Rechtsphilosophie des als ob

かのようにの法哲学

2017年度刑法Ⅰ(第06回)刑事判例資料

2017-05-15 | 日記
【40】故意の内容(最二決平成2・2・9判時1341号157頁、判タ722号234頁)
【事案の概要】
 Xは、「化粧品」だと言われて、「ある物」を日本に運ぶよう依頼された。Xは、それを腹巻きの下に隠して日本国内に持ち込み、ホテルの客室で所持した。しかし、それは覚せい剤であった。

 第1審は、Xには「ある物」が覚せい剤であるとの明確な認識がなかったとしても、少なくとも日本に持ち込むことが禁止されている違法な薬物であると認識していたのであるから、覚せい剤の輸入、その所持の故意の成立に欠けるところはないと判断した。

 弁護人は、覚せい剤の輸入罪、覚せい剤の所持罪が成立するためには、輸入・所持に係る対象物が覚せい剤であるとの認識が必要であって、「違法な薬物」であるとの認識では、その故意として不十分であると主張して、控訴した。

 控訴審は、本罪の成立には、覚せい剤であるとの確定的な認識は必要ではなく、規制対象となっている違法有害な薬物の一種であり、そのような概括的な認識のなかに、覚せい剤が含まれており、またはその認識の対象のなかから、覚せい剤が除外されていない場合には、覚せい剤輸入・所持の故意が認められると判断した。

 これに対して、弁護人が上告した。


【争点】
 覚せい剤や麻薬、大麻、アヘンなど、身体に有害や薬物類が法的に規制されていることは知られているが、その色彩や形状などについて詳しく知っている人はあまりいない。そうすると、目の前に粉末状の物や液体状の物を差し出されても、それが化粧品であると言えあれれば、そのように理解するであろう。
 しかし、その持ち運び方法などが「化粧品」の運び方として相応しくないならば、「本当に化粧品なのだろうか」と疑わざるをえなくなる。しかし、化粧品でないならば、何なのか。行為者は、もしかすると、法的に規制されている違法有害な薬物の一種なのではないか、それが何なのかは特定できないが、覚せい剤ではないといえないという認識があった。

 このような状況において、覚せい剤の輸入・所持の故意があるといえるか。


【裁判所の判断】
 原判決の判断によれば、被告人は、本件物件を密輸入して所持した際、覚せい剤を含む身体に有害で違法な薬物類であるとの認識があったというのであるから、覚せい剤かもしれないし、その他の身体に有害で違法な薬物かもしれないとの認識はあったことに帰することになる。そうすると、覚せい剤輸入罪、同所持罪の故意に欠けるところはないから、これと同旨と解される原判決の判断は、妥当である。


【解説】
 刑法38条1項には、「罪を犯す意思のない行為は、罰しない」とある。「罪を犯す意思」を故意、または犯意という。この故意がなく、行為を行なった場合、故意犯の処罰規定を適用することはできない。ただし、過失犯の処罰規定があり、行為者に過失が認められる場合には、過失犯が成立する。

 故意が成立するためには、行為者に事実の認識が必要である。覚せい剤の所持罪の故意が成立するためには、所持をしている物が「覚せい剤」であることの認識が必要である。ただし、「覚せい剤」という化学薬物は、その形状や臭い、色などから簡単に識別できるものではない。従って、所持している物が覚せい剤であるにもかかわらず、それが覚せい剤であることを認識していないこともある(確定的な故意がない場合がある)。そのような場合、覚せい剤所持の故意が基本的に否定されると思われるが、行為者に「覚せい剤を含む身体に有害で違法な薬物類」であることを認識している場合もある(概括的故意)。

 行為者がこのようなな内容を認識している場合には、故意が成立すると考えられる(概括的な故意がある)。所持の対象が「覚せい剤」であるとことを認識している場合の故意を「確定的故意」、「覚せい剤を含む身体に有害で違法な薬物類」であることを認識している場合の故意を「概括的故意」という。



【41】未必の故意(最三判昭和23・3・16刑集2巻3号227頁)
【事案の概要】
 被告人Xは、某日、某所のA方でBから、他人が窃取した衣類を3万5千円で買い受け、某日同じくA方でBから、他人が窃取した衣類を1万3千円で買い受けた。この行為が盗品有償譲り受けの罪(贓物故買罪)に問われた。原審は同罪の成立を認めたが、被告人は買い受けた時には、衣類が盗品(贓物)であることは知らなかったと主張して上告した。


