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<リアル 芸能 ルポ> 山本圭さんの死去に寄せて(1) フジテレビ開局55周年記念連続ドラマ「若者たち 2014」の背景と、田中邦衛、山内久、森川時久、吉永小百合、清水邦夫、倉本聰、杉田成道、秘話

2022-04-26 13:52:55 | テレビ番組

 2022年3月31日、午前9時30分

 名優・山本圭が、肺炎で、埼玉県の病院で、死去

 ほぼ1か月後の,翌4月25日、所属事務所から、その訃報が、公表された

 あああ・・・・・ すでに、81歳になっていたとはいえ

 この4月、CSで、映画「若者たち」3部作が、放映されており、しっかり、見とどけた。

 記事に入れたが、かつて、その映画が、再上映に至った時、山本圭さんに、俳優座の中にある、喫茶店で、インタビューさせていただいた

 その折も、映画で見せていた、まなざしが、きらめいていたことが、今も印象に残っている。

 一期一会になってしまったが、その後、脚本家の山内久さんが死去。

 その葬儀に行った際、すでに、山本圭さんが参列し、帰っていったことを聞かされた。

 訃報の記事の中にある、畑正憲の番組の、ナレーションを担当していたことは、まったく知らなかった。

 ムツゴロウ王国

 本当の実態と全く違うし、畑の実像、全然、報道された人と違うし・・・ 

 批判する記事も書かなかったけれど、番組、見る気もなかったので。

 それにしても・・・・

 山本圭さん

 コメント見ても,印象深いセリフ,クチにしていたんだなあ・・

 女流棋士であった、妻の、小川誠子(ともこ)さんも、何と、3年前に、68歳の若さで他界していたことも、本日、知った。

 以下の記事。

 フジテレビ商法の実態を指摘しつつ、秘話も、散りばめておりますので、興味ある方、改めて、連載も含め、お読みください

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 <2014・8・6 掲載>

 ≪ 2015・10・16 再掲載 ≫

 【 2021・4・17 再々掲載 】

 鳴り物入りで始めたこのドラマは、まぎれも無い「超愚作」だ!

 このテレビドラマを創っているスタッフにすれば、「ひど~い!」と叫ぶかもしれぬ。

 だが、その事実は、ものの見事に視聴率に、ハッキリ現われ、実証された。

 すでにこの「若者たち 2014」を見た方は、ご存じだろう。

 第1回こそ、12・7%であったが、以降、第2回は、一気に7・8%に落ち込み、続く第3回も同じ7・8%と低迷。

 そして、この7月30日(水)の第4回に至っては、ついに7・3%にまで墜落。

 いずれも、ビデオリサーチの「関東地区」という区切りではあるが、この手のドラマ、関西地区でそれより数字が上だったら、フジテレビはこれ見よがしに知らせるのが、通例。

 さらに、関西の方が数字上回るドラマは、過去において、極めてまれであることを、申し添えて置く。

 この、8月6日には、6%台に突入か!?と、囁かれている。

 このドラマ。今を去ること、48年も前の、日本のテレビドラマ史上、燦然と輝く、「若者たち」のリメイク。

 の、はずだった。

 「原案」として、名前がクレジットされている、森川時久のもとに、フジテレビから連絡があったのは、「約1年前だった」と言う。

 「若者たち」をリメイクしたいと言う申し出。

 「企画を立ててみたんですが、もう1回、アレをやりたいという思いがありまして。やっていいですか?と」

 まったくの企画の始めの段階から、話しがあった。そうして、少しずつカタチが見え始め、約3か月で正式に企画がまとまり、スタートしたとのこと。

 現在85歳の森川。48年前、このテレビドラマの、メインの社員ディレクターとして、北田親友、戸崎春雄という2人を率いて、熱くほとばしり出る想いを胸に、この傑作を次々と世に放った。

