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ひどい! あまりにも、ひど過ぎる! テレビドラマ「明日、ママがいない」第2弾!番組スポンサーが、いない

2018-11-16 12:07:28 | テレビ番組

 なんで、今になって、4年以上も前の、日本テレビのドラマのことについて、書かれた記事を、4度目の掲載をするんだよ?

 そう、クビを傾げつつ、読んでみるかと、お思いの方、多いでしょうね。 

 日本テレビといえば、今回の、「世界の果てまで、イッテQ」で放送された、タイの「お祭り」問題で、製作現場や、広報が、あいまいにしているさなか、

  民放連会長であり、当の日本テレビの社長でもある、大久保好男が、定例会見で、あっさり、非と、誤りを認め、「謝罪」した」・・・・と、報じられていた。

 ほ~っ。

 視聴率の良い、この番組は、非と、デタラメを認めたのなら、表記題の、連続ドラマ「明日、ママがいない」が、当時、公的機関からも、非難の嵐が注がれていたのに、ガンとして、非を認めず。

 さらに、スポンサー全社が、CM撤退したにも関わらず、最後まで、放送を強行した。

 なぜ? たかだか、1本の連続ドラマに、そこまで、執着したのであろうか?

  で、なんで、そこまで、上記番組放送に、大久保好男が、こだわったのか!?

 その、真相と、深層の一端に迫ったのが、この連載の「第2弾」と、続く「第3弾」です。

 大久保に至る前に、テレビドラマ業界の裏話を、るる書いております。

 この手の問題に、関心のある方。

 まあ、お読み戴ければ、と。

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 [2014・1・30公開] 《同年2月5日、再掲載》

 ≪ 2018・5・20 再再掲載 記事 ≫ 

 やっぱり、テレビ局と違い、企業は”常識”が、通用していた。

 番組のスポンサー全社が、コマーシャル提供を中止

 スポンサーを、降りた。良い方向に、向かっていると思う。購買者からの声も、追い風になったのであろうが、会社幹部が番組を見て、おったまげたことだろう。あまりの、ひどさに! 子供と、人の心の痛みを知らぬ、描き方に。

 「圧力団体」などと、児童養護施設を叩く輩もいるが、事実を見ていないのには、あきれる。

 また、慈恵病院自体が、「赤ちゃんポスト」と命名したことは無い。マスコミが、「こうのとりのゆりかご」という名を使わず、造語として使った経緯があるだけ。

 しかし、番組中止への圧力に屈するな! と叫ぶ輩が、自分の出自について、「ポスト君」「ポストちゃん」「飼い犬」「捨て犬!」などと、見も知らぬ他人や、周囲の人に、言われ続けたら、どう感じるだろうか?

 お前は、捨て子どころか、捨て犬、捨て猫、それ以下だと、言われ、指さし続けられたら、どう感じるだろうか?

 他人のコトと、思わないで欲しい。

 自分が、家族が、兄弟が、言われ続けたら?

 そう、思いをはせて戴きたい。考えて戴きたい。

 そして、やはり、と言うべきか。「松田沙也」なる本名を持つ、脚本家は、この世に存在していなかった。

 といって、ゴースト・ライターでも無かった。

 代わりに、存在していたのは、「大江」というのが旧姓の、この実写版の連続テレビドラマの脚本を、初めて書いた新人の、30歳前後の女性。

 第1弾の記事中で、実在しているのか、どうか?、かなり怪しいと、私は書いた。

 そして、その時点では、「松田沙也」という名前では、検索を試みていなかった。

 「怪しい」というのは、シナリオ・脚本家業界を、詳しく知っていたり、関わっていた人なら、その意味が、お分かりになるはず。

 かつて、しばしばあったのが、大センセや巨匠と目される脚本家が、徒弟制度を利用。弟子の脚本を少し手直しして、自分の脚本として出してしまうこと。修行、はたまた修練に代わるものとして、それがまかり通っていた。

 何作か書かせ、放送されてみてから、独立を認め、放送局や映画会社の幹部に紹介。やがて、それぞれが、師の元を巣立っていった。

 これ、かなりあった。

 ひょっとして、野島伸司も、その手の事情を背景に、子飼いの女の子の名前で、出した可能性も捨てきれなかった。

 ちなみに、かつて埼玉県下にある、とある進学高校に取材に行った時のこと。

 そこは、元・日本テレビのアナウンサーである町亜聖の母校だったのだが、取材中になんと、野島伸司も、その高校の卒業生であることが判明。記憶によれば、剣道部員ではなかったろうか。