【争点】
 刑法は、他人の財物を盗む行為(窃盗罪)だけでなく、窃盗犯から盗品を買い受ける行為(盗品有償譲受罪)をも処罰する。今まさに盗んできた物であれば、それが「盗品」であることを認識することは可能であるが、そのような経過を知らない人にとっては、物だけを見ても、それが「盗品」であることを認識することはできない。

 このような場合、一切、盗品の認識を否定すること可能であるが、その値段が格別に安いこと、店舗ではなく、露店やバザーなどでしか購入できないなどの事情から、「もしかすると盗品ではなかろうか」とうっすら気づく場合もあろう。このような場合、一定の範囲内において盗品の認識を認めるべきであろう。


【裁判所の判断】
 贓物故買罪は、贓物であることを知りながら、これを買い受けることによって成立するものであるが、その故意が成立するためには、必ずしも買い受けるべき物が贓物であることを確定的に知っていることを必要としない。あるいは贓物であるかもしれないと思いながら、しかも敢えてこれを買い受ける意思(いわゆる未必の故意)があれば足りるものと解すべきである。ゆえに、たとえ買い受け人が売り渡し人から、贓物であることを明らかに告げられた事実がなくても、いやしくも買い受け物品の性質、数量、売り渡し人の属性、態度など諸般の事情から「あるいは贓物ではないか」との疑いを持ちながら、これを買い受けた事実が認められれば、贓物故買罪が成立するものと見て差し支えない。

【解説】
 盗品を買い取る行為を「盗品の有償による譲り受け」とい、刑法256条2項の犯罪にあたる。この罪の故意が成立するためには、有償によって譲り受ける物が「盗品」(窃盗罪やその他の財産犯によって得られた財物」であることの認識が必要である。その認識がなく買受けた場合、客観的には盗品有償譲受の行為が行なわれていても、その故意は認められない。

 しかし、財物に「盗品」と書かれてあるわけではないので、それが盗品であることは、一見して分からない。とはいえ、当該物品の性質、数量、売り渡し人の属性、態度など諸般の事情から「盗品ではなかろうか」との疑いを抱くことができる場合もある。「盗品」であるとの確定的な認識ではなくても、「もしかすると盗品ではないだろうか」との認識を持ち得る場合がある。このような認識を持ちながら、それを買受けた場合、盗品を有償で譲り受けた罪の故意が認められる。

 このような非確定的な故意を「未必の故意」という。「未必の故意」とは、「未だ必ずしも確定的な故意ではない」が、故意として認められる認識をいう。



【42】法定的符合説(1)――故意の個数(最三判昭和53・7・28刑集32巻5号1068頁)
【事案の概要】
 被告人Xは、巡査Aからけん銃を強取しようと決意し、建設用びょう打銃を改造した手製装薬銃を構え、Aの背後約1メートルのところから同人の右肩部付近をねらって、びょうを1本発射した。このびょうは、Aに命中し重傷を負わせたが、さらにその身体を貫徹し、たまたま約30メートル前方にいたBにも命中して、同人にも重傷を負わせた。

 原判決は、行為時における被告人の事実認識を検討し、Aに対する殺意はあったが、Bに対する殺意はなかったとしたが、この事実認定を基礎にして、Aに対する強盗殺人未遂罪とBに対する強盗殺人未遂罪の成立を認めた。

 これに対して弁護人は、強盗殺人未遂罪が成立するのは、殺意のあるときだけであるとした最高裁判例を引用し、原判決がBに対する殺意を否定したにもかかわらず、Bに対する強盗殺人未遂罪の成立を認めたのは、判例違反であると主張した。

 Aへの殺意に基づいて、A・Bに傷を負わせた場合、Aだけでなく、Bにも(強盗)殺人未遂が成立するのか、1個の故意で2個の故意行為を行ったと認めることができるのか。これが争点である。