 全34作。その中には、33作目の「さよなら」のように、在日朝鮮人を見つめる日本人に横たわる差別意識に斬り込んだものもあった。

 しかし、この「さよなら」は、放送中止に追い込まれ、そのタイトルが暗示したかのように、次の34作目で、放送を終えさせられた。

 そのくせ、この辺りがフジテレビの、金儲けとなれば、節操のカケラも無く、汚いところだが、今から6年前、開局50周年記念と銘打って、放送中止にした「さよなら」も入れ込んだ高額のDVDボックスを発売していた。

 だが、そんな節操の無い物を買う必要は、無い。

 現在、CS、ケーブルテレビのフジ系で、この34作を毎週1作目から、4~5作品づつを放送中。

 お蔵入りとなった「さよなら」も、今月末に放送され、9月には、映画「若者たち」三部作も放映されるようだ。

 ちなみに、この名作が放送された昭和41年。テレビ局だけではなく、映画界でも、政治的な関わりを持つ描写をぶっ潰す動きが、製作現場に押し寄せていてた。

 「愛と死の記録」という映画が、公開された。

 主演は、渡哲也と、吉永小百合。当初は、浜田光夫が出る予定だったが、名古屋でケンカのとばっちりを受け、右目を負傷。失明の恐れもある、重傷となった。

 急きょ、代役に抜擢されたのが渡哲也であった。その共演をキッカケに、2人は激しい恋に落ち、真剣に結婚を考えるまでの仲になった。

 その映画。幼い頃、広島で被爆した青年が、恋に落ちる。しかし、日々、原爆症の症状が、体に出始め、彼女との結婚をあきらめ、別離を告げる。

 やがて、被爆青年は、死を迎える。ソレを知った彼女は、青年の死後、初七日の日。自ら、命を絶つ・・・・・・。

 実話だという。

 その映画が完成した。

 ところが、映画会社の幹部が、試写を見終えて、とんでもないことを言い出した。

 「原爆ドームを入れ込んだカットや、ケロイドの顔が写っているところも、全部削るように」

 偶然にも、今日、8月6日は、広島に原爆が落とされた日。落として大量殺りくをした国の大使が、いけしゃあしゃあと式典に出る。

 この狂ったおかしな現実。いまだ、アメリカの属国でしかない、ニッポン。

 主演した吉永小百合は、自書「夢一途」で、こう訴えている。

 < 信じられません。原爆をテーマにした映画を作っていて、何故原爆ドームがいけないのでしょうか。ケロイドの顔を、拒否するのでしょうか。

 原爆という忌まわしいものを浴びたのは、日本人ーー広島と、長崎の人たちだけなのです。

 その事実を直視したうえで、一つの恋愛映画が、出来上がったのです。どうして、隠さなければいけないのでしょうか。

 偉い方の、個人的な考え方なのでしょうか。それとも、もっと上の偉い方の見解なのでしょうか。

 茫然としたまま、試写室を出ました。スタッフの人達や渡さんと、言葉もなく、芝生に座り込んでしまいました。

 数日後に行なわれた初号試写では、ケロイドが映る部分と、原爆ドームの全景のいずれもが、無くなっていました。

 そして、カットされたまま、公開されていきました >

 歪んだ自主規制は、すでに半世紀も前から、じわじわと、製作現場に忍び寄っていた。

 背筋が凍る想いがするのは、私の思い過ごしだろうか・・・・

 そののち、この「若者たち」は、単なるテレビドラマの枠を越えて、支持、支援されていき、やがて、劇団・俳優座が中心となり、映画化へと、その輪は結実していった。

 いわゆる「若者たち」三部作だ。

Dscf7123 これは、私の手元にあり、貼り付けてある、ポスターだ。

 実は私、かつて、この「若者たち」三部作の再上映運動に加わったことがある。

 先の森川時久、脚本家の山内久(やまのうち・ひさし)、俳優の山本圭、橋本功ら、多くのスタッフ&キャストにインタビューもさせて戴いた想い出もある。

 いくつか、記事にもした。

 その折、製作撮影時。とんでもない俳優自身の「持ち出し」にも似た厳しい条件下での撮影だったけれど、もう1度、皆が集まって、お互い年は重ねたけれど、「今」の「若者たち」が創れるなら、スケジュールさえ合えば、参加しても良いという声が、俳優から多く寄せられた。

