goo blog サービス終了のお知らせ 

King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『夜と霧』読了

2012年08月25日 10時40分23秒 | 読書


『夜と霧』を読みました。

これはNHK100分DE名著に取り上げられてすぐ買いました。

番組はもう100分終了しましたが、最終回だけまだ見てません。

この本の中でも書かれていますが、あまたの映像やドキュメント
になったアウシュビッツなどのナチスドイツの強制収容所の
体験記です。

ただ違うのは心理学者としての視点とか精神医学的な解説と
人類愛とか人間性とか信仰とか独自の視点があることが特徴で
世界中で今でも読み継がれる本となっています。

今回、震災後の日本で読まれるようになったことから書店で
平積みされるようになっていますが、これはちょうど新訳版
が出たことと重なったからでしょう。

東北地方の書店で売れているというのは、つらい体験の中で
どう生きたらいいかを参考にしているというより、より悲惨な
体験記を読み、精神的な安定を得ているという方が強いように
感じます。

しかし、その心中を思うと私自身、当時神はなぜこのようなことを
と実際に信仰心がなくとも考えざるを得なかったように、多くの人が
なぜという問いを発して、答えを求め人に尋ねたり、坊さんや
神父などに訊ねたりしたことでしょう。

人により、この本に答えを求めた人もいたのかもしれません。

このつらい体験記を読み涙するより最初から慰藉される感じを
持てるのは、つらい場面を読まされても私たちは、結末として
このつらくこの世の地獄のようなところでも筆者は生還し、生を
全うしたという結果を知っているから何か安心感と最後に待って
いるそれでも生き延びた、なぜ自分は生き延びたかを知りたくて
ページを進めるのでしょう。

100分で名著では、生きる指針とか作者の伝えるつらいときには
こうするということばかりがクローズアップされますが、私には
この本で一番感じたのは、作者が信仰心を是としていること。

世の中、まっとうな人間とそうでない人間が同じ確率でどこにでも
いるということ。

収容所に入るということは、ほとんどが死への行進であり、それでも
生を全うするには、神という超自然の物を用意しないとならないの
でしょうか。

人は、さまざまな場面で多くの選択と決定を繰り返し、人生を
進めていきますが、運命そのものは変えられないとあきらめます。

しかし、究極の確立と自らの選択でそれを決定していく自殺と
いう終わらせ方をしていく人に神を登場させないで、険しい道を
行くことが正しいという宣託はできないのでしょうか。

ひとつの答えとして示される希望と目標がありますが、そこに
感じられる愛を知るには、人生を問い考え実際に生きないと
そこにはたどり着かないように思います。

これは私が日々毎日走っていて感じることと重なります。

走り出す前まではつらく苦しい道のりへ踏み出す勇気がいります。

特にこの暑さと極寒の冬には相当の覚悟をもって走り出すことに
なります。

それでも、走って得られる境地は考えて理解できるものではなく、
走って実際に苦しい時を重ね、その場に立たねば感じ得ることの
できない感覚はいくらも存在するのです。

そこに永遠の生とか超自然の存在を出して信仰を持つものがより
深く高くたどり着けるとは私は思いません。

そして、最後に語られる失意も十分に理解できます。

様々なものを犠牲にしてやっと手に入れたものとかやっと果たした
目標も周囲から掛けられる言葉がまたお座なりのものばかりだと
いうのもあの夏休みの宿題をすべて方ずけてやっと手にした何も
しなくてもいい最後の一日がすごい退屈な時間でしかなかったこと
と同様同じことをずっと繰り返しているように感じるのと同じです。

この本を読み、信仰を持つ大切さには至りませんでしたが、
せめて彼の言うまともな人間でありたいと思います。

どんな時にも自分はまともな人間の側にいたいと。