 また、他には、いろいろな都合で、それまで使っていた脚本家としての名前を使えなくなって、やむなく、その場しのぎのペンネームを使ってしまうパターンもある。

 有名な逸話では、倉本聰が自分のそのペンネームでは書けず、その当時親しかった渡哲也の妻の旧姓を勝手に使って、脚本を書いた。

 ところが、その脚本が、思わぬことに、とある賞を受賞。しかし、授賞式に出るに出れなくなって・・・・・。むろん、本名の山谷馨(かおる)は、知られていて、書き出す前から使えなかったという、テンヤワンヤの笑い話がある。

 ちなみに、この倉本センセ。「公式」発表では、昭和二けた生まれになっているが、実はヒトケタ生まれ。

 で、話し戻って、先日、「松田沙也」を検索。

 この、実写版ドラマとしては新人の大江は、上記の徒弟制度から輩出した書き手では、なかった。

 想いを巡らせた・・・・・・。

 この人間は、一体どんな人物で、どんな経歴をたどって、あんな、脚本が書けるように成り果てたのか!?

 それが、まず知りたかった。

 むろん、新人脚本家が書いたシナリオ&脚本が、1行、1字1句変えられずに、そのままセリフになって作品が完成することは、まず無い。

 撮影開始前に、「打ち合わせ」と称して、制作サイドから、手直し、書き直しを、何度も何度も要求され、ソレを呑まなければ、仕事を失うことも、現実に多い。新人であれば、なおさらのこと。

 実際、松田というペンネームを持つ大江も、何度も日本テレビの新旧の局舎に呼び出され、「打ち合わせ」をさせられている。

 ハッと気づいたら、換骨奪胎。

 脚本家なりに、初稿の芯とした想いは見る影も無い、ということは、よくあること。

 かつて、「青春の殺人者」という、実際に起きた親殺しの殺人事件をヒントにした映画が、映画賞を受賞したことがあった。

 監督は、当時人気があった長谷川和彦。愛称は、「ゴジ」。顔、容姿が、怪獣のゴジラに似ていたことから、そう呼ばれた。

 撮影現場で、脚本に書かれたセリフや、状況を委細構わず、どんどん変え、書かれたシーンを削り、新たに書き加えることは、周囲に知られていたゴジ。

 ゴジの書いた脚本も、そうされた。当たり前のコトとして。甘受せざるを得なかった。

 中上健次の原作を元に、脚本を書いたのは田村孟

 めでたいはずの授賞式で、田村孟が、トロフィーを手に、マイクの前に立ち、怒りを交えて言い放った。

 「コレは、俺の脚本じゃねえ! ゴジが、見るも無残にズタズタにしやがった! コレは、ゴジの脚本だ! だから、賞はゴジに渡せ。俺は、帰る!」

 そう言い終わると、自分の椅子にトロフィーを置き、すぐさま去った。

 それは、めったに見られない光景ではあったが、出来うるならば、ソレを実行に移したいと、腹の中で思っている脚本家は、実に多い。

 だから、倉本聰は、「北の国から」以降、高視聴率を取れるようになって、制作サイドと放送局に、キッチリ注文を付けている。

 脚本に書かれたセリフは、1字1句、変えてはならないこと。

 さらに、すべての回を書きあげてから、脚本を渡す。その代わり、どんなに視聴率が悪くなっても、最終回まで必ず放送すること。むろん、脚本料は全額くれること。

 それを、約束させた。

 しかし、ソレは、倉本大センセだから、可能なこと。

 通常は、撮影現場で、セリフが増減。ソレが無くても、シーンのカットや、言い回しがドンドン変わるということは、今日も、ごくフツーに行なわれている。

 おそらく、新人の大江にとっては、抗議や、撤回や、修正を求めることなど出来るわけも無く、言いなりだったはず。

 もっとも、最初から、彼女、大江の脚本に

 「飼い犬

 「早く、新しい飼い主に慣れろ!」

 

 「あんた、いつまで、小芝居してんだよ!」

 そういうセリフが書き込まれていたとしたら、大江は、ドラマで描かれた世界の、事実と真実を知らな過ぎる、冷酷無比な鬼畜と言う他ない。

 それとも、「打ち合わせ」と言う名の席上で、上記のようなセリフに書き換えさせたのは、プロデューサーの、福井雄太か、難波利昭か?