 しかし、たった1人、拒否した出演俳優がいた。

 佐藤太郎役、大兄ぃ(おおにぃ)の田中邦衛であった。

 「もう、あんなキツイ仕事は、したかねえよ! カネもらっても、嫌だ!」が、第一声だったという。

 「大兄ぃが出ないんじゃ、このハナシは、成り立たないよねえ・・・。とても、残念だけれど」

 そう言って、サブ兄ぃ役の山本圭は、苦笑していた。

 本当に、残念そうな想いが、伝わってきた。

 素顔も、とてもいい人だった。

 その後、ホントに、今の時代を撃ち抜き、活写するであろう「若者たち」は、創ることが出来なくなってしまった。

 2000年。今を去る事、14年前の冬。

 次郎兄ィの橋本功(いさお)が、まだ58歳の若さで食道ガンで、あっけなくこの世を去った。

 千葉県下の小さな葬儀場で、ひっそりと通夜・告別式が兄妹・親族によって、執り行われた。橋本は、当時、独り身であった。

 「若者たち」の共演者や、メインスタッフからは、花輪が送られ、飾られていたが、その後の共演者も含め、参列したのは森川時久と、山内久。そして岸部一徳だけであった。

 岸部は、あえて目立たぬようにしていた。御出棺の際には、はるか隅に立ち続け、深く深く頭を下げ、手を合わせていた。

 橋本と、どのような心通わす仲であったのか、岸部は一切、語ろうとしなかった。

 だが、その人柄が、充分にしのばれる、鮮やかな冬の光景だった。

 サブ兄ィが、大兄ぃとの取っ組み合いの喧嘩の末に、ストーブの中に、この日もらったアルバイト代のお札を投げ入れて放ったセリフ。

 「カネより強いんだ! 人間は! こんなちっぽけなカネなんかより・・・。これは紙だ。ただの紙だ!」

 そこに静かに忍び入る、佐藤勝(まさる)作曲のテーマ・ミュージック。

 もう、「若者たち」の最高のシーンと言い切っていいだろう。

 そんなセリフが、長男役の妻夫木聡の、ど~でもいいシーンで、飛び出した。

 見ていて、あきれた。あきれはてる他、無かった。なんの、意味も無かった。名作のセリフのパクリ。愚弄していた。

 結局、この「2014」年版は、名作に、ひさし、軒先だけを借りた、まさに「換骨奪胎」のシロモノでしかなかった。

 玄関に入れる仕上がり・完成度はなく、家の前で土砂降りの雨に打たれ、いまや、「出てけ!」「入るな!」「入る資格無い、ねつ造野郎!」「能無し!」と、石つぶてを、投げつけられている、視聴率状態。

