、事実の認識だけでは、違法性の認識にまでたどり着くことはできない。

 養鶏場の経営者が、ニワトリを食べる犬に困り、それを取ったり、撲殺した行為は、どのように評価されるのか。行為者が、その犬が「他人の所有物」であることを認識しながら、その行為を行なったのであれば、器物損壊、窃盗の違法性の認識があり、故意があったということができる。しかし、首輪を付けている犬は、基本的に所有者がいることを示しているが、鑑札がついていない場合には、所有者のいない物(無主物)として扱われ、そのような犬を殺害し、皮をはいでも、器物損壊罪、窃盗罪にはあたらないと誤信した場合、器物損壊罪、窃盗罪の故意があると言えるかどうかは、必ずしも明らかではない。

 本件は、行為者には、犯罪にあたる事実の認識がなかった。つまり、器物を損壊し、窃取している認識はあるが、それが他人の器物・財物であることを認識していなかった。従って、器物損壊罪と窃盗罪の故意があったとは認められないと判断した。


【45】事実の錯誤と法律の錯誤(2)(大審院大正14・6・9刑集4巻378頁)
【事実の概要】
 被告人は、狩猟期間中の大正13年2月29日、狸(タヌキ)2頭を発見し、それが洞窟の岩窟(がんくつ)に入ったので、その入口をふさぎ、狸が逃げられないようにした(第1行為)。
 被告人は、その後、狩猟が禁止され、狩猟禁止期間中の3月3日、岩窟の入口を開けて、猟犬に狸をかみ殺させた(第2行為)。
 被告人は、狩猟禁止期間の大正13年3月3日に狸2頭を捕獲した狩猟法違反の罪で起訴された。

 大審院は、次のような判断を示した。
 狩猟法上の「捕獲」は、第1行為で完了しているので、それが狩猟期間に行われている以上、被告人の行為は、狩猟法違反の罪にはあたらない。第2行為は、適法な捕獲行為が完了した後における、狸の処分行為に過ぎない。よって、被告人は、無罪である。
 かりに、第2行為があって初めて「捕獲」が完了するとしても、被告人は自分が捕獲したのは、当地では、十文字(ムジナ)と俗称されている動物であって、それは狩猟禁止獣である狸(タヌキ)ではないと認識していたと主張しいた点については、次のよう似判断した。

【裁判所の判断】
 被告人は、タヌキとムジナとが全く種類の異なる動物であると誤信し、当該動物はムジナであって、狩猟禁獣であるタヌキではないと誤信して捕獲した。従って、狩猟法が禁止するタヌキを捕獲しているとの認識が欠如していることは明らかである。学問的に見て、タヌキとムジナは同一の動物であるとしても、それを認識できるのは、動物学の知識を有する者だけで、タヌキ、ムジナの俗称は、昔から別の動物を指す言葉として用いられてきた。そのように昔から使われてきた名称に従って、タヌキとムジナは別物であると考え、タヌキを捕獲した者に刑罰を科すのは、当を得たものとはいえない。狩猟法が狩猟を禁止したタヌキであると認識していなかった被告人については、タヌキ狩猟の故意を阻却し、その行為を不問に付すのは当然のことである。

【解説】
 Aという存在が「A」という名称で呼ばれ、それが一般に定着しているところで、「許可なくAを捕獲する行為を禁止する」という法を制定した場合、それは一般の人々に理解され、その禁止規範は問題なく妥当する。Xが、目の前にいるAを許可なく捕獲しようとしたとき、Xは自分の行為がAを捕獲する行為であり、それは禁止され、処罰される行為であることを認識していることは明らかである。しかし、目の前にいるのがBという名称で呼ばれているものであると認識している場合、自分の行為が「Aの捕獲」にあたると認識できるかというと、それはできない。そのような場合、自分の行為が「A捕獲」という罪にあたると認識することはできない。つまり、A捕獲罪を犯す意思があるとはいえない。従って、Xには「A捕獲罪」の故意があるとはいえない。

 自分が行なっている行為が客観的には犯罪にあたるにもかかわらず、行為者がそれを認識していない場合がある。それは、次のように分類することができる。

 第1――Xが設置した網を取り上げて、軽トラックの荷台に乗せ、作業場まで運んだ。そのとき、網のなかに「タヌキ」が入っていたが、それを認識していなかったため、「タヌキ」を捕獲していることを認識していなかった。

 第2――Xが設置した網を取り上げて、軽トラックの荷台に乗せ、作業場まで運んだ。そのとき、網のなかに入っているのは「ムジナ」であり、それは「タヌキ」とは別種のものであると誤解したため、「タヌキ」を捕獲していることを認識していなかった。

