コレって、TBSは、一体全体、ナニを考えて流しているんだろう?
観終わって、しばし、クビをひねった。
「報道の魂」なる、近年、タイトルに偽りありの、熱い取材魂がカケラも見えない低内容が続いているものの、一応、ドキュメンタリー系の番組。
放送されたのは、今年の!6月7日の深夜。
かつて田英夫(でん・ひでお。故人)らが活躍し、「報道のTBS」と他局から畏敬の念を持って囁かれたのは、遠い昔。
「報道特集」「バースディ」「情熱大陸」・・・・・・
もはや、かつての取材力も情熱も、カケラも無く、上っ面をなでるだけに終始。
早回しで再生し、視聴。一応ダビングはしておくものの、2度と見る価値も無いシロモノばかりが、ここ数年、作られ、垂れ流されている。
ソレに較べて、日本テレビ系「NNNドキュメンタリー」、テレビ朝日系「テレメンタリ―」。
この長年にわたって秀作を放ち続けている、上記2ドキュメンタリー。特に、地方局制作のドキュメンタリーの内容たるや、キー局より、はるかに素晴らしいものが目立つ。
「テレメンタリ―」で、沖縄県の普天間基地移転、辺野古問題を、沖縄県民の抱える、複雑で、根深い視点で描いた、琉球朝日放送制作「裂かれる海 辺野古、動き出した基地建設」が、今年度の「ギャラクシー大賞」を獲得したのは、当然だろう。
若きディレクター、棚原大悟と、島袋夏子(写真左)には、今後、県知事選挙で「大きな期待と責任」を負って、当選したはずの、翁長雄志(おながたけし)の、この半年にわたる事実上、口先だけで言い捨て、何もしていない、この男の裏切り行為の数々を、県民の目で追及・検証していって、番組制作して欲しい!
そんななかでの、「報道の魂」。
この番組でクローズアップされたのは、産まれつき難聴の、大学4年生である大塚貴之(たかゆき)。
1歳で、「感音性難聴」と診断された彼。空を爆撃機が飛んでいても、聴き取りにくいという、重い耳の障害を持って産まれた。
普段の生活でも大変なのに、激しいチームスポーツ格闘技の雄、ラグビーを、小学校5年生の時に、先生から勧められ、始めたという。
中学生の時には、大分県選抜チームの一員に選ばれるほどの実力に、成長した。
そして、大学は、なんと帝京大学に進んだ。
写真中央が、その大塚貴之。
そのこと自体、すんごい!こと。少しでもラグビーを知っている者なら、ソレが分かるはず。
彼は、番組のなかで、こう語っている。
「耳が聞こえない自分が、どこまで通用するか。その可能性を試してみたかったんです」
その決意のもと、あの大学ラグビー選手権6連覇という最強チームのなかで、とにもかくにも4年間、やり続けてきた。その努力たるや、並大抵のものでは無かったはず。部員だけで、144人もいる、完全自治の全寮制。
言葉を発して、連係プレーでトライを勝ち取るラグビーにおいて、大きなハンディであることは、見てても明らかだ。
しかし、徐々に部員から信頼を得ていった。ラグビーに取り組む、その真面目な姿勢と、ひたむきさが、部員の心を動かしていったようだ。
AからDの、いわば1軍から4軍に区分けされた、プロ的、段階的実力差チーム編成のなかで、悪戦苦闘。BからDを上がり下がりしてきた。
それが、4年生の大学選手権で勝ち上がってゆく中、Aチームの控え「23番」として選抜され、対「朝日大学」戦の途中で、試合に出場!
見事に、九州の大分県から上京した両親が見守るなか、トライを決めた!
醒めた目で見るならば、相手は、失礼だが、事実上格下の大学。そのうえ、投入する時点で大量リードしており、4年間弱、終始、誰にも増して頑張っていた大塚貴之に華を一度は持たせたいという、岩出雅之監督の「23番」への、はなむけ、ともいえた。
実際、83-12で、試合終了。
だが、その「快挙」は昨年のこと。
放送されたのは、繰り返すが、今年の6月7日、日曜日の深夜。
どう計算しても、すでに卒業して3か月以上。留年したとの報道も噂も、無い。
今は社会人になっているはず。ドキュメンタリーとしては、賞味期限切れ、古いホコリがかぶり始めたシーン。例え、系列地方局制作の物だとしても、だ。
今は、どんなところに勤めているのか? どんな人生を、歩み始めているのか?