 リメイクと言いながら、模したのは、古い日本家屋に住む、5人兄妹ということだけ。

 それ自体、すでに無理な設定。

 この2014年に、いくら部屋代が浮き、寝られる、食べられるという理屈は成り立つにせよ、5人が住むということ自体、そもそも違和感が生じる。

 コレ、多くの見た人に聞いたが、全員がクチにしていた。

 そして、怒鳴り合い。

 もう、無意味、意味の無いバカ叫び。

 かつての「若者たち」では、実は、先のサブがお金を燃やす際の喧嘩など、怒鳴り合いシーンは少ない。

 その「2014」版では、極めて個人的なコトばかりで、物語が進む。

 生きて居れば、否応も無く、社会に関わらざるを得ないはずなのに、その背景が、カケラも描かれていない。それが、すでに「若者たち」を冠にする意味合いが、無い。

 例えば、48年前以上に、格差社会が深く広がりを見せている。

 親会社。下請け。さらに、孫請けに、ひ孫請け。

 正社員に、非正規雇用。アルバイトに、パート・タイマー。仕事内容は同じなのに、確実に手取りに差がある。

 世に、「ブラック企業」なる、搾取企業も増殖。

 大学も様変わり。少子化により、大學も受かりやすくなり、学校・老人施設は、統廃合が進み、人々は、日ごとに、見捨てられていっている。

 そのような、背景が、5人にまったく浮かび上がって来ない。

 リアリティが、まったく無い、絵空事物語。

 学生運動、組合問題。第一組合。第二組合。そういう、人をいとも簡単に押しつぶそうという、歪んだ社会の構造が、クッキリと浮かび上がって来たからこそ、「若者たち」は、熱い支持を受けた。

 テレビドラマ、草創期とはいえ、ソレが他の作りもののドラマと、ハッキリ一線を画していたからこそ、というのに・・・・・・

 不倫、妊娠、出産。ただの喜怒哀楽、個人的感情と、恨みつらみだけの、ケンカと言い合い。

 くっだらねえ! 「2014」版。汚れ、すすけてゆく「若者たち」の誇り輝く看板。

 「2014」で、出てきたキャバクラ嬢

 生活のために夜も働く。それへの、職種偏見。それは、いい。だが、今のキャバクラが書き込まれていない、背景に滲まない。

 一見、ネオンサインきらめく、見た目、華やかキャバクラ店。

 1か月に200万円稼ぐコもいるなんて、大ぼら、ウソのあおり報道。

 実際は、1分、お店に入るの遅刻したら、2時間分の時間給が、その月から引かれる。

 1日ずる休みすると、1週間分の稼ぎが手取りから引かれる。お店で身にまとうドレスの、目ん玉飛び出る、法外なレンタル代。

 もともと、風俗に勤める男女の殆んどが、時間にルーズなために、始まった締め付けなのだが、気付いてみれば、給料日、1円ももらえないどころか、借金がとめどなく膨らみ、AVや、売春に丸投げされ、腰と膣フル回転させて、稼いで返すハメ破目に堕ちる。

 そんな”厳実”、チラリとも出ない。

 2014年の今を、書き込む、書き入れる気が、ハナっから無いのだ

 武藤将吾。この超愚作を書いている脚本家だ。どうやら、家庭を築いている、若くして「メタボ体型」の男のようだ。

 この原稿を打つまで、まったく知らないシナリオ・ライターだった。

 検索してみると、映画「テルマエ・ロマエ」や、「クローズZERO」を書いている。

 なるほど、架空の絵空事面白物語は書けても、足と目と耳を駆使して、丹念に調べて構成していくシナリオは、不得手なのだろう。

 当初、この人物は基本的な文章作法すら知らないのかなあと、驚いた。

 今も検索すれば、読めると思うが、リレー日記的なモノが載っていた。彼個人のブログでは無いし、シナリオと違い、横書きとはいえ、書き出しの一角(1文字)開けの常識も知らないのか、ドシロートのように、文字、ただびっしり連なっているだけ。

 内容も、キレも面白さも、何一つ無し。

 ただただ、ダラダラ、だらだら・・・・・・。

 これで、本当に脚本家かよ?と、あきれ果てた。ため息、ついた。これじゃあ、超愚作しか、書けないよなあ・・・・・・

 48年前の「若者たち」は、山内久(やまのうち・ひさし)をメインに、彼の妻であり、小津安二郎監督の脚本を書いた野田高梧の娘の立原りゅう、早坂暁(ぎょう)、清水邦夫、大野靖子、布施博一ら、実力溢れる書き手がズラリ。