 第3――Xが設置した網を取り上げて、軽トラックの荷台に乗せ、作業場まで運んだ。そのとき、網のなかに入っているのは「タヌキ」であり、この地方では「ムジナ」と呼ばれている動物であることを認識していた。

 第1の場合、そもそも動物を捕獲している事実を認識していないので、タヌキ捕獲罪の故意はない。第2の場合、動物を捕獲している事実の認識はあるが、その動物がタヌキであるとは認識していないので、タヌキ捕獲罪の故意はない(これが判例の事案である)。しかし、第3の場合、タヌキ捕獲の事実を認識しているので、タヌキ捕獲罪の故意を認めることができる。Xは、ムジナとはタヌキの俗称であることを知っていたのであるから、タヌキ捕獲の事実を認識していたといえる。

 第2の場合のように、Aという存在が、「A」ではなく、「B」という名称で呼ばれている場合は、B捕獲の事実の認識があっても、A捕獲の事実の認識を認めることはできない。これに対して、第3の場合のように、Aという存在が、「A」だけでなく、「B」という名称でも呼ばれている場合は、B捕獲の事実の認識があれば、A捕獲の事実の認識を認めることができる。

 「自転車の放置を禁ず」という立札が立てられている場所に「チャリンコ」を停めた場合、「チャリンコ」は、自転車の俗称であり、それは一般に知られているので、チャリンコを停めた事実を認識している場合には、「自転車の放置」の事実の認識があったと認定できる。


【46】事実の錯誤と法律の錯誤(3)(最三判平成元・7・18刑集43巻7号752頁)
【事実の概要】
 Bは、昭和41年3月、特殊公衆浴場の許可を県知事に申請して、その許可を得て、昭和41年6月から、特殊公衆浴場を経営していた。しかし、健康悪化を理由に、昭和47年12月、その子どもである被告人Xに対して、特殊公衆浴場を譲渡・相続した。Xは、この特殊公衆浴場の営業許可については、すでにBが行なっているので、改めて申請する必要はなく、名義をBから「X経営の会社」に変更するだけで足りると誤信して、許可申請事項変更届を県保健所を通じて、県知事に提出し、受理された。その後、Xは業として昭和56年4月まで同浴場を経営した。

 風俗営業法によると、特殊公衆浴場の経営にあたっては、県知事の許可が必要である。Bは、県知事から許可を得て経営していた。BがそれをXに相続した場合、営業許可の申請者の名義を変更するだけでなく、Xの会社が許可を得る必要があった。Xは、その経営する会社が営業許可をとらないまま、昭和47年12月から56年4月まで特殊公衆浴場を経営した。Xは、公衆浴場法の無許可営業罪で起訴された。

 第1審は、県知事による変更届の受理には明白かつ重大な瑕疵(かし)があり、行政行為として無効であり、Xは会社が許可を得ていないことを認識し、変更届が無効であることを認識していたとして、公衆浴場法の無許可営業罪の成立を認めた。

【裁判所の判断】
 Xは、Bから浴場を相続した後、被告会社の名義で営業許可を得たい旨を県議会議員を通じて県衛生部に陳情した。すると、衛生部課長補佐から、変更届と添付書類の書き方などの教示を受けて、これを作成し、県保健所に提出した。Xは、受理前から、課長補佐と保健所長から、県が受理する方針である旨聞かされていたので、県議会議員から受理されたことを連絡され、Xとしては、この変更届が受理されたことによって、会社に対する営業許可がなされたものと認識した。

 変更届が受理された昭和47年12月から昭和56年4月までの本件浴場の営業につき、Xには、無許可営業の故意が認められず、無許可営業罪は成立しない。

【解説】
 殺人や放火、窃盗のような自然犯については、それを行なっている事実の認識があれば、その罪を犯す意思を認めることができるが、特定の行政目的を達成するための行政規制の場合、その規制違反については、事実の認識があっても、その罪を犯す意思があると認めることができない場合がある。正式な許可申請をしていないことを認識しているが、名義変更だけで足りると誤信して、名義変更手続を行ったことで、許可申請に代わるものと誤信していた場合、無許可営業の故意が求められるか。

 本件で問題になったのは、特殊公衆浴場の許可に関する問題である。特殊公衆浴場の営業にあたっては、公衆浴場法の手続に基づいて、県知事の許可を受けなければならない。この許可は、営業する個人または法人(会社)が受けなければならない。許可を受けた個人や法人の所在地や連絡先など、許可申請の際に届け出た事項が変更された場合は、その変更届を出さなければならない。また、その特殊公衆浴場の施設を他に売却するなどして、新たな個人や法人がその経営を行なうような場合には、個人や法人が改めて公衆浴場法に基づいて県知事に営業許可を申請しなければならない。特殊公衆浴場の営業許可は、個人・法人単位で認められ、それは他の個人・法人に相続・譲渡することはできない。あらたな個人・法人が営業する場合、名義変更手続だけでは足りない。