 それとも、撮影現場で、そう書き換えたのは、ディレクターの猪股隆一か、長沼誠か、もしくは鈴木勇馬か?

 フィクションです。架空の物語なんです。などと言う言い訳で、逃げ切れる題材では、まったく無い。その範疇を越えているという他ない。

 斬りつければ、ブワッと、血が吹き出る題材なのだから!

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 それにしても、日本テレビのこの番組へのチカラの入れ具合は、尋常では無い。

 放送を見逃した人の為にという大義名分を旗頭に、深夜に再放送をするわ、パソコンを開けば、無料で即座に、今までの2回分をすべて、いつでも視聴出来ることまで、している。

 通常、ありえないことと、言っていい。

 すでに2回目の放送を終了。

 視聴率は、1回目が、14%。そして、2回目が、13・5%。

 わずか、0・5%下がっただけと、日本テレビや、傘下の制作会社のAXONは、タカをくくっているかもしれない。

 その上、1月29日の第3回目は、15%に、上昇。

 皮肉にも、記事を見て、では1度、試しに見てみようか?という、逆作用に働いてしまったのかもしれない。

 残念なことに、そんなつもりは全く無かったのに・・・・・。

 スポンサーも、すべて降りた。

 あとは、スポット・コマーシャルと、自社番組広告と、公共広告機構で、空いた時間穴を埋めるほかない。

 

 視聴者は、愚かでは無い。水島宏明のブログ記事によれば、放送の中止や、内容への疑問提起など、否定的意見は、日本テレビはすべて非公開にし、メール等、見捨てたという。

 怖いと感じるのは、「赤ちゃんポスト」とマスコミが名づけた「慈恵病院」がある、熊本県エリアを含む、北九州地区の視聴率が、先に記述した関東地区より高いこと。

 観た地元の人が、どう感じ、とりわけ子供がどう受け止めたか? が、気になって仕方ない。

 放送開始前、 大江は最終の第9回まで、書き上げてはいなかった。

 このあと、おそらく、世間の反応と視聴率を気にしつつ、書き直しが待ち受けているだろう。

 そして、何回まで放送出来るだろうか??

 何回で、放送中止にならざるを得ないか?

 他局、テレビ朝日の「相棒」が、民放ドラマトップの、18・6%とあれば、例え徐々に下がって10%になっても、おいそれと算盤ずくで中止に致しますとは、言いにくい。

 そのこ汚い経済論理は、分からないでもない。だが・・・・

 扱う題材を、そもそも履き違えた。甘く見た。どう描いても、許されると、思い上がった。

 岡村隆史のいう屁理屈は、バカバカしくて、間違いだらけ。オハナシにならない。そもそも番組を、観ていないのではないか。

 先に挙げた、5名の主要スタッフは、いずれも「ポスト」の呼び方に象徴される、「慈恵病院」に詳しい事前取材に訪れてはいない。

 後述するが、松田こと、大江も、同様であった・・・・。

 出演者である城田優は、この番組について、「全部、(最終回まで)観てから言って下さい。そうすれば、この番組の言いたいことや、良さが分かると思います」と言ったが、そんな悠長な視聴者は、この世にいない。

 だから、制作側が、第1回目から、センセーショナルなセリフを連発して、刺激的にあおり、意図的に仕掛けたわけだ。

 おそらく、三上博史を始めとして、当初の目論見では、最終回で、皆良い人、ひどいこと言ってごめんなさいとなって、無理やり、愛と感動と涙でしめくくろうというハラだったのであろう。

 しかし、そうはうまくいかない。

 視聴者は、製作者側が想像する以上に、賢い

 そして、企業スポンサーは、世間の荒波を、頭からザブンとかぶる前に、番組を降りたということだ。

 世の中を、甘く見ると、テレビ局は倒れる!

