King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

レプリコンワクチン

2024年09月26日 13時30分27秒 | 日々のこと
来月からレプリコンワクチンが接種開始となるといいます。
このワクチンは自己増殖型mRNAで日本だげで開発認可されたものだそうです。7.8月にはこのワクチンを巡って反対集会やら不買運動が起きましたが一般には報道されていません。治験段階のベトナムで18人が注射で死亡。寝たきりになってしまうなど重篤な副反応があるといいます。
開発したのは明治製菓フアルマで26才の社員も接種後死亡し会社内でも反対運動が起きるなどしているのにマスコミは一切報道せず。65才以上の接種を各自治体は補助付きで実施するとか。
このコロナワクチンについてはすごいスピードで開発され認可も異例のスピードだったと思います。それを国策として全額無料接種を行い他の国と比べ死者も少なく感染も抑えられたようです。
そのコロナの最中、4回も打ったのに第11波と感染者が出ておりオミクロン株とかデルタ株とかさんざん変異しているのに古いワクチンを打ち続け印象としてはちっとも効いてない感じです。そんな中国産治療薬や国産ワクチンは悲願だったらしく今回開発されたのですがその重篤な副反応や注射による死亡が反対運動に繋がっているのです。
私は接種対象らしいですがもはや医療関係者でもないし打つつもりはありません。
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憲法論議に

2024年09月24日 19時09分46秒 | 日々のこと
自民党総裁選で憲法改正も触れられています。おおむね全部の候補が改正をすべきだと述べ自衛隊の明記や臨時国会の召集や表現の自由、応分の負担を明記など述べています。
印象としては文法的におかしいとかアメリカ由来で表現がとか簡単に直したいし、正すべきとして憲法発議の緩和を言ったり、1票の格差の問題も憲法にあるから地方の議席を減らして中央都市部の議員を増やしてしまう現法が間違っているかの印象を与えます。
法で国民の自由と安全と人権が守れないのか、簡単な文言すら直せないほど硬直化した改正手続きなのかと言えば差に非ずで、三分の二の発議さえできないのはもっと直していいものにしていこうという意識が議員間に醸成されてないからで自民党のいう自衛隊の明記やら自衛権の明記などの前にいれるべきことはないのか、何が時代と世界の間でずれてきたのか国民個人でも意識してみる必要があると思います。
基本的人権や幸福追求の権利までかかれている我が憲法ですが、平和的生存権などは全文には触れられていますが条文の中に明記なく各裁判の判例で確立されてきたものです。その他、プライバシーや肖像権など守られるべき権利も確認されています。それらは明文化すべきなのでしょうか。さらに他の国にはあってないものは環境を守るという概念です。米等は銃を持つ権利を保証しています。現行ではありませんが国民がネットで繋がる権利を明記する国も現れるかもしれません。
ただ、今回の憲法の議論で貧困▪︎差別▪︎抑圧を廃し、平和的生存権を保証し、環境を保全していくことに触れた人はいません。
自衛隊を明記したり平和のために応分の負担を果たすとは憲法に必要なのでしょうか。前文にかかれたような崇高な理念を持ち合わせていない人達だというのは理解できました。
言葉にして明確に記すということがそもそもそれほど厳格な意味を持つのかというと最近辞書に採用された言葉というニュースに言葉本来の意味と違う使われ方や理解をする人が多い言葉など時代とともに言葉の意味するものも使い方も変わるという事実を知れば改正したら安全ともいえないものを感じます。ただ憲法の話し合いを続けることで国をどうリードしていきたいのかは解りますしやらねばならない議論で国民も内容を理解せねば正しい人を選ぶこともできません。
私も資格試験のため法律をずっと学んできましたが、特に印象に深いのは津の地鎮祭判例です。公金を宗教儀式に支出するのは憲法違反と訴えられたのです。私が行政書士で憲法を学んだときには、高裁の判例が出て違憲となっていましたが、77年に最高裁判例が出て無罪になりました。その後秩父でもにたような裁判があり市が訴えられました。これも無罪になり控訴もされなかったと思います。
こういうのは市民団体とかある政党とか思想的に現政権を攻撃したがる人達の行為で一般の人達や市民には何ら関係のないような感覚で見られますが果たしてそうでしょうか。私は勉強したものが覆ったので強い印象をもってニュースを見たし何がそうさせたかとずっと考えていました。
実際、秩父でもお祭りの助成とか神社仏閣の修復とか公金が支出されています。
多くは文化財保護ということで町内の屋台なんていう宗教的道具なんかにも税金が補助として使われています。
他の宗教の方からすれば神社やお寺ばっかり優遇されてるというみ
方になるかもしれません。
そんな誰も文句なく使われているけど考えたらおかしいことはたくさんあるのです。声をあげなかったらそのままですし、省みて正すことも必要です。例えばこの間のコロナウイルスで政府はワクチンの無料接種を決めましたがどれだけ使ってどれだけの効果あったという報告は聞きませんし、注射で死んだ人や副作用で仕事ができなくなってしまった人とか影響のあった人がどれだけだったとかも聞きません。ネットではコロナで死んだ人より注射で死んだり仕事ができなくなったような重要な影響下にある人の方が多いという噂を流す人もいます。実際注射で死んだと思われる人は1000人ちょっとでそれもグレーゾーンで直接の死因か断定できないそうです。しかし、注射後生活がまともにできなくなった人をカウントするとその何倍にも増え詳しい調査さえされていません。赤麹で健康被害の時には入院後死亡した人の数が連日報道されたのにファイザーで何人、モデルナで何人と報道されたこともありません。
同様にコロナで中止になって今まで何千万の補助をされていた事業が5年も中止になりそのお金はどう処理されて、どう影響を与えたのか何て調査もされません。
そういった税金やら補助金が使われ地域経済が活性化したのか無駄銭だったのかというのはなぜ評価されないのでしょうか。この間の斎藤知事のようにおねだりしたとか恫喝したとか機嫌を損じたとか個人の人格を攻撃するような報道ばかりが先にたちその知事がなした改革とか実績とかよりつるし上げのような百条委員会の様子ばかりがニュースになり知事の人事権とか告発者の保護とかの論点は遥か後ろの方に隠れてしまっているのです。
そんな本当に我々が知り評価して世の中を変えていかなくてはいけないことはなかなか表に出てこないのです。
昨年限りで営業をやめたスキー場はまたいくつもあるのですがこれは赤字だからやむ無く営業を休止したという単純な内容でなくなかには黒字なのにやめた例もあります。元々栃木など豪雪地帯でもない太平洋側の山地では人工雪での営業でここのところの温暖化と人手不足と高齢化で黒字だけど事業継続をやめた例があるのです。
簡単にそれを一概に温暖化とか人手不足と受け取っていいのか冬場の労働力ということで東北などではスキー場やホテル誘致をして出稼ぎをやめることができたといいます。一方で都市部から若い人を移住させる動きも盛んでネット環境や仕事の創出など地方を主点として経済活動を発展させるかの考えがあるかどうか東京一極集中を是正するといいつつ地方に出ていった公立施設団体は微々たるものです。そういう動きに拍車をかけるべく特区とかデジタル庁ができたものの各手続きやら法整備やらは旧態のままで一向に改善は進まないのです。そして今回の能登ばかり災害が襲うのをみて辺鄙な田舎に出ていこうなどと誰が思うでしょうか。ところがそんな辺鄙な田舎になにか意味を持たせ移動のコストを極端に減らしてやれば地方の衰退も産業もまた違ってくるかもしれません。それには正しい振り返りが必要で投入した資金と策の見直し検証が重要です。
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中秋の名月に