【裁判所の判断】
 犯罪の故意があるとするには、罪となるべき事実の認識を必要とするものであるが、犯人が認識した罪となるべき事実と現に発生した事実とが必ずしも具体的に一致することを要するものではなく、両者法定の範囲内において一致することをもって足りるものと解すべきである……から、人を殺す意思のもとに殺害行為に出た以上、犯人の認識しなかった人に対してその結果が発生した場合にも、右の結果について殺人の故意があるものというべきである。

【解説】
 行為者によって計画されていた犯罪と、実際に行なわれた犯罪との間に食い違が生ずる場合がある。これを錯誤という。例えば、XはA殺害を計画していたが、実際にはB殺害が行われた。このように同一の構成要件の枠内で錯誤が生じている場合を「具体的事実の錯誤」といい、B殺害の故意が成立するかどうかが問題になる。また、計画していたのがA殺害であったが、実際にはAの犬の殺害(器物損壊罪)であった。このように錯誤が異なる構成要件にまたがっている場合を「抽象的事実の錯誤」といい、器物損壊罪の故意が成立するかどうかが問題になる。

 Xは、Aを殺害し、けん銃を奪う目的でAに重傷を負わせ、通行人Bをも重傷を負わせた。このような錯誤の類型を「具体的事実の錯誤」における「方法の錯誤」という。XはAを死亡させようとしたので、Aに対する強盗殺人未遂が成立するのは明らかである。問題は、Bに対してである。XはBには強盗殺人を行おうとは考えていなかったので、この部分の食い違い・錯誤がBに対する強盗殺人罪の故意の成立に影響を及ぼすか否かが問題になる。

 具体的事実の錯誤における方法の錯誤に関しては、通説・判例は「構成要件的符合説」(法定的符合説)を採用している。その説明を簡明にするために、A・Bともに死亡したと仮定すると、Xが認識・予見した事実は「Aに対する強盗殺人」であり、実際に生じた事実は「Aに対する強盗殺人」と「Bに対する強盗殺人」である。「Aに対する強盗殺人」については錯誤は生じていないが、「Bに対する強盗殺人」については錯誤が生じているので、この錯誤が「B強盗殺人」の故意の成立を否定するかどうかが問題になる。構成要件的符合説によると、Xが認識・予見した事実は「Aに対する強盗殺人」であり、実際に生じた事実は「Bに対する強盗殺人」であり、それは「人に対する強盗殺人」という構成要件的評価のレベルで食い違いはなく、構成要件の重なりあいを認めることができるので、Bに対しても強盗殺人の故意を認めることができる。XはAという人に強盗殺人を行なう故意で、Bという人に強盗殺人を行なっているので、Bに対する強盗殺人の故意を認めることができるのである。

 これに対して、具体的符合説という反対説は、Xが認識・予見した事実は「Aに対する強盗殺人」であり、実際に生じた事実は「Bに対する強盗殺人」であり、このAとBは、事実のレベルで食い違いが生じているので、Aに対する強盗殺人の故意は認められても、Bに対する強盗殺人の故意は認められないと解する。従って、Bに対しては「過失の強盗殺人」となり、過失致死罪が成立するだけである(過失の強盗は不処罰)。

 本件の事案では、A・Bともに強盗殺人未遂に終わった。Xが認識・予見した事実は「Aに対する強盗殺人」であり、実際に生じた事実は「Aに対する強盗殺人未遂」と「Bに対する強盗殺人未遂」であった。このような錯誤は、故意の成立に影響を及ぼさない。

 最後に故意の個数の問題について、最後に説明しておく。
 1回または1個の意思決定によって行われる行為は、1回または1個だけである。しかし、行為客体が複数存在する場合(本件ではAとB)、1個の行為が複数の客体に侵害的な影響を与えることがある。このような場合、1個の故意は1個の行為客体にしか及ばないのか、それとも複数の行為客体に及ぶのか。これは故意の個数の問題である。

 通説・判例の法定的符合説は、基本的に、1個の故意によって複数の行為客体に影響を及ぼし、複数の故意行為を行えると解している。これを数故意犯説という。



【43】法定的符合説(2)――符合の限界(最一昭和61・6・9刑集40巻4号269頁)
【事実の概要】
 被告人Xは、法定の除外事由がないのに、覚せい剤を含有する粉末0.044グラムを、麻薬であるコカインと誤認して、所持した(本件当時、コカインを含む麻薬の所持は7年以下の懲役、覚せい剤の所持は10年以下の懲役。