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 さて、「松田沙也」なる「ペンネーム」を持つ大江は、今までどんな人生を歩んできたのであろうか・・・

 生まれは、ニッポンだが、小学校6年生の時、父の仕事の関係で、韓国のソウルへと渡っている。彼女が、中学校2年生まで、そこの「日本人学校」に通った。

 父の仕事は、読売新聞の記者。そこの「ソウル支局」に、勤務。元々、父は、東京外国語大学の中国語学科を卒業。

 

 中国はむろんのこと、韓国、タイなど、アジア諸国に関心があり、自身も、先のソウルの他に、バンコク、北京の支局に勤めている。

 

 ちなみに、大江の両親は、ともに山形県出身だ。

 

 父は、その後、論説委員となったのち、千葉県下にある私立大学の教授に就任。今は、マス・コミニケーション学科の、学科長も兼務している。

 そんな人物を父に持つ彼女は、帰国後の高校時代は、演劇部に入る。そこで、文化祭のために上演するオリジナルの脚本を見よう見まねで書き始めた。

 ちなみに、高校は、茨城県にある常総学院高等学校へ通っている。

 そう! 野球部が強く、昨年の夏も、甲子園大会に出場しており、大江自身、球場に応援に駆けつけている。

 大学は、父が教授をしている、そこへ進学。それも、同じ学科へ!

 だが、そこで、記者の道に進もうとは考えなかった。

 軽音楽部[JOYCE]に入り、バンド活動に溺れる。その一方で、月に1回開くライブの宣伝ために、自らプロモ-ションビデオの脚本を書き、撮影する楽しさを知る。

 夏合宿や、定例の温泉合宿でも、それを手掛けた。

 ところが、卒業後の就職先は、着物の製造・販売会社。

 大江自身の考えでは、パソコンなどで、今までに見たことも無いような斬新なデザインを、立体的に企画立案して、今まで培った映像の能力を生かしたいと思っていた。

 だが、回された職場は、銀座の高級呉服店

 たまにしか来ない上客に深く頭を下げ、心にも無いお愛想とお世辞を言う、いわば接客業。

 たった3か月で、辞めた。

 そこからは、進学・受験塾で有名な「東進ハイスクール」の受付事務のアルバイトを続けながら、一念発起して、表参道にある「シナリオ・センター」に通い始めた。

 他の生徒より、一歩二歩、先を歩める天賦の才能があったのであろう。

 ゲームのシナリオや、アニメーションのシナリオを書き、構成したり、プロットを書いたり、新作アニメのプロジェクト・チームの中に組み込まれ、若い女性としての意見を述べ、助言したりし始めていった。

 シナリオ・センターの中でも、とりわけアニメにおいて、チカラを発揮していった。

 新風舎の「恋愛文学コンテスト」に応募。そこで称賛され、図に乗った感がある。

 というのも、当時、私自身、新風舎の自費出版詐欺事件を取材していた。

 結局、被害者にカネを戻さず、会社更生を申請して、法的責任を逃げまくった。

 まさに、そのドサクサのさ中での彼女の小説絶賛甘言。

 当時の新風舎は、持ち込まれたどんなシロモノでも称賛して、ともかく作家志望者から、1円でも多くの自費出版にかかるカネを引き出そうと、甘言を弄していた頃であった。

 とにもかくにも、見かけ上、売れ始めかけた大江。

 実は、昨年の5月。大江は、結婚した

 翌月には、新婚旅行で、雨の成田空港をたち、モルジブへと、新婚旅行へ行ってもいる。

 しかし、夫の姓は、松田ではない。

 「松田沙也」なる名前は、それ以前から使っている、ペンネームに過ぎない。まだ、妊娠は、していないようだ。

 挙式前に、千葉県の柏市にほど近い、住所としては松戸市にあるマンションに新婚家庭を構えている。

 すでに、新妻として8か月。

 ただ、幸せ感は、残念ながら、漂ってはこない

 予備校のアルバイトこそしなくてもいいようになりつつあるが、脚本を書くというより、打ち込む作業に、ひたすら一生懸命の日々。

 煮詰まったり、気分を 変えたい時には、スターバックスなどのコーヒーショップに、パソコンを持ち込み、また打ち始める。

 バンドをやっていたこともあり、歌謡曲好き。その一方で、サッカー観戦も大好きだ。

 美人とは、言い難い容貌。

 自転車をこいで、椅子に座りっぱなしのため落ち始めた脚力回復と、気分転換も計っている。

 好きな、コンサートや、ライブ、演劇鑑賞にも、以前ほど行けてない。

 そして・・・・・・・

 良くも悪くも話題沸騰の、この番組を書く、いや、打ち始めるにあたって、取材を殆んどしていない

 していたなら、あんな脚本は、打てない。

 そう断定したら、そんなことありませんと、彼女はクチをとがらせるだろうが、彼女の「公的」な答えでも、「ご意見は伺っております」と言うに、とどめている。

 誰に、どのような経緯で、聞いているのか? 制作スタッフからの間接的、では、ハナシにならない題材だ。

 自ら取材に、行っているのか?