2024年09月22日 11時36分03秒 | 珈琲
雲の多い中、それでも大きな月が見えていつも走りに出る8時頃でも雲が白く見えたり空が青く見えたりしていました。
すすきにお団子に漆黒の闇と黄色の満月と絵に描いたような色の絵とは違う現実の空でした。
そして昨日はまた三連休ながら雨がポツポツ降るスタートとなったのです。
関東ではそんなことでコスモスやら野球観戦やらと過ごす人があった一方、能登では線状降水帯が発生して大雨による洪水、土砂崩れがあり、また停電断水、電話の不通が発生したのです。
仮設住宅も床上浸水とニュース映像を見るとなんでまた能登なのかと思ってしまいます。
なんとこの日泉谷しげるはチャリティライブを開催予定でしたが中止にしたとSNSで発表。
元々地震でライブ中止にしてたものが会場は無事と聞き、さだまさしらと慰問したときにチャリティーライブを決定していたものです。
それが今度は雨で中止とは。改めてまた否定されたようなどうしてなんだと声が漏れるような事態です。
まあ、これが自然で何らかの超自然がとかすぐ結びつけたがるのが人なのです。
人のないものを信じる、嘘を信じる力です。一方技術の進歩で一般の人が捜査機関のようにGPSで位置特定したり、カメラで監視したりドライブレコーダーで交通被害を訴えたりとネット操作、それもスマホから指先で操作するだけと至って簡単にやれるようになっていてしかもそんなことはまるで関係ないという人も多く存在するという進歩や進化が全ての人類にあるのではなくそもそも地域や貧富の差など斯様に苛烈に現れるのです。それはこの間の中秋の名月のように見ている人にだけ感じられる現在の状況なのです。
とかくそれを埋めるのが政治の力で役割とされてきましたが、民主主義や世界を変えるとされた人たちやネット技術にそんな力はなく、格差は広がり地域差、貧富の差は広がるばかりなのです。
それでは今幸せ追求には何が必要なのか。手っ取り早く稼ぐにはネットでバズるよう動画で稼ぐのがいいのか。
いえネットでバズらなくても毎日美味しい珈琲がのめて、月を眺めて夜毎日走れたりバスケットができたり貧しい中でも心の平安と安らぎで幸せ🍀を感じることは可能です。
さらに例えば今年熱中症で畑でなくなった80才のお年寄りも幸せな人生と思ってなくなっていったかもしれません。人のために大雨や地震や土砂災害などで救助のために無念の死を向かえた若い方も日々充実した中でたまたま事故でなくなって十分精一杯生きて幸せだったと思っていたかもしれません。無理にできもしないみんなが平等や優しさを強いたりや不労所得を責めたりしてもただの偽善なのかもしれません。そんな思いにさせる能登の被害でした。
今日も珈琲の香りと深いこくのなかで不安定で格差の広がる理不尽な世界について考えました。
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エチオピアの豆に