 競う様に、素晴らしい脚本を書き上げていった。

 ウィキペディアによれば、全13名しか出ていないが、実際には助手的存在の書き手も入れ、20名近くに達している。

 それぞれが、熱く燃えるような想いを胸に秘めて書いていたのは、そのシナリオを手にすれば、よく分かるはずだ。

 「2014」の製作スタッフの冒頭に出てくる、その名も「原案」として顔を出す、山内久。

 この作品だけでなく、映画ファンなら誰もが知っている「幕末太陽傳」「私が棄てた女」「朝やけの詩」「豚と軍艦」「わが青春のとき」「アッシィたちの街」、そして「聖職の碑」など、傑作を残している。

 その山内、愛称久(きゅう)さんが、こんな愚にも付かないホンを見て、「原案」者として、納得しているのだろうか?

 1作目を見て、疑問が湧き上がった。

 身体は細いが、芯のある人。書きあげたホンには、揺るぎの無いモノがあった。

 かつて、インタビューは、神奈川県の逗子にあるご自宅へとお伺いして行なった。

 訪れた時には、まだ陽があったが、辞す時には、とっぷりと暮れていた。

 格子戸、石畳、など、まるで古都の家屋のようなたたずまいを、今も想い起こす。

 広い畳部屋での、インタビュー。心から、楽しいひとときを過ごした。

 その後、偶然、新宿で車走行中の時に雑踏の中にいるのをお見かけし、新宿駅までお送りしたり、近況を知りたく、電話を2度ほどかけさせて戴いた。

 なかなか、書き上げた脚本はあるものの、映画化されないこと、頓挫、たびたび。

 今の娯楽映画全盛の時代、鋭い社会性を持った脚本は、芯を取り除かないと、受け入れらないようだった。

 次に電話した時には、妻の身体の具合があまり良くないようなことを、ポツリポツリとお話しされていた。

 それが、10年ほど前であったろうか・・・・

 ココ近年、雑誌「シナリオ」誌上で、夫婦が手掛けた作品を語り尽くす「聞き書き」連載があった。

 しかし、時折り、連載が途絶えていたので、相当病状がおもわしくないのかなあと思っていたら、年前の2月27日、突然の訃報が。

 奥様の立原りゅう、本名・山内玲子が、肺炎で亡くなったとの報道。3月4日に逗子市内で、告別式が執り行われた。

 だが、喪主が置かれていなかった。

 んん!? 

 今回、「2014」について感想と、「原案」のいきさつについて聞こうと連絡をとったところ、なんと「この電話は、現在、使われておりません」コール。

 さまざま、調べたところ、以下のような近況が判明。

 この4~5年前、夫婦共に、相模原市と思われる総合病院へと入院。どのような経緯があったのか。子供がいなかった山内夫妻は、先の聞き書きの聞き手でもあった、脚本家・渡辺千明(64歳)と養子縁組、

 そして、2年5か月前の、妻・玲子の告別式は、渡辺千明が取り仕切った。

 なんと、葬儀会場に、山内久の姿は無かったという

 車いすでも、長い間連れ添った愛妻との、最期のお別れに、来たくても来られない身体。

 聞けば、痴呆の症状も、かなり進行しているらしい・・・・・。

 それでも、ドコをどうしたものか、「原案」の看板を掲げることにこぎつけた。

 それも、タダで!

 「原案料」に匹敵するものの受け取りを、拒否したわけではない。もう一方の、森川にも、いまだ一銭も無し。

 素知らぬ顔して「原案」の看板、冒頭に掲げ、商いを始めた。

 これが、「開局55周年記念」商法の実態だ。

 あの、深く心に染みいるように入ってくる、主題歌。

 ブロード・サイド・フォーだから、適していた。それが、変人で、あのかん高い裏声が、耳にへばり付いて離れない森山直太朗とは!