 例えば熊本市まで行って「慈恵病院」、例えば、全国各地に点在する「児童養護施設」。

 そこにまで足を自ら伸ばして行ったことが有るとは、まったく、ハッキリと言っていない。その兆しも、無い。

 実際、取材に日々を費やした形跡、足跡が、残念ながら見いだせない。

 現役プロボクサーで、児童養護施設出身者が、数人いる。今回、聞いてみたら、「観ていません」という答えが返ってきた。

 安心した。

 観ていたら、怒り狂い、そして、落ちこむだろうから。

 それでも、イッチョ上がりで、映像を作る奴はいる。そして、現実に映画やドラマは、出来てしまっている。

 大江だけでは、ない。すでに、そんな、労せずして、ちょろい生き方をしている有名人は、いる。

 例えば、是枝裕和(これえだ・ひろかず)。

 実際に起こった事件を基に描いた映画「誰も知らない」。

 この映画で、是枝は一躍知られることになったのだが、実は彼自身、その現場や、関係施設に1度も行っていない。聞き出してもいない。

 腐っても、ドキュメンタリー演出家の、はず。

 ところが、この手口。本当に、驚いた!

 是枝は、何食わぬ顔をして、脚本を書き上げた。想像の産物を。

 ところが、取材してみて、分かったのだが、当時の報道には、かなりのウソと事実誤認と、間違いがあった。

 しかし、是枝はむろん気付かぬまま、そんな報道を下地に書いていた。

 偶然に合っていたのは、古いマンションの部屋の番号だけ。

 詳しく知りたい人は、「ブログ人 誰も知らない是枝裕和の秘め事」を、一読して戴ければ、分かります。

 私なりに、改めてゼロから取材していく中で、あの子供達が、その後引き取られた児童養護施設で、どのような生活をしていったのか?を、当時つぶさに調べていった。

 一時期、女の子1人だけは、鬼畜のごとき実母の元に身を寄せたが、すぐ施設に戻っている。

 一体、どの施設に入ったのだろうか? 遠い、近い、さまざまなところを、こつこつこつこつ、訪ね歩いた。

 「個人情報」という名の、ぶ厚い壁が立ちはだかったものの、その実態が、同時に、少しずつ分かっていった。

 だから、大江という「新進脚本家」に対して、このような1文が、自信をもって書けるのだが。

 大江を喜ばせるつもりは無いが、少し眉をひそめたくなるような施設も、あるには有ったし、愛情が感じられない職員にも、ひどい経営実態にも出会った・・・・・・・。

 皆が皆、良い人ばかりではない。だが、それは、全体からみれば、ほんの1部に過ぎなかった。

 だが、「明日、ママがいない」は、それを軽~く飛び越えた、デタラメ産物。飛躍し過ぎ、ありえなさ過ぎ。

 チョ~架空。チョ~・フィクション。

 ただただ、そのすべての関わる人達の心を、傷付けているだけでしかない。まさに、救いようのない愚作だ。

 これは、「フィクション」とか「架空」とかの逃げ口上では、とても片づけられない。そんなもん、書くう??と、大江には、シャレを、かましたい。

 彼女は、まだママには、なっていない。なってみて、初めて、我が子を見て、少しは、書いた傷みに、気付くかも知れない・・・・・

 

 さて、戻って、この是枝。

 最近、「そして父になる」という映画を監督し、「脚本」も書いた。下手すると、日本アカデミー賞最優秀作品賞を獲るかもかも知れない。だが、獲らせてはいけない作り方の罪を、またも是枝は犯した。

 これまた、かつて全国各地で発覚した「産院での、赤ちゃん、取り違え事件」が、基本的ベースにあった題材。

 またも是枝は、地道に、丹念に取材をせず、奥野修司というルポライターが、17年間にも渡って追跡取材を丹念に積み重ねた末に書き上げた「ねじれた絆」を、安易にパクッた。いいとこどりした。

 少なくとも、参考にした、参照した、テキストにした、などという言い訳を越えたことを、平気でしてのけた。

 またか・・・・・

 呆れ果てた。その、作り手としての安易な姿勢に、堕落ぶりに。

 結局、映画の出資元であるフジテレビは、裏工作の末、妥協の産物として、「ねじれた絆」を「原作」とした、ドキュメンタリー・ドラマを一方で制作し、映画と時を同じくして、放映した。