2024年09月21日 22時22分14秒 | 珈琲
先週の三連休も台風14号が奄美から北西に直進的に中国に向かい、遠く離れた栃木や秋田に大雨をもたらしました。連休明けから関東にも雷と急な雨があり走るのもままなりませんでした。
そんな今週でしたが、相変わらず日中は36度になったりまるで穏やかな日のない雲のなかに中秋の名月があるような目まぐるしく不安定な週でした。今週末も三連休で前線が列島の上にありまた局地的に線上降水帯が発生するかもといわれ天気はよくなさそうです。
中間決済の今月、商社から投げが出て魅力的な商品もありましたが、まだまだ過渡期で実際の買い時と買うべき豆はこれからの気がします。
今はクリスタルマウンテンやケニア、イルガチェフがあるのでそれを売っていきます。
ブラジルの干ばつ等で今後は入ってくる豆はよいものはなさそうです。
戦争による品不足が指摘されエチオピアなどはもう入らないといわれていましたがどこの商社でもエチオピアは持っており、高値安定で取引されてます。
やっと美味しいものが知られて嫌気発酵の豆も認知されその差別化もされてきた感があります。
私もイルガチェフやエチオピアの豆にこれはというものを揃えてその魅力に触れるにはというところを色々伝えてきましたが、値段が倍以上に値上がりして満足に味わえないと感じている方も多いと思います。
当店ではそんな中ハルスケのナチュラルが1200円と格安なのです。
G1のイルガチェフでナチュラルが普通2000円以下の店がない中これはどうしたことかということですが、詳しくは来店のおりにお尋ねください。
昨日紹介したthe100ですが実はあと三話で結末なのですがまだ見ていないのです。
こういう核戦争で文明が消失とかゾンビが溢れてサバイバルする話は多いものの結局サンデル先生の白熱教室のネタなんだなと思います。ドラマでも最大幸福を得るために少数を犠牲にする話や人肉を食って生き残る話も出てきます。卓越した宗教家が超越した未来や人類の進化を語ったりみんなどかで見た光景です。
まあ、当店には他店にない安いエチオピアがあるとまあ何て幸せなことだという気がしてきます。
本格的従来のスマトラ方式のマンデリンのスペシャルティまであるし、クリスタルマウンテンなど1800円で買えるのです。楽しんでいきましょう。


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the100ファイナルシーズン

2024年09月20日 18時08分59秒 | 日々のこと
プライムファイアから6年。未知なる宇宙船がやって来てから未知なる武器を持った軍隊のような連中がやって来てマディという子供を救うため3人を殺し敵対するのですが、宇宙ステーションにいた仲間が宇宙船に侵入しクラークを助けます。結局、宇宙船はどこかの資源掘削に向かって帰ってきた船で、乗り組んでいるのはもと軍人と罪人や囚人で地球に残った唯一の生存可能域を自分達のものにしようとしますが、船に残った冷凍睡眠中の乗組員を人質に交渉し、とりあえずシェルターの掘削をお願いします。シェルターは簡単に開けられて宇宙で培養した藻類と水耕栽培でシェルターで生きていける目処もできたのですが、掘削船の人たちは谷は自分達でもらうと共存を拒否。シェルターを開けたのは宇宙船で流行る病気を治させるため医者が必要でクラークの母親アビーとケインをつれていきます。
そとに出られなくなったシェルター内では6年で食料も足りなくなり治安が悪化し、犯罪が多発。総統のオクタビアは犯罪者同士を闘技場で戦わせ生き残ったものだけまた集団の仲間とする政策で結束と食料はその死んだものの肉を食べるという策で生き延びていたのでした。
宇宙から食料を持ち帰り、水耕栽培にも成功したモンティですが、オクタビアは戦いに活路を求め軍を率いて谷を奪還しに向かうのです。そのため農場に火を放ち軍を鼓舞して戦うしかない状況を作るのです。
しかし、相手は宇宙船に未知なる武器まで持つ軍隊で数だけ勝るオクタビアの軍は徒歩で300キロも離れた谷を目指すのです。
最初、砂漠で手に入れた虫を敵に放ち簡単に皆殺しにする作戦でしたが、クラークは母親の奪還のためなんとか方法を探るものの、宇宙船の人たちの仲間割れやら争いがもつれ、宇宙船の反乱者が手に入らないのならと用意した爆弾を投下してしまいます。
結局、また宇宙に逃げることになり、爆弾の被害から地球が回復するまで5年を冷凍睡眠で待つことになります。
その間モンティが宇宙船の管理と地球の状況を観測していましたが5年たっても回復せず、アルファ星に向かうことになります。そして120年後、モンティの息子ジョーダンに起こされ目覚めて事情を知らせるモンティのビデオを見た一行はアルファ星に探査に向かいます。
アルファ星には人類の入植地で人が住めるはずです。降りて見るとそこは惑星ではなく二つの太陽を持つ衛星でした。放射線のバリアを掻い潜り建物内に入りますが、そこは無人で丁度日食で虫の毒が出ており幻覚を見てお互い殺し会わないよう手錠をして過ごすのです。何とか虫の毒を凌ぐと住民たちも出てきてクラークたちを受け入れるか協議がなされます。
その入植地は、プライムと呼ばれる意識をチップに移植して何世代も生き抜いた人が神として治める特殊な宗教国家だったのです。コロニーの外部には反乱者がいて元プライムの人が長老とよばれテロリストととしてコロニーの人たちと敵対していました。
さらに不思議な植物やら生態のものにあふれていて、時折現れるアノマリーと呼ぶ緑の渦が底無し沼に落ちて右腕の石灰化を治せるかもしれないとディヨザとオクタビアが中に入ります。一瞬で出てくるオクタビアは手が元に戻り髪の毛も延びてきれいになっています。そして背中には何やら数字や文字やらの入れ墨がありました。元に戻らなきゃならないと訴えるオクタビアにまたアノマリーから人が出てきてそれは成長したディヨザの子供で再会を喜び抱き合ったと思ったらそのホープに刺されてしまいます。
そこから話はとんでもない飛躍を見せアノマリーとは全宇宙を移動できる移動手段でそのコードの解析にやっとここ10年で成功したというこの集団こそジャハが探し出したシェルターの教団だったのです。教団の人たちは二年後アリーが闇の血の血清を持って地球に降り立ちあのシェルターを開け教団の娘が賛同して闇の血になり地上に出ていってアリーが初代総統ベッカになったとわかります。一方教団の人は宇宙を巡り最後の戦争を仕掛けるのにアリーのチップがいるというのです。
結局話は大きく飛躍して複雑で登場人物も多くてごちゃごちゃしていますが、結局は暴力や力での支配でしか平和はつかめずいつまでたっても争いが絶えないのです。
現実社会では二つの大きな世界的な戦争があり、大量破壊兵器を持つ国と持たない国がもし使用されれば人類の滅亡と地球環境の最後になるといわれ侵略や戦争による他国の侵攻は許さないとなっていましたが、テロとか争いはなくならず、大国ロシアのクリミア侵攻と世界は武力侵攻を止められなかったのです。北朝鮮のように核を持てば攻められないと核武装をする国もあります。核を拡散させないと色々な仕組みがとられましたが条約や取り決めも守らなければ何もならないわけで率先して世界の平和を守るため世界的に警察的な役割をして来たアメリカもトランプ大統領時代に自国優先を打ち出し、アメリカの正当性を自ら否定して見せたのです。かつては国という概念を越えた世界が現れるとされていましたが生き残れるのはどんな人か現れるのがどんな世界かthe100が語っているようです。