 愚作脚本に、そぐわない愚声・・・・・・

 黒澤明の息子で、「ザ・ブロード・・・」のメイン・ボーカル、クロパンこと、黒澤久雄。なにかと、亡き父の記念館問題をはじめ、当時から金銭のもめごとに事欠かない人物なので、使用交渉が、上手く運ばなかったわけではないだろう。

 そして、メインの演出が、表題にもあげた杉田成道(しげみち)、すでに70歳。

 すぐ、「北の国から」が、彼を紹介する際、付いて回る。それが、杉田のこんにちの地位を築いたと言っても良い。

 「犯罪だ」と、からかわれながらも、30歳もはるか年下女性と再婚。しっかり、子供まで仕込んだ。

 もはや、「北の国から」撮影当時とは見る影も無く、でっぷりとせり出した腹を揺らせて、現場に出てきている。

 だが、実は、彼を一躍時の人にさせた人、脚本家の倉本聰と、数年前、ケンカして、永遠に袂(たもと)を分かっている。

 原因は・・・・・杉田、語らない。

 ただ、クチを濁しながらも、別離は、認めた。

 倉本もまた、「先生」と言われて、照れも無い人。日々、巨匠的意識、もろもろ出し。

 何かのはずみで、ぶつかった。

 「もう、フジとは仕事組んでも、お前とは永遠にやらないから!」

 で、その後が面白い。

 「風のガーデン」

 ひさびさのフジドラマ。緒形拳の遺作ともなった。

 この演出をかって出たのが、なんと、脚本家世界のライバルと目される、山田太一の娘

 この女性、したたかな力量を見せた。

 倉本といえば、一字一句、おのれが書いたセリフを現場でも、変えさせないことで、現場を震え上がらせているオヒト。

 サングラスをして、ホノルル空港に降り立ち、「日本ヤクザ」と勘違いされ、しばらく留め置かれたほどだ。

 それが・・・・・セリフの言い回し、テニオハ、変更了承。ついには、シーンの前後入れ替え、消去すら呑んだ。

 呑ませた。いやいや、いやいや、すんごい、らつ腕女ディレクター・・・・・・

 倉本に聞いた。

 山田太一の娘ということは、意識しました? 彼女の力量は、いかがでした?

 「意識? そんなものは、しないね。素晴らしい力量だったよ」

 ムッとしながらも、そう言った。

 山田と言えば、感情が激すると、突然オネエ言葉に変わるヒト。若い時、木下恵介の御稚児さんだった名残りが、今も身体から消えない。

 そんな経緯で、この「2014 若者たち」の第1回放送を終え、かつての名作を見ていた業界人達に、ボロカスに批判されたあと、杉田は、幾分、開き直るかのように、こう言い放った。

 「あり得ないリアリティですけど、そこを超える、ある種の真実というか、人間が根源的に持っている何かが、見るヒトに訴えられれば、それは、それでいい」

 「リアリティは、最初から、無視してます」

 「どうせダメなら、ド直球を投げてみないか?と。出来れば、どこかで視聴者がミットで、受けて欲しいと願っています」

 訳わかりにくいお願い。ミットもない気がしてならない。

 原案代を支払いもせず、看板掲げて、換骨奪胎。最初から、あり得ないリアリティ。ド直球は、訳わかんない、怒鳴り合いシーンと、理解すれば良いのであろうか・・・・・。

 それでも、「原案」者であり、杉田の15年先輩のディレクターである、森川時久の見る目は、優しい

 「毎週、見ておりますよ。内容ねえ・・・・。ヒトによって・・・・見方がねえ(苦笑)。スタッフがさあ、あれだけチカラを入れて、一生懸命やっているからねえ」

 「スタッフは、あの「若者たち」の志を受け継ぐという意識で作っているし、何とも言えないねえ」

 苦笑と言いにくさを重ねながらも、答えてくださったことに感謝。85歳にして、まだまだ創作意欲はみなぎっていた。

 なかなか、本編は劇場公開まで、成就しにくい世界。ましてや、森川の描く想いは、歪んだ世に風穴開けるような、熱い作品が得意。

 「次郎物語」「わが青春のとき」、そして、真っ向勝負の「不撓不屈」の正攻法には、泣けた。

 彼の、力量を今すぐ確かめたければ、「風雲の海峡 青函トンネルは、今・・・」という力作が、70分、フルバージョン、パソコンで見ることが出来ます。

 その題名で、検索してみて下さい。

 脚本・松山善三。音楽・池辺晋一郎。ナレーションは、なんと丹波哲郎。役者陣は、高橋幸治。市原悦子。原田美枝子。田中健。加藤武。そして、荻野目慶子と、そうそうたる布陣。