 第一審は、とくに説明を加えることなく、麻薬所持罪の成立を認め、これと併合罪の関係にある他の犯罪事実を合わせて、Xに懲役2年を言い渡した。
 弁護人が量刑不当を理由に控訴したが、原審は棄却した。これに対して、弁護人が上告した。

【裁判所の判断】
 被告人は、覚せい剤を、麻薬であると誤認して所持したというのであるから、麻薬所持を犯す意思で、覚せい剤所持にあたる事実を実現したことになるが、両罪は、その目的物が麻薬か覚せい剤かの差異があり、後者につき前者に比して重い刑が定められているだけで、その余の犯罪構成要件要素は同一であるところ、麻薬と覚せい剤との類似性にかんがみると、この場合、両罪の構成要件は、軽い前者の罪(麻薬所持罪)の限度において、実質的に重なり合っているものと解するのが相当である。被告人は、所持にかかる薬物が覚せい剤であるという重い罪となるべき事実の認識がないから、覚せい剤所持罪の故意を欠くものとして同罪の成立は認められないが、両罪の構成要件が実質的に重なり合う限度で軽い麻薬所持罪の故意が成立し、同罪が成立するものと解すべきである。

【解説】
 行為者が認識・予見した事実と客観的に生じた事実との間の食い違いを錯誤といい、故意が成立するかどうか、成立する場合、どのような事実について故意が成立するのかが問題となる。XがAを殺害しようとして、Bを殺害したような場合、すなわち殺人罪という同一の構成要件の枠内において生じた錯誤を「具体的事実の錯誤」といい、XがA罪を行なおうとして、B罪を行なったような場合、すなわち異なる犯罪の構成要件にまたがっている錯誤を「抽象的事実の錯誤」という。

 本件は、Xは麻薬所持罪を行おうとして、覚せい剤所持罪を行った「抽象的事実の錯誤」である。

 このような錯誤について、通説・判例は「構成要件的符合説」(法定的符合説)の立場から、二つの犯罪構成要件を比較対照して、重なる部分があれば、その部分につき故意犯の成立を認める。つまり、A罪の構成要件とB罪の構成要件を比較検討し、A罪の部分について重なる場合、A罪の成立を認める。

 そもそも、抽象的事実の錯誤は、異なる構成要件に錯誤がまたがる錯誤なので、構成要件が重なるはずはないのであるが、犯罪の性質(行為態様と保護法益など)の共通性がある場合いは、部分的に重なる場合もある。例えば、XがAを殺そうとして銃を発砲したら、それは熊であった(Aはその場に不在)。熊を殺害した事実について故意は認められるか。Aへの殺人罪(重い罪)と熊への器物損壊罪(軽い罪)は、器物損壊罪(軽い罪)の範囲において構成要件の重なり合いを認めることができるか。それはできないので、器物損壊罪の故意は成立しない。この行為は過失の器物損壊であり、無罪である(Aに対する殺人未遂ないし殺人予備が成立する可能性はある)。また、XはAの占有する財物を窃取したが、Xは占有離脱物横領のつもりであった場合、窃盗罪(重い罪)と占有離脱物横領罪(軽い罪)は、占有離脱物横領罪(軽い見つ)の構成要件の部分で重なり合っていると考えられるので、占有離脱物横領罪の故意が認められ、同罪が成立する。

 では、本件の場合、どのように考えることができるか。麻薬所持を行なうつもりが(軽い罪)、覚せい剤所持を行なった(重い罪)。麻薬所持と覚せい剤所持は、軽い麻薬所持罪の部分について、構成要件の重なりを認めることができるか。行為態様は「所持」なので、基本的に同じであるが、行為客体である麻薬と覚せい剤は、全く性質の異なるものである。従って、その法的な意味や性質も異なるので、構成要件の重なり合いは認められない。しかし、判例では、麻薬と覚せい剤との類似性を認めて、構成要件の重なりを肯定している。麻薬と覚せい剤は、人体に有害な作用を及ぼす薬物であり、法律によって厳しく取り締まられており、その取引によって暴力団の資金源が得られ、警察の総力を挙げて、撲滅キャンペーンが展開されている点でも共通している。このような意味において、麻薬の所持と覚せい剤の所持の有害性、不法性は共通し、そのような行為を行なった者に対する責任の内容も共通している。判例は、このような点を重視して、麻薬所持と覚せい剤所持について、麻薬所持の範囲で構成要件の重なりを認めている。