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数学の教科書の巻末

2024年09月17日 10時36分32秒 | 珈琲
三連休が終わり、忙しさや期末の事務が大方収まった感もある今週。先日の土曜のピアノの旋律と音が未だに頭にぐるぐると残る朝にインドネシア、ブラジルの豆が染みます。
そんな朝に頭に去来する事象は自民党総裁選で候補者の政策を語る内容も色々な性格を見せてきました。
9人も出て各支持率も石破茂氏の26%小泉氏21%以外は一桁でもう戦わずして結果は見えたようなもので会見での受け答えも石破氏の答えが総理に聞くみたいな受け答えなのに対し、他の候補は何々をやりたいとか夢物語のような予定を話しているにすぎず、中には政策が昭和のまま所得倍増などを掲げる人までいてオリンピックに万博にと未だにかつての成功体験から抜けられない国際感覚も世界をリードしようなどという気概もないのです。
さて、それと同時に去来するのがアノマリーと自然対数の底です。
アノマリーとは最近では経済用語のように投資の話しにはよく現れ、大統領選とか株式の格言とかに聞く言葉と共に現れます。
さらに今ごろ気になる色々な統計やら複雑な計算で複利計算とか昔やったプログラムで書いた計算式やらアルゴリズムでこの自然対数の底はかおを出したりします。
小学校の算数の巻末は計算問題が数ページ連なっていて夏休みの宿題の定番でした。
更に中学や高校の数学では巻末に資料としてこの自然対数の底が載っていました。しかし、資料として載っているので頻繁に参照するのかといったら、差に非ずで一度も授業中に使われたこともないのです。
それなのに中学の頃、使いもしないのにルート2とかと一緒にその数値を暗記する方法が雑誌の付録などにあり試験に出ることも使うこともないのに当時の学生はみんなこぞって暗記したのです。
高校の頃電子工学をまなんだので数学もⅠからⅢと応用数学までやりましたので複雑な計算やら方程式もやりました。磁界方程式やらにこの自然対数の底は微分方程式とかに入れる魔法の式のように登場してビックリさせられます。
さらにその後、プログラミングで複利計算とかグラヒックでパソコンで描く色々な描画でマンデンブロ集合とかフラクタルとかに自然の仕組みにときおりかおを出す数字や黄金率やら数学の不思議と自然の仕組みがリンクして現れるのです。
朝飲む珈琲にそんな不思議なリンクの話が土曜の激しいピアノの旋律と共に思い出され何度も珈琲の味の構造を反芻するのでした。
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秩父に暮らす醍醐味その2