 本件の被告人Xは、昭和47年12月に父親Bから相続し、その営業にあたって、公衆浴場法に従って、あらためて県知事から営業許可を新生して、許可を受けないまま、昭和56年4月まで営業した。Xの行為は、客観的に見て特殊公衆浴場の無許可営業の罪にあたる。では、その故意があったといえるか。

 Xは、Bから特殊公衆浴場を相続した後、Xが経営する会社の名義で、この公衆浴場の営業許可を得たい旨を県議会議員を通じて、県の衛生部に陳情した。そして、衛生部課長補佐から、「変更届と添付書類の書き方」など教えてもらって、これを作成し、県保健所に提出した。Xは、営業許可を受けたい旨を県議会議員に伝えて、その上で県の衛生部に陳情しているので、本人のところでは、「届出事項の変更届」をし、それが受理されれば、それによって営業許可が正式に受けられると認識していたものと思われる。しかも、申請の受理前から、課長補佐と保健所長から県が受理する方針である旨聞かされていたので、受理された後、Xとしては、この「届出事項の変更届」が受理されたことによって、Xの会社に対する営業許可がなされたものと認識したと考えられる。

 Xは、このような手続に基づいて、Bから相続した特殊公衆浴場を昭和47年12月から昭和56年4月まで営業したが、その認識は「無許可営業」の認識といえるだあろうか。判例は、Xの無許可営業の故意を否定した。これは、Xは無許可営業の事実の認識を欠いていたいう「事実の錯誤」を理由に故意を否定する判断である。

 この事案は、Xは、無許可で営業した事実を認識しながら、それが許されると誤解した「法律の錯誤」ではない。


【47】規範的構成要件要素の認識(最大判昭和32・3・13刑集11巻3号997頁)
【事実の概要】
 出版社社長Xは、D・H・ロレンス著『チャタレイ夫人の恋人』の翻訳・出版を企画し、Yにその翻訳を依頼し、その内容に性的描写のあることを知りながら、これを出版した。XとYは、わいせつ文書販売罪起訴された。
 第1審は、本件翻訳書がわいせつ文書に該当するとして、Xに有罪、Yには共犯は成立しないとして無罪を言い渡した。これに対して検察官とXが控訴した。第2審は、Xが出版した翻訳書は客観的に見てわいせつ文書に該当することを認めた上で、わいせつ文書販売罪の故意の成立について、本書の内容として性的な描写が記載されているることを認識し、その翻訳書を販売することの認識があれば、本罪の故意として足り、その性的描写がわいせつ性を有するという価値判断について認識している必要はない、つまり当該翻訳書が「わいせつ文書」に該当することの認識は必要ではないと判断した。従って、Xが当該翻訳書がわいせつ文書に該当しないと錯誤していても、それは刑法38条3項によって刑を減軽することはできても、刑法38条1項の罪を犯す意思がなかったとすることはできないとして、X・Yにわいせつ文書販売罪の共同正犯の成立を認めた。
 これに対して、X・Yが上告した。

【裁判所の判断】
 刑法175条の罪における犯意の成立については、問題となる記載が存在することを認識し、これを頒布販売することを認識していれば足り、これが記載された文書が同条所定のわいせつ性を具備することの認識まで必要ではない。かりに主観的に刑法175条のわいせつ文書に該当しないと誤信して文書を販売しても、販売した文書は客観的にわいせつ性を有しており、その錯誤は主観的には法律の錯誤であり、犯意の成立を阻却するものではない。問題となる記載が存在することを認識していた以上、わいせつ性に関して完全に認識していたとか、未必的な認識にとどまっていたとか、また全く認識していなかったというのは、刑法38条3項の但書の情状の問題にすぎず、犯意の成立には関係ない。従って、この趣旨を認める原判決は正当である。

【解説】
 犯罪の客観的構成要件は、行為主体と行為、行為客体と法益侵害結果、行為と結果の因果関係から成り立っている。その要素のうち、行為客体につき、事実的な要素と規範的な要素の二種類がある。