【15】因果関係の錯誤(大審院第ニ刑事部判決大正12・4・30刑集2巻378頁)
【事実の概要】
 被告人XはAを殺害するために、ひもで首を絞めた。Aの身体が動かなくなったので、死亡したものと誤信した。その後、犯行が発覚するのを防ぐため、Aの身体を海岸まで運び放置した。Aは海岸の砂を吸引して、死亡した。(第1行為=故意行為→時間的・場所的に近接した関係において→第2行為=過失行為)

【争点】
 行為者が第1行為を行ない、意図した結果を発生させたが、第1行為後に、時間的・場所的に近接した関係において、行為者自身の第2行為が介在している。

 この第2行為によって、第1行為と結果との因果関係が遮断されるならば、第1行為については殺人未遂が成立するだけである。そして、第2行為については、客観的には殺人罪であるが、主観的には死体遺棄罪の認識で行っているので、「異なる構成要件にまたがる錯誤」の問題が生ずる。

 しかし、この第2行為によって、第1行為と結果との因果関係が遮断されないならば、第1行為については殺人既遂罪が成立する。なお、第1行為と第2行為の関係は、その場所的・時間的な近接性に基づいて、また第1行為後に第2行為が行われることが経験的に通常ありうることを根拠にして、一連・一体の1個の行為と見なすことができる。

 ただし、第1行為と第2行為とが一連・一体の行為であるとはいっても、また当初意図していた結果が発生したとはいっても、現実にたどった因果経過は行為者が意図していたものとは異なる。このような因果関係の錯誤は、殺人罪の故意の成立に影響を及ぼすのか。

 殺人を行うつもりで、殺人を行っているのが、因果経過の錯誤がある。これは同一の構成要件の範囲内の錯誤である。通説・判例の構成要件的符合説の立場からは、ひもによる絞殺と砂浜の砂の吸引による窒息は、殺人罪の構成要件要素としての因果関係として一致しているので、殺人の故意の成立を否定するものではない。


【裁判所の判断】
 殺人目的で行なった行為の後、Aが死亡したものと誤信して、海岸に運んだのであるから、このような行為をしなかったならばAは砂を吸引して死亡することはなかった。これを社会生活上の普通の観念に照らして考えれば、殺人目的に基づく行為とAの死亡との間には因果関係があると判断するのが正当である。Xは死体遺棄の目的でAを海岸まで運んでいるが、それによって因果関係が遮断されるものではない。


【解説】
 この事案の特徴は、Xが行なったのは、全体として1個の行為であり、殺人既遂にあたると認定したところにある。第1行為(それ自体は殺人未遂)と第2行為(それ自体は遺棄致死=致死部分については過失)に分けることもできそうであるが、第1行為の開始後、Aの死亡が発生するまでの間に第2行為が介在することは社会生活上の観念に照らして考えれば、あおれはありうることであって、第1行為と結果の因果関係が第2行為によって遮断されるのではないと判断した。

 行為者が殺人や傷害の目的で被害者に暴行を加え、その犯行を隠すために、身体が動かなくなった被害者を地中に埋めたり、川に沈めたりすることは、突飛な行為ではない。気が動転し、あせりなどから、被害者が死亡したことを確認せずに、そのような行為を行なうことは十分に考えられ、ありうる。したがって、被害者がまだ生きているにもかかわらず、死んでいると誤信したとしても、第1行為と第2行為は、時間的・場所的な接着性を考慮に入れるならば、2個の行為ではなく、一連・一体の行為として捉えることができる。

 Xの行為を一連・一体の1個の行為として捉えた場合、Xが認識・予見した事態と実際に生じた事態との間には食い違いがある。XはAを殺害することを目的とし、それを遂げたことに違いはないが、それにいたる因果の経過に食い違い、認識のズレがある。これを因果関係の錯誤という。このような錯誤があることによって、Xの故意が否定されるわけではない。