2024年09月15日 11時45分21秒 | ライブ・コンサート・展覧会
朝、目が覚めふと窓の外に目をやるとドーンと武甲山が鎮座している。
この山容を見るだけであー守られていると安堵感が広がります。
そして、南北に流れる荒川。町の中心には秩父神社が鎮座し、北辰妙見信仰が古くから見られ、南北に流れる川は天の天の川に通じ非常に特別な地と古くから人々に信じられ日本書紀のなかにも登場します。
そもそも神社なのに妙見信仰がとも思われますが、元々インド発祥の星を神格化した教えは仏教とか道教とか散々まざりあって日本にたどり着き、天に星を眺め、地の川をたどり田を耕し、祭りをして人々は町としてきたのです。
今は暗渠になったり細々とした水路は昔は船で往来できるほどのものだったといいます。その水路に流れるのは険しい周りの山々からもたらされるものです。
我が家の近くにも湧き水や武甲山の伏流水など地下水も豊富です。
そんな自然豊な周りに山に囲まれ守られたような土地に文化の高い人々の暮らしがあり、それが時々に感じられるのが秩父です。
昨日もいつもの地元ピアニスト高橋望氏のリサイタルがあり出掛けました。
プログラムはベートーヴェンのピアノ・ソナタ3曲という贅沢なものなのです。
通常ですと三大ソナタ『月光』『悲愴』『熱情』ですが、悲愴の代わりに『田園』が演奏されました。
これは三月のリサイタルで悲壮を弾いたからということなのだと思いますが、まあ迫力というかバランスからしたらやはり悲壮をいれた方がいいと私は思いますし、やるべきだといいたかったのですがプレトークや回りの声を聞くと私と同じ思いの人はなく、生で聞けるなんて贅沢だ程度のものです。
実は悲壮は来月のコンサートでも演奏予定でならばここであえて田園を聞けるのはありがたいとも思えるし、演者としての真意はいかばかりかとプラトークをじっくりと聞きたいと30分以上前に会場入りしてしまいました。
会場にはいつもよりおしゃれをしてきましたとう感じの年配のご婦人方を中心に続々と集まり、8割方会場は埋まりました。プレトークは田園とは交響曲の田園とは違う出版社がつけたものでと教科書的説明があった
だけでなぜ田園にしたか特別に触れられませんでした。
そんな印象とは関係なくさくさくと演奏は進み最初の月光も終わります。CDで何度も色々な演奏者のものを聞いた曲で高橋望の師匠ベーゼルの生の演奏も聞いています。あの時は興奮して、帰りの地下鉄に向かう道すがらずっと感想をしゃべり続けたのを覚えています。
それからすると随分弾き方も印象も違います。
普通ある艶っぽい演出とか暴力的荒々しさとか色気や演出がどれもあっさりと排除され譜面通りなのかなというそっけないともとれるそつなくともとれる演奏でした。
ただ、それだけでないことも今回感じました。
それはピアニストの意識というか演奏で今意識している旋律とかマイクの前にたっているのは今は右手のメロディで次は左手のこの部分でと演者の意識のスポットライトが当たっているのが右手左手と移るのがCDなんかでもはっきり感じ取られるのですが今回の演奏では、全くそういうのはなく右手と左手でそれぞれ別の人が弾いているかのように独立している感じなのです。
特に驚いたのは熱情でした。
テンペストや熱情もよく聞くピアノ・ソナタですが、今回の三曲のソナタで一番強く感じたのは熱情で最後の一番激しいところの音の連打は今まで聞いたなかで一番激しく早いのでした。
そうなるとやはり一番ドラマフルな悲愴は余計聞いてみたかったと思ったのでした。
アンコールはヘンデル作曲メヌエットでした。
こんな特別なピアノが日常的に聞けてしまう秩父に暮らす醍醐味の一部なのです。
こんな世界的な演奏家が生で三大ピアノ・ソナタを聞かせてくれる贅沢。
いつしかドイツ大使感が後援につくようになったのも世界的演奏の証でありそれでも秩父中心の演奏活動をやめないというのも秩父に育ったという特別性が本人も感じてのことなのだと思います。
秩父の日々はこうして続くのです。
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コーヒーの味とグランドデザイン

2024年09月09日 17時43分26秒 | 珈琲
現在コーヒー店では一杯ずつハンドドリップする、もしくは機械で一杯取りで出すというのが主流となっています。これは人件費が高くなり人海戦術で珈琲を出すというのができなくなった結果だと想います。
ただ、名古屋のモーニングを出す喫茶店など未だに50人とりのホーローのビーカーにネルで落とした珈琲が供されます。それは朝の一辺に100人のお客様にも対応できるオペレーションでそれが何回転もするのです。
店の中央に原子炉のような湯沸し器がありその回りにビーカーの珈琲が落とされいつもの味で朝が迎えられるのです。馬蹄型もしくは円形に配されたカウンターと朝は珈琲とタマゴサンドや野菜サンド、ホットドック、茹で玉子におにぎりと朝とお昼の準備もできるような珈琲スタンドが昔はありました。イノダコーヒーのようにそういう店は年中無休で学生やサラリーマンでごった返し毎朝寄らねばならない場所でそこで飲む珈琲で本物の味を知り、また他の店でもネルで一杯ずつハンドドリップする店では遜色なく本物の珈琲が供されていたものです。世の中色々と変わり本物の味が普通に標準でなくなったとき、町の水準もチェーン店のコーヒーにとって変わられたり、一杯取りでも標準でない味に気付けない人が増え何が美味しい珈琲かさえあやふやとなってしまったのです。
ですから当店の常連さんのように他所で飲むと胸焼けがするということになってしまい外に珈琲を飲みに行くという習慣もなくなり珈琲文化もまだらの地図のようなものになり味を楽しむというより昔はあったものを懐かしむようなものが喫茶店巡りの目的になってしまったのです。
秩父に今あるのも本当に古いコーヒー専門店だったり、昭和の香りのパフェやナポリタンが味わえる店だったり、自家焙煎で炭火焙煎だったり、はたまたキーコーヒーの喫茶店だったりと昔のように普通に本物の味が普通にどこでも味わえる状況になくまして50杯落しの店はありません。
昔の50杯落しの味を知る人は今でもそういう店にかよっているでしょうしそういう店が現存する地域もあります。
どこに行ってもレストランでも飲食店でもファミリーレストランでもコンビニでもコーヒーはあります。それこそ自動券売機でも缶入りのものまであるのですからいかに需要が広いのかと思いますが私は他所ではコーヒーは飲みません。スキーの時には宿にドリップパックを持ち込みます。
名古屋の喫茶店のようになにげに50杯取りのネルの珈琲があるところではそれが珈琲文化としてグランドデザインに入っていい地域です。
秩父の場合自家焙煎と古い喫茶店と猫のいる路地の多い町はグランドデザインになりますが名古屋の喫茶店のような店はなくそれに気がついている人もないので路地を巡る楽しさや古い町並みとレトロな喫茶店を巡るがテーマになります。もし個性を競い味に言及するならばご勝手にとなります。
今は焙煎機も変わり自動て技術の介入しないものも出てきており、自家焙煎の手法を競うのも時代遅れな感があり、自動でも胸焼けがするようなものはできなくなったのです。となると胸焼けがするようなものは根絶するがせめてグランドデザインになるかもしれません。