 多くの人に迷惑と、お世話をかけても、恥じない是枝。

 大江には、そんな詐欺にも近い愚者の二の舞は、演じて欲しくない

 一方、かつて、やらせと、仕掛けで、ドキュメンタリー番組を作り続けた田原総一朗

 彼の被害者に、ジャズ・ピアニストの山下洋輔がいる。早稲田大学大隈講堂でのやらせなどで、体もひどい目にあっている。

 興味のある方は、ご自分で当たって、調べてください。思わず、あきれてしまうはずですから。

 ここで、詳しく書くと、拡散し過ぎになりかねないので。

 さて、全9回を強行放送すると明言した、日本テレビの大久保好男(よしお)社長だが、ストーリー展開も変えないと、言い切った。

 世間の冷ややかな視線と、スポンサー皆無の荒波をかぶっているのにだ。

 どうして、そこまで、新人女性脚本家に、肝いり、肩入れ、援護するのであろうか?

 

 実は、この大久保。卒業した大学は、東京外国語大学(フランス語学科)。そして、元・読売新聞記者にして、元・論説委員。

 

 そう、お気づきになりましたか?

 

 大江の実父と、大学で同窓生、職場で同僚だったのであります。

 

 奇妙な偶然。そう言って置きましょう。点と線は、つながるのでありますが

 親しい人の、実の娘が脚本家となれば、ひと声かけられ、かけて、新人で、ドラマ未経験であろうが、強力に後押し、推薦したことだろう。

 だから、何としてでも、スポンサーが無くても、最終回まで、強行放映したい。

 記者には、定例会見でも、そんな裏事情は、ひた隠しに隠した。

 ちなみに、大江の実父が教授をしている大学に、元・日本テレビの問題多き男性アナウンサーが、準教綬としていきなり、同じ学科に就任。やがて教授となり、現在は客員教授として籍を置いております。

 

 さて、アジア諸国の政治問題に詳しい、大江の実父は、論説委員を辞したのちも、60を超える論文や寄稿を書いている。

 そのなかには、目下、東京都知事候補として、選挙戦に日々東奔西走している、田母神俊雄を、バッサリ、斬って捨てているモノもある。

 かつて、田母神は、自論の歴史観を縦横無尽に展開し、筆を走らせた論文を、世に出した。

 それが露見し、田母神は幕僚長のクビが飛んだのだが、大江の実父は、「前代未聞の「妄言」論文」と、バッサリ、斬って捨てた

 私も、妄言とまでは言わないが、田母神の歴史観は、ご自由だが、基本の歴史事実の誤認が、多すぎて、あきれてしまったのは、事実だ。

 そんな田母神が、今や、娘の書いたドラマと共に、世間とマスコミをにぎわせ、騒がせている。

 どんな想いを、抱いているであろうか?と、思った。奇妙な「偶然」の縁と、点と線についても、聞いてみたい。そう、思った。

 とりわけ、記者の娘として産まれたのに、親元を離れた、30前後の立派な成人とはいえ、取材を綿密に重ねもしないで、飛ばし記事ならぬ、「飛ばし脚本」を書いてしまった、もしくは、書かざるを得ない羽目に陥ったことについて、人生の先輩としても、どう思っているのか?

 大江教授の研究室へ、電話を入れてみた。

 ・・・・・・不在だった。

 大学によれば、目下、学内は後期試験の真っ只中。自らの娘もいたマス・コミ二ケーション学科の試験は、本日は無し。

 よって、試験立ち合いの業務も、無いのではないか、とのこと。

 ならば、自宅へ ・・・・とも思ったが、やめた。

 父から娘へ。書くことの難しさと、取材・下調べの大切さを、説いているはずだから・・・・

 そう、信じたい。せめて、そう、思いたい。

 最後に、新人、否、新進脚本家の大江に、次の言葉を捧げたい。

 

 それは、彼女がアニメの脚本を書いて、調子に乗っていた頃、かつて、ある人から、きつく戒めとして言われた言葉だ。

 

 < (アニメだからといっても、出てくるのは)皮膚を切ったら、血が出る人間なんだよ。それを、忘れないでね!>

 

 

 

 

 

 

 


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