 事実的要素とは、「人」のように、条文に書き表された事実的なものである。目の前にいる「A君」が「人」にあたることは、事実の問題として誰にでも容易に認識できる。

 規範的要素とは、「わいせつ文書」のように、条文に書き表されているが、必ずしも事実的なものではない。裸体の写真が掲載された雑誌が目の前にある場合、それが「文書」にあたると認識できても、「わいせつ文書」にあたるという認識は自動的に得られるものではない。「わいせつ」とはどのような意味かという価値基準を理解していなければ、容易に認識することはできないからである。これは「雑誌である」という事実の問題を超えた、その雑誌の性質の問題である。「わいせつ文書」は、このような意味から規範的構成要件要素と呼ばれている。

 女性や男性の裸体を写した写真集などの場合、事実の問題としては「裸体の写真集」であると認識できても、それが「わいせつ文書」であると認識できるためには、「わいせつ」とは何かという基準に照らして判断することになる。裸体の写真が掲載されていれば、「やや問題のある写真集」という認識を得られても、それだけでは「わいせつ文書」という認識にはたどりつけない。裸体の写真集にも、健康美を映し出したもの、肉体的芸術美を描いたもの、好色的趣旨を含んだもの、そしてわいせつな写真集があり、刑法で禁止されているのは、最後の「わいせつな文書」だけである。従って、わいせつな文書にあたることを知らなかった場合、わいせつ文書販売罪の故意があるとはいえない(はずである)。

 ただし、「わいせつとは何か」という基準は、明らかではないので、人によっては、「この写真集は、たんなる好色的趣旨しかない」と軽く認識することもある。そうすると、この人にはわいせつ文書販売罪の故意は成立しなくなる。反対に、ちょっとしたものでも「わいせつだ」と感じる人には、常にわいせつ文書販売罪の故意が成立することになる。わいせつ文書の認識の有無が人の価値観によって左右されることがあってはならない。最高裁は、このような問題に関して重要な判断基準を示したといえる。

 本件の販売した文書は客観的は、わいせつ性を有していた。それを販売した認識は、わいせつ文書販売罪の故意といえるか。販売している翻訳書のなかに、男女の性的な描写があることを認識していれば、それが「わいせつ性」を備えていることまで認識していなくても、わいせつ文書販売罪の故意があるといえる。かりに「わいせつ性」はないと誤信していても、男女の性的な描写があることを認識していた以上、故意の成立を阻却するものではない。


【48】違法性の意識(最一決昭和62・7・16刑集41巻5号237頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、自己の経営する飲食店の宣伝のため、百円紙幣と同寸法、同図面の三種類のサービス券を作成し、客らに配布した。Xは、通貨及証券模造法1条違反の罪で起訴された。
 Xは、第1審は、Xを同罪で有罪にした。被告人は控訴したが。第2審は、Xの控訴を棄却した。Xはさらに上告した。

【裁判所の判断】
 ①通貨模造罪の違法性の意識を欠いていたことにつき、相当の理由がある場合には、通貨模造罪の故意が阻却されるが、相当の理由のある場合には当たらないとした原判決の判断は、これを是認することができるから、②この際、行為の違法性の意識を欠くにつき、相当の理由があれば(故意が阻却されて)犯罪は成立しないとの見解の採否についての立ち入った検討をまつまでもなく、②本件の各行為を有罪とした原判決の結論には誤りはない。

【解説】
 真正の通貨を偽造または変造すると、刑法の通貨偽造罪または通貨変造罪にあたる。偽造とは、真正な通貨と見間違うものを作成すること、変造とは、真正の通貨を加工して、他の申請の通貨と間違うようなものを作成することをいう。模造とは、紛らわしいものを作成することをいう。

 100円紙幣に似た「サービス券」と書かれたものを作成した場合、通貨に似た、紛らわしいものを作成しているので、通貨模造罪にあたる。被告人Xにも、その認識はあった。しかし、Xは、これを作成するにあたり、警察署に行き、相談をするなどし、特に問題はないとのアドバイスを受けていた。通貨に似た、紛らわしいものを作成しているが、問題はない、違法ではないと認識していたのである。このような場合にまで、通貨模造罪の故意があったと認定できるのか。

 判例では、伝統的に、故意の成立には違法性の意識は必要でないと解されてきた。本件では、通貨に似た紛らわしいものを作成している事実の認識があったので、通貨模造罪の故意があるということになる。たとえ、Xが警察に相談し、問題ないというアドバイスを受けたので、違法性の意識はなかったとしても、それによって故意の成立は否定されない。せいぜい、刑法38条3項但書の「情状」として、刑の任意的な減軽事由になるだけである。

 判例が故意の成立に違法性の意識を要しないと解するのは、なぜか。それは、刑法38条3項の「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない」という規定を「禁止する法律が存在することを知らず、違法であることを知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない」と解釈し、理解しているからである。