  
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the100近未来と近過去

2024年09月08日 14時23分24秒 | 珈琲
朝晩は涼しいものの今だ昼間は36度にもなる9月です。
とはいえ別に秋が待ち遠しいとも感じません。
それとはまた別に私の最近の思惑ともろもろの現象との齟齬はなんとも微妙な違和感をかもしときに感情をビシッビシッと犇めかすのです。
さて、そんな中アマゾンのビデオは相変わらずthe100を見ていて今シーズン5に入りました。
結局マウントマンの最新の設備と物資は使われないまま破壊されなんとももったいない形でマウントマンは排除され共通の敵だった者が滅びると共闘や同盟も裏切りで破綻、誰もさわれない形になり、新たな新天地光の国を探すことになり、その光の国とは人工知能アリーの支配する世界でチップを飲むことで全ての痛みや苦しみから解放されるというもので信者のようにチップを飲むものが増えて行くのです。なんかもっとうまくやってマウントウェザーで全部の部族共用でやっていければそんなチップやら飲まなくてもと思いますが、結局各部族に対抗するのに政治力や外交努力では解決できなくて武力で対抗するしかなく空の民はキャンプで生き残るため100人の選抜をすることになります。しばらくテーマと関係なくこの100は出てこなかったのですが結局生き残る人は生き残りに必要な人を選ぶという過酷な作業を強いられます。結局光の国の人工知能には改良版のアリー2があり、それの流れを汲むのが総統であり、総統はアリー2のチップを首筋に埋めているのです。アリーを止め光の国を停止するクラーク。しかし、このとき地球は原子炉のメルトダウンであと数ヵ月の間しか住めない状況だというのを知らされます。それでもなんとかアリーを止めてアリー2のチップを守るのですが部族の争いは収まらず、空の民の元議長ジャハは民間のシェルターを探しだします。これはボリスのタワーの下にありタワーを支配する氷の国とポリスを支配する森の民をうまく説得しないと行けないのですが結局力による選抜戦になりオクタビアが勝ち残り全ての民で利用することが宣言されます。シェルターにはいることができるのは各部族100人ということでまた100のテーマが現れます。
このとき空の民は370人以上いて公平にくじ引きで入る人を決めるといったんは皆公平にくじによる選抜に納得するのですが、やはり戦って他の部族から勝ち取るべきだという人が現れ結局クラークの作ったリストの人間が選ばれるという結果になります。一方島に残ったレイブンを迎えにいったクラークとベラミー、エモリ、マーフィーですが途中でアウトランダーに襲われ助けた氷の国のエコーと車で助けに来たモンティとハーパーで島に行くものの時間までにポリスに帰ることができないで宇宙ステーションアークに向かうことになります。宇宙船の無線が使えないので電波塔から直接アークに信号を送る役を引き受けたクラークは結局宇宙船出発に間に合わずひとり取り残されます。プライムファイアから6年。クラークはアークと毎日無線連絡をとろうとしますが返事はなく数ヵ月後ポリスのシェルターを目指しますが、タワーが崩れ入り口は埋まってしまい開けられません。それから6年生き残りの少女を発見しオワシスのように緑が残った一角で宇宙船の仲間を無線で呼び掛けて待っていたところ、空から見知らぬ宇宙船が飛来してまだ知らぬ武器を持った人々が降りてきたのです。子供が襲われてその部隊の二人を射殺するクラーク。と、まあここまで見たのですがよくもまあこう過酷な運命が次々と襲いそれでもなんとかしぶとく生きていくということで設定やら科学的整合性には疑問も多々ありますが生き残るためにはとか戦争となればとか色々考えてしまいます。そのなかでも一番気になるのは宇宙に簡単に逃げるほど宇宙は安全かということと核戦争後の世界とメルトダウンした原子炉の汚染後の世界です。核戦争後100年たって原子炉が全てメルトダウンするという設定にも疑問だし、核戦争後国家も文明も消失したあと生き残る人類が弓とか刀で戦う人達になるというのも疑問です。一見マッドマックスの無法の世界のようですが現実にはもっと文化的に資源を確保したり法による秩序が残るものと思うのですが。
さらに日本人として思うのはメルトダウンして5年後はもう人が住める状況になるという設定は安易すぎないかということです。実際広島や長崎では核爆弾投下後黒い雨が降ったといいますがそれを浴びて苦しんで死んだというのはあまりに急激な症状で放射線障害の現実とは違うような気がします。さらに福島の第一原発では広範囲に放射性物質が飛散し事故から13年たった今でも散々除染作業をしても広範囲に立ち入り禁止区域が設定され、原子炉の近くでは数分で死に至るほどの高レベルの放射能が蔓延しているのです。もし全世界の原発がメルトダウンしたら5年で外に出れるようにはならないでしょう。地球は密林や人が住まない荒野や砂漠があり全部が全部汚染されるはずもありません。それに宇宙ステーションでは重力がある設定だったり100年も経つのに宇宙船が飛ばせたり、基地の機械類がメンテナンスもされてないのに電気もコンピューターも動くのはおかしいのです。実際に核攻撃を受けて放射線障害を受けている人がこういう物語を見たらどう感じるのでしょうか。防護服や核シェルターで生き延びる世界より核廃絶を訴えている人にこれはSFで物語だからと済ませるのはあまりに無神経なのではと感じます。米の場合やはり力で支配する。平和とは力で作り征服してのみ訪れると思っているのでしょうか。そう目くじらたてて見ていてはつまらないのでそんな訳ねえよで済まして見続けていますが、やはりアメリカは核は使われるもので核シェルターは必須で宇宙開発も将来のため、AIも世界を変えるためどんどんやっていくということなのでしょう。余計日本人の心とか真の平和とか力による変更以外の道筋とか考えますね。
またまた焙煎後は冷房の部屋に逃げ込んで珈琲と未来のことを考えます。
今日はまたクィーンスマトラでした。
こんな美味しい珈琲が飲める幸せと冷房の部屋で楽しめる環境が続けられるようにしないとだとつくづく思います。
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近未来と近過去