身体的ハンディを再び乗り越えて、ラグビーをやり続けているのか、いないのか?
その、観た誰もが想う疑問に、何一つ、答えぬまま番組は終わった。
ひでえ! カネ、返せって気分。
再放送と断って流したのならともかく、そうではない。
放送人として、流す前にチェックもせず、垂れ流している無責任な極まりない証拠だ。
気になっても、一晩寝れば忘れてしまうのが、一般視聴者。しかし、わたくしめ、どうにもこの10日あまり、・・・・・・・・・ぐっすり眠られるが・・・・・・気にかかった。
結局、彼の父にインタビューをすることになるのだが、その取材のなかで、やはり、わたくし同様、その後が、気にかかっていたひとが何人もいたことを知った。
TBSの罪は、小さくない。
実は、私が大塚貴之を知ったのは、数年前。やはり、地元大分のテレビ局・OBS大分放送が作り上げたドキュメンタリーだった。
彼に注目した以上に、ええっ!と想ったのが、彼がいたラグビー部が「大分県立雄城台高校」だったということ。コレ、「おぎのだい」と読む。
実は、そこの「ラグビーフットボール部」に過去に在籍し、3年間、「大分舞鶴高校」との越えられぬ壁に跳ね返され、聖地・花園で開かれる「全国高校ラグビー選手権」に出場出来ぬまま、卒業した。その後、プロボクサーに転じた若者を知っていたから。
なにしろ、試合のたびにはいてリングに上がるトランクスに、今も大きく「大分県雄城台高校」と色鮮やかに、染め抜かれているのだから、嫌でも知った。
なのに、今でも、「ゆうきだい」と呼んでしまう、愚かなわたし。
彼に聞いたところ、「当時の部員や友達がカネ出し合って創ってくれたんです。嬉しかったすよ」と言う。
旧友たちは、今も試合のたびに、後楽園ホールに、熱烈応援に来ている
「俺のカラダが、人一倍打たれ強いのは、あの雄城台ラグビー部のきついスクラムと練習で、鍛えあげられたからじゃないかなあ」と、スキンヘッドのアタマを揺らして笑う。
その”自信”ゆえか、足を止めて、激しく打ちあいに出る。時に、我を忘れて、ノーガードで。
観客は、思わず大歓声を挙げるが、その衝撃が頭部に蓄積され、いまや日に日に、パンチドランカー状態になりつつある。
周囲や仲間は、結婚した彼に、引退をさりげなく薦めているのだが・・・・・・。
そんな母校で、大塚貴之は、ラグビー部主将を務めていた。
ラグビーは、卒業後も続行。
先に書いたように、一般入試で、帝京大学を受験。やるのなら、日本一の最強大学ラグビー部に入ってやってみたい、自分のチカラを試してみたいという、一念でだ。
彼の父によれば、岩出雅之・帝京大学ラグビー部監督が、息子の熱意を感じ、事前面談してくれたという。
「難聴が入部に当たっての壁になるかも知れない。しかし、そうなったら、最後には俺が、腹をくくって、なんとしてでも大学側を説得し、責任持って入部させるから」とまで、言ってくれたという。
帝京は、強い。
かつて、岩出に直撃し、すでに書いたが、特待生も入部させている。監督の責務として、優勝をし続けるためだ。
だが、岩出はそれ以上に、「ラグビーというスポーツを通して、人間教育を目指している」信念があるように想う。
「リアル ラグビー ルポ 帝京大学 ごみ拾い」
2年9か月ほど前に、書いた一文を、上記文字で検索し、読んで戴ければ、その一端が感じられると思います。
ちなみに、今年も、早稲田大学には、今年すでに、AからDチームまで、4試合すべて完勝。
先週には、明治大学にも圧勝している。
今後数年は、おそらく、大学日本一は続くであろうと、想う。
さて、大学卒業後、大塚貴之はどこに、行ったのか?