 「若者たち 2014」のくだらなさに、あきれ果てた方、いつでもチェンジ出来ますよ。

 にしても、46年の月日を、今取材を終えて、痛感している。

 先に書いたように、「若者たち」は、20人近い、精鋭脚本家たちの筆によって書かれ続けた。

 まるで、あと数日で開幕する、この夏の甲子園に出て熱戦を繰り広げる投手や打者の如く、一球入魂、一打必勝の熱気が、毎回、こもっていた。

 なのに・・・・・、なのに月日の流れは、むごいことをする。

 大野靖子は、他界。そして、清水邦夫は、この数年、病床にある

 清水の妻であった、「木冬社」主演女優・松本典子(本名・清水和子)は、今年の3月26日、世田谷区の病院で、間質性肺炎で、死去。闘病生活の末とはいえ、まだ78歳であった。

 目黒区の清水宅にお伺いして、夫の邦夫をインタビューさせて戴いた折り、お茶を運んできた姿を今も、記憶している。

 すでに、妻がこの世を去って4か月半。

 「おそらく、清水さんは、奥様がお亡くなりになったことを、今も知らないままだと思います」

 身体以上に、痴呆が進み、妻の葬儀にも参列出来ないほどであったという

 近年、蜷川幸雄を始めとして、盟友・清水邦夫の傑作演劇台本を舞台に上げる動きが、回を増している。

 だから、清水は健在。意気軒昂、と思われている。しかし、舞台化交渉は、すべて、その意を受けた代理人が取り仕切っている。

 舞台台本の使用料。

 それを、清水邦夫の、入院、治療代に、1円残らず、充てている。 若き日からの、いわば「戦友」「同胞」である、蜷川幸雄の意思であった。

 オモテだって、蜷川は言わない。しかし、代理人のスタッフから、キチンと報告を随時、受けている。

 ともかく、蜷川幸雄という人物。

 人として、素晴らしく、情に厚いことは、長期密着取材で、痛感した。

 その蜷川幸雄にしても、ここ数年、まるで生き急ぐかのように、次々と新作と、変幻自在の再演化に取り組んでいる。

 その多くは、病院のベッドから、稽古場に直行。激しくアクション!演技指導。

 何でもなさを見事に名演し、終えればまた、病室のベッドに、這いながらたどり着くという日々が、ここ数年続いている。

 時には、点滴の器具を同行させたことも、あったという。

 山内久、89歳。清水邦夫、まだ77歳。

 ともに、妻の死を知らぬまま、今も闘病中だ。

 近年、神奈川県逗子市に建っていた山内邸は、養子となった渡辺千明の手によって敷地ごと売りに出され、最近、期せずして、売却先が決定。

 近いうちに、家は取り壊され、更地になるという・・・・・・。

 この「2014」年版が流れている、まさにその時に。よりにも、よって・・・・・・・・

 やりきれねえ! たまんねえ!

 あの、熱いセリフを次々と生み出した息吹だけは、あの地で、消え去らないで欲しい! 埋まったままで、いて欲しい!

 「カネより強いんだ、人間は!」

 サブ兄ィ(にい)が、ストーブの炎のそばで叫んだセリフが、今も、心を、激しく突き上げる!

  心の奥を揺るがす、熱いままでいて欲しい!

 やりきれねえよおお・・・・・・・・・・・・・・・

 



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