2024年09月04日 11時16分15秒 | 珈琲
川村記念美術館の休止閉館のニュースに私のこのブログに美術館にいった感想があったかと探してみましたがありませんでした。
そんなに昔のことだったのか不思議な思いにかられました。
読書の記録から15年から10年前辺りに見ているはずなのに記録にありません。
バブル期に日本は世界中のお宝を買い漁り現代美術から印象派まで多くの美術品が集まったのですがそれは文化財として人々に美術館などに展示するという目的より手っ取り早く金儲けする投機的な投資として集められた側面が強くバブルが弾けると人知れず売買され倉庫から倉庫へと変遷し、中にはずっと倉庫で競売ができるまで人知れずしまわれたままなんて運命のものも多かったのです。
しかし、21世紀になり落ち着くと日本で見られる世界のお宝と銘打った雑誌やムックなどが現れ美術館がブームになり新しい美術館が話題になったり企画も斬新で多くの名画が世界中から集まって見納めみたいな企画がされたりと美術展事自体もイベント化、大型化しました。
もとより秋になると上野の美術館群を巡っては谷根千を散策していた私は段々美術館の行列に辟易として人の行かない所へ足を向けるようになりました。
そんな行動が川村美術館の休止に現れたのかなんて気もするのですが、問題はそんな簡単な図式でもないようです。
元々企業が集めた美術品を企業名を冠した美術館で展示するのは企業イメージや社会貢献とか文化継承や社会の根幹をなす重要な行動だとされ都会の一等地や観光地のシンボル的ランドマークになっていたりします。そんな美術館の運営は赤字だとか収益的なことは今まで問題とならないことが多かったのに今回は物言う株主という人達のせいで中止というかたちに追い込まれたようです。
私が思うのは世界で二つしかないロスコールームがなくなったり見られなくなるという損失と簿価の100倍の価値とされる収蔵品がなんらかの意図で狙われ分散されるのだとしたら株など公開しないで運営すべきだったのではと思えてきます。
美術品と経済問題の話しは枚挙に暇がなく、珍しくもないのですがグラスゴーの貧しい町がダリのキリスト像を収蔵したことから世界的人気美術館になったとかボストン市が財政破綻した際、市の美術館の収蔵品を引き続き市民が見られるよう市民が立ち上がり特別募金をして収蔵品散失を避けたとかアートは求められる人と共にあると思えます。
秩父でいうと観光地なのに目玉になるようなアートがないなあとその持てる力とあるもののバランスがないような市民として寂しい限りです。
かつて加藤近代美術館として個人の収蔵品を展示していた中にアンドリュー・ワイエスのヘルガや決闘前夜があったことを知る人はすくないのです。私は秩父でアンドリュー・ワイエスが見られるのは市民の誇りと感じていたのですが同じ思いだった人はすくなかったのかその後その建物は市に買い取られ、相田みつを美術館になり、秩父になんの関わりがと多いにあきれさせられ、その後現在のふるさと館となりお土産屋や蕎麦屋が入るテナント物件になって段々価値が下がっている印象なのです。
これは市にグランドデザインがなく新しくできた市庁舎も全く秩父らしさを感じられないなど根底的なミスがあるのです。
私は絹織物や地場産業にこだわりがあるわけでもかかわる有名人に頼ったりするのでなく根底の精神を確認し何を残し何を引き継いでいくかのコンセンサスがまず必要で何をすれば発展するかなど目先の利益や交付金ばかりを追わず、しっかりとしたグランドデザインと高い目標を掲げ統一感のある文化的都市とすることを希望します。
そうしたときに秩父の珈琲文化も十分グラウンドデザインの一翼を担う資質を持つものと思います。
秩父は古くから路地の町であり、猫のいる町でした。それは織物の町の特長でもあります。ガチャガチャとうるさいので商談は喫茶店で行われました。だから個性的でしっとり落ち着ける店が多いのです。その多くは自家焙煎と珈琲にもこだわりがありチェーン店にない味の個性もあるのです。
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ロスコ~ルームが

2024年09月02日 15時55分24秒 | ライブ・コンサート・展覧会
千葉県にはよく遊びに行きましたがなかでも印象深いのは犬吠埼や屏風ケ浦の景色に海の幸それと九十九里の海水浴と想い出がたくさんありその道中によった香取市の伊能忠敬記念館佐倉市のDIC川村記念美術館見処たくさんでした。
その川村美術館が赤字で休止してしまうそうです。来年一月ということなので年内にお別れに行かなければ…。
本当せちがらい世の中になったものです。
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復活の日