行方を追っていくなかで、「パナソニック」という会社名が、チラリとのぞいた。
ええ~っ!!!!!!
あの、あの!、「三洋電気」時代から、トップリ―グ、ベスト4には、チーム不調でも必ず入っているパナソニックのラグビー部へ?
卒業後も、日本一の実力チームのなかに、その身を投じたのかよ!
いやあ、他人事ながら小躍りした。やったぜえ! 大塚クンと。
早速、群馬県太田市にあるラグビー部に、ピッポッパ。
しかし、対応。極めて冷静。何人も、外部から問いあわせがあった雰囲気。
「いや、部員には入っておりません。部の入部試験的なものにも、そもそも、受けに来ておりません」
一気に小躍り、ダウン!
「彼は、一般採用で入社はしたようですが・・・・・。どこの勤務地かは、こちらでは分かりません」
---アレですかねえ? もし、入部していたとしても、重度の難聴ですと、ハンディになりますか?
「まあ・・・・・そうですねえ・・・・・・」
なにしろ、2軍、Bチームに甘んじている選手でも、他のチームに入ったら、すぐさまAチームに入れる可能性のある選手が、ゴロゴロいるチームだからなあ。
ではと、確か、障害者ラグビーチームがあったなあ、と。
検索してみると、この5月24日に、東芝のグラウンドを借りて月1回の練習をしており、そこに大塚も参加していたらしい。
この秋には、同じ障害者で編成されたオーストラリアのチームが来日し、日本と試合を行なう・・・・・らしい。
連絡を試みたが、なしのつぶて。
やっぱりかあ・・・・・、態勢や応対がズサンか、ココも。
そう感じたのは、かつて、車イスラグビーの日本代表チームを取材したときの、苦い思い出がよみがえったから。
選手たちは、いずれも真摯で、ひたむきだった。だが、運営している主要男女幹部が、おカネの問題も含め、怪しいこと、この上なかった。ラグビー記者は、わたし、たった1人。記者会見でも、来たのは専門誌のみ。みんな、経験で、うさんくささを感じ取っていたのかも知れない。
地方から、その地域から日本代表に選出された選手を取材に来ていたディレクターとカメラ・照明スタッフも困惑していた。
「そうなんですよねえ・・・・・。なにかねえ・・・・・」
結局、2日間通ったが、1行も記事にせず、終えた。2度と、取材には行かなかった。
だから、ますます、世間一般に広く知られない。
またか、よ・・・・・・・。ましてや、まともだったとしても、合同練習がわずか月に1回 では、将来性は無い。ラグビーは、そんな甘く、ちょろい格闘技ではない。
調べ上げて、彼の父に取材を試みた。
面識も何も無い。
驚いたのが、大分県で、社会福祉法人の理事長をやっていたこと。2つか、それ以上の知的障害を持つ子供から大人までも収容する施設を運営しているようだ。
スタートは、50年前。ということは?
「私の先代が、起ち上げて、私が受け継いでやっているということです」
いきなりの電話にも関わらず、受け答えはやわらかく、好印象。仕事でつちかった応対ぶり、とも言えるが、あの息子にして、この父親。マスコミ受けが良いのも、納得出来た。
むしろ、仕事中を邪魔して、申し訳ない気がしたが、ソコはそれ。聞きたいことは、聞きまくる性分。
---同じ障害でも、息子さんは耳だったんですねえ。お子さんは何人いらっしゃるんですか?
「4人です。男2人、女2人で、貴之は末っ子です」
我々と違い、障害児を見つめるまなざし、接し方も、普通の父とは、不幸中の幸い、と言ったら失礼か。まるで違ったであろう。
で、一番、聞きたいことを聞かねば。
「ああ、何かねえ、さまざまなところに、問いあわせがあったようですよ、今どうしてるのか?とか。貴之は、パナソニック、大阪ですね。そこの本部というんでしょうか、開発部門に配属されているようです」
「毎日毎日、研修から実習と、覚えなければいけないことが多いとかで、忙しい毎日を送っているとか、言ってました」
「耳のこともありますからねえ。それでも、周囲の方たちも解るようになってきたようですよ。ありがたいことです」
で、ラグビーの方は?