 しかし、38条3項の条文は、必ずしもそのようにしか解釈できないものではない。例えば、「禁止する法律が存在することを知らなかったとしても、違法であることを認識していたのであれば、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない」と解釈することもできる。そうであれば、故意の成立には違法性の意識が必要であることになる(厳格故意説)。また、通説(制限故意説)のように、違法性の意識を欠いたことに相当の理由があれば、故意を阻却すると解することもできる。

 弁護人は、Xは警察に行って、相談を受けた結果、違法ではないと認識したのであって、このように違法性を欠いたことには相当の理由がある、従って故意が阻却されると主張した。学説の制限故意説の主張である。しかし警察だけでなく、弁護士などの法律専門職に相談に行っていたならば、違法であると認識できたかもしれない。そう考えるならば、違法性の意識を欠いたことに相当の理由があったとはいえない。従って、故意を阻却することはできない。判例は故意の成立に違法性の意識は必要ではないという立場から、このような学説について立ち入った検討をすることなく、故意の成立を認めた。

 ただし、最高裁が、Xが違法でないと誤信したことは、相当の理由がある場合にはあたらない判断した原判決の判断を是認したということは、学説の見解を無視したのではないことを意味している。そうすると、故意の成立にとって、違法性の意識は何らかの関係があると考えることができ、最高裁もそれに関して問題関心を持っているようである。


【49】法律の不知(最二判昭和32・10・18刑集11巻10号2663頁)
【事実の概要】
 X・Yは、村のつり橋が腐朽し、車馬の通行が危険になったので、村役場に掛け替えを申し入れたが、それが実現しなかったため、人為的に落下させ、雪害によって落橋したように装うために、ダイナマイトを用いて橋を爆破し、それにより往来を妨害した。

 第1審は、爆発物取締罰則1条違反の罪と往来妨害罪(刑法124条)の成立を認め、酌量減軽し、懲役3年6月に処した。第2審は、X・Yが爆発物取締罰則1条の法定刑が死刑または無期もしくは7年以上の懲役であることを知らなかったとして、酌量減軽とあわせて、X・Yの犯行動機、性格、素行などを考慮して、刑法38条2項但書による刑の減軽を認め、X・Yに懲役2年、執行猶予3年に処した。

 これに対して検察官が上告した。その主張の論点は、刑法38条3項の「法律を知らなかった」というのは、行為が法律上許されない、違法であることを知らなかったという意味であり、X・Yが爆発物取締罰則1条の法定刑が死刑……などであるということを知らなかったという理由で、同条但書を適用したことは、この規定の解釈を誤ったものであるというものであった。

【裁判所の判断】
 刑法38条3項但書は、自己の行為が刑罰法令により処罰さるべきことを知らず、これがため行為の違法であることを意識しなかったにもかかわらず、それが故意犯として処罰される場合において、右違法の意識を欠くことにつき斟酌(しんしゃく)または宥恕(ゆうじょ)すべき事由があるときは、刑の減軽をなし得べきことを認めたものと解するを相当とする。従って、自己の行為に適用される具体的な刑罰法令の規定ないし法定刑の寛厳の程度を知らなかったとしても、その行為の違法であることを意識している場合は、故意の成否につき同項本文の規定をまつまでもなく、また前記のような事由による科刑上の寛典を考慮する余地はありえないのであるから、同項但書により刑の減軽をなし得べきものではないことはいうまでもない。

【解説】
 日本には、膨大な数の法律があり、そのなかに多くの罰則がある。そのような法律があることを知らずに、それに該当する行為を故意に行なった人に、はたして故意があったといえるか。

 刑法38条3項は、「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思(故意)がなかったとすることはできない」と規定している。この「法律を知らない」というのは、どのような意味か。「法律があることを知らなかった」という意味か、それとも「法律があることを知らなかったので、違法であることも知らなかった」という意味か。

 第2審は、刑法38条3項を「法律があることを知らなかった」という意味で理解し、被告人らが爆発物取締法の存在、その法定刑の厳しいことを知らなかったことを斟酌して、同条但書を適用して、刑を減軽した。

 これに対して、検察官は、「法律を知らない」というのは、その行為が違法であることを知らなかったという意味で理解し、爆発物を使用した事実の認識がある以上、違法であるとは知らなかったからといって、故意が否定されるものではないと主張した。

 裁判所は、被告人らは爆発物取締法の存在を知らなかっただけで、自分らの行為が違法であることを認識していたので、「法律を知っていた」ので、刑法38条3項の規定を適用し、刑を減軽することはできないと判断した。