コーヒー通を自称する人はたくさんいます。
ブラジルはよく知っているからとアフリカのフルンジとか
ホンジュラスや東ティモールなどどこにある国か地球儀を
まともにさせないような珍しい国の珈琲を喜びます。
そしてとんでもなく深煎りにした珈琲をとてつもなく貴重な
豆として味もなくなったスカスカの豆をありがたがったりします。
ブラジルは浅煎りから深煎りまで幅広いスィートスポットを持ちます。
ところが、豆によってはそれが極端に狭いものもあり、農園や
精製法からその違いが来るものもあったり一概に国別にこの豆は
この焼き方というのは豆を見て色々と焼き方を検討しないと
いけないのです。
それなのに、極端な深煎り信仰が自称コーヒー通にはあって
自分がその苦いコーヒーを飲むことにかっこいいとさえ思っている
節があります。
さて、ブラジルのようにどんな焼き方にもそれぞれの顔を見せる
豆についてどれだけのことを知っているのでしょうか。
この焼きすぎとも思える真黒いカラカラの豆は実に苦そうに
これ飲めるのかというような姿をしています。
でも表面に艶があり、じっくりと落とすとなんとも言えない薫りが
でます。
そして、その味はべっこう飴を思わせる甘みがあります。
これはここまで焼いて出る甘みなのです。
実際ケニアの豆やマンデリンなど
はひどく黒く焼いて売っている店が
ほとんどなのですが、この甘みに関して微塵のかけらすら見いだせず
そもそも何のためにこう黒く焼いたのかもしれない代物なのです。
豆の保存や水分量の調節で出て来る味とか最近気が付いた味の
特徴など出すべきものが解ってくるとどう焼き上げるかもおのずと
解ってきます。
時には普段は焼かない深煎りにもしてその豆の状態で出る味の比較や
幅広い検証の上で読点の豆は売られています。
なんとも贅沢なことにそれは今の季節を感じ、今の気分にこの味を
飲みたいというところを狙って焼かれるのです。
これは自分の体と精神のぎりぎりの状態なども経験し、何をもって
最上とするかという根源的なこだわりがその人にあるかということにも
関係するのです。
それは知識にしてもそうです。
多くの知識を知り人類がたどり着いた最新の知とはと考える人と
何も感じず何も知ろうとしなくても万遍と繰り返す問いをそのままに
生きることも可能なのです。
ただ、人の英知と感性を少しでも知りその価値と進化に価値を見出せる
ならば、これからも綿々とその進化は続くでしょうし、たとえ多くの
核兵器を所持し、対峙する世界でもよいよい世界を模索する人類の願いは
普遍の努力を続けるでしょう。
それでも求められれば高いブルーマウンテンも焼かないわけでもないですし、
やすいブラジルサントスNO2も売っているのです。
お客様の納得のために試飲もできるし、最近はミルの挽き方の違いで
こんなに違うという試飲もやってみました。
こんなに真っ黒なのに苦みだけでないというのもこの焼きすぎ豆の
面白さを味わうのも珈琲を知るきっかけになるでしょう。