「大学では、正直、きつかったと言ってましたからねえ。もう、本格的に卒業後も続けるという、そのつもりはないと、私にも言ってました。趣味程度には、やると」
だから、ラグビー部の試験を受けなかった?
「そのようです。一般採用試験で採って戴いて、新入社員として、頑張っておりますよ」
障害者ラグビーの、先月の合同練習には参加したようですが?
「のようですね。この秋には、なんですか、オーストラリアのチームが来日するとか、聞いておりますが・・・・・この先は、どうするのか・・・・・」
大阪から東京へ、休日を返上しての往復。月に1回とはいえ、交通費、宿泊費、すべて自腹。新入社員、ましてや、大きなハンディを背負った身には、心身ともに大きな負担だ。
東京には、先の番組で友人として映り込んだ、やはり耳の障害を持つ、めっちゃかわいい子がいるけれど・・・・・。
「何かねえ・・・・とても良い子でしたよ。良いガールフレンドってとこじゃないでしょうか」
遠距離恋愛になっている・・・・・のかどうかは、知らない。だから、練習の前後にデートをすることになっているのか、どうかも。
しかし・・・・・グラウンド上で見せた、あの屈強な体躯、あの、たぐいまれなる能力を、あの不屈の精神力を、まだ23歳で捨て去るのは、もったいない。
ソレを、あの彼女の前だけに披露するのは、もったいない。
幸い、大阪近辺には、多くの社会人が集う、ラグビークラブや同好会がある。最低週一回の全体練習があり、ランニング、ウエイトリフティングの個人練習も、個々にこなしている。
仕事を覚え、少し余裕が出てきたら参加を勧めたい。
あの!雄城台と帝京でカラダに染み込ませた記憶がよみがえり、他の選手の力量に追いつき、追い越す個人能力は有る!と想えるから。
そうそう、帰郷することはあるんですか?
「いやあ、社会人になってからは、一度もありません」
「ああ、7月には一度、帰って来る・・・・でしょうね。間違いなく。というのは、我が市で、スポーツ関連で頑張った人を表彰する制度があって、貴之が、その第2号として、表彰されるようなんですよ」
おおっ! 良い事、良い事!素晴らしい!
気になっていたコトを、さらに聞いた。
ーーーあの、東京と同じ内容の番組は、地元の大分では、いつ流れたんですか?
「ええと・・・・・いつだったかなあ・・・・・確か・・・・・去年の12月くらいでは、なかったか、と」
ああ、それならば、まさに大学4年生の「今」を、伝えている。親族が見ていても、違和感は無い。
今は、大阪で頑張っている彼。なんと、冒頭に挙げた番組が、父の記憶によれば、この6月27日の、MBS毎日放送で流れるそうだ。
まさか、毎日放送、そのまんま、垂れ流さないよなあ・・・・・。
ハンディビデオカメラ抱え、パナソニックの許可を得て、スーツを着こなして勤務に励んでいる、「今」の彼をとらえて来て、ラストにワンカット、さりげなく付け加えて、テロップを乗せて、完結させて欲しい。
おそらく、大塚貴之、当人も、タイマー録画なりして、いつか観るであろうし、同僚・先輩に、いつのやってんだよ? と、クビを傾げられることも無いであろう。
その程度なら、取材経費もかからないであろうし、OBS・大分放送の制作・著作権も犯さないはず。
報道の魂、ならぬ、不屈の魂をもった、難聴ラガーマン・大塚貴之を折りに触れて取材し、1本のドキュメンタリーにまとめていく道もある。
関西の地で、大塚貴之クン、月並みの表現で恐縮だが、頑張り続けてください!
あの、難聴ゆえに得た、やさしい心遣いを持ってる人間は、理事長だって将来やれそうな気すらしてきてならない・・・・・・。