2024年09月02日 12時19分17秒 | 珈琲
最近のドラマや映画というと核戦争や未知のウィルスによって文明が消失しゾンビと生き残りをかけて戦う人類といったドラマが多いのです。
その一番最初の文明が終わりを告げる物語としては『渚にて』というSFだったと思います。
これは冷戦が進み米とソ連のもつ核弾頭ミサイルだけで人類を何回も消滅させる量の核兵器を突きつけ合う状況ということで世界を憂いた科学者は世界終末時計というのを作り抗議しました。そんな危機を受け多くの文明消滅の物語が作られました。
日本の物語では『復活の日』というSFが大ヒットして映画も作られました。
この頃は世の中的ヒットが起こる時代で全ての国民が熱狂して映画にも大行列で入れ換え制で並んでみた想い出があります。
映画の指定席件を買うのも大変でした。
もちろん私も映画も原作も読んでたいへん楽しんだ記憶があります。
その頃のお話の特長としては核戦争が起きても南極とかオーストラリアには人類が生き残りまた文明をやり直すというものでした。
しかし、その後の同系列物語ではターミネーターの未来の機械と人類の戦いだったり、ウィルスにより文明消失とゾンビとの戦いに変化してきました。
ゾンビ映画は世界各国で作られ文明や国家や政府といったものがなくなるなか力だけで対抗するサバイバルゲームが物語のもとになって最近では発達したAIが人類より賢くなり人類が地球環境に一番悪影響であるという結論に達し人類の排除に至るといったものになりました。
実際に温暖化で災害が増え、それにコロナウイルスのパンデミックを経験してきて危機としては近未来の不安を抱えるなか現実味をもってそれらの物語を見ているのではないでしょうか。
現実にロシアやイスラエルといった各核兵器の使用をほのめかす国の戦争が起きている現代。もし核を使用し第三次世界大戦になれば文明や国家消失といった現実味は増します。
そんな危機をあおるような物語ばかりですが、人類の叡知で戦争を回避したとか温暖化を克服したといった物語は作られないのです。
それは多くの人の関心を得る、気を引く物語を作るという商業意識が文明消失後の生き残りという話を供給させるのでしょう。
そうすると私のなかでは『復活の日』の物語と人類の希望の話が懐かしく思えるのでした。しかし、どんな話かは直ぐ思い出したものの題名とか主演が、最初阿部寛だとばかり思っていたら草刈正雄だったりあれだけ強烈な体験をしたのにその後のターミネーターやらバイオハザードだとかを経てみると温暖化で地震や台風、干魃に山火事とすさまじい環境の変化を経験したわけで、それでも先進国は豊かさを今までになく享受し、世界の人口は81億に達したといいます。
内訳を見ると豊かな国や人権が保証されている国ばかりでなく貧しく貧富の差が激しい国も上位を占めています。
そんな中日本は防衛費を大幅に増やし危機管理ができるよう憲法を改正し法整備をするといいます。世界の方向と行動が一致しているのでしょうか。
さらにロシアやイスラエルの戦争に争いを止め武力行使や力による変更以外の道をとることの大切さを示し、武器供給をやめ自衛権の放棄に向けてできることを探るべきではないでしょうか。
この間の長崎市長に書簡を寄越して慰霊祭を政治利用するなという行動に是非とも政府は先進国のリーダーとしての発言をすべきだったのではないでしょうか。
少なくともウクライナへの武器供与やイスラエルの支持ではないはず。
そんな他の国や大きな話と鼻白む人もいるかと思いますが、人の人権とか自分達の安心安全とか常日頃からしっかりとした知見を持たないと世の中の変化に対応できないのです。
現在身の回りには添加物まみれの食品が溢れていたり味の解らない人が増えて新しくできる店も健康や無添加食品にこだわるというよりインスタ映えや手っ取り早い支持の店だらけなのです。そういったことに危機感を持つべきです。珈琲でいうと当店の常連さんが新しくできた店に行きコーヒーを飲むと胸焼けがして気持ち悪くなったという悲惨なことになります。誠に生き難い世の中なってきたわけですが『復活の日』のように希望の見える物語が増えるよう願わずにはおれません。
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みたらし団子の焦げ

2024年09月01日 12時06分44秒 | 日々のこと
昔はよく食べたみたらし団子ですが、近所の菓子屋に散歩のついでに立ち寄り懐かしいと買い求め値段が一本90円というのも気にも止めませんでした。
しかし、気になるのはそんなことではなく焦げがあることです。
昔はこんな焦げはなかったのです。
このみたらし団子は大手食品メーカーも作っていてスーパーで買うとこの間の店の1/3程度で買えます。
不思議なのはやはり焦げがあることです。
昔は焦げたさかなを食べるとガンになると新聞に出て長らくそう信じられていました。ところが相当の量を食べないとガンにならないと訂正され焦げに対しては無罪判定されました。
しかし、私のように最初それを読んだときから魚の焦げは避けて食べるを実践してきた人間には今さら焦げは大丈夫を信じられません。
なぜならがん患者はどんどん増えアレルギー患者もどんどん増えています。
一般には規制されてないグルテンとか糖質だとかトランス脂肪酸だとかを危険視する人も多くいます。
しかし、人類が太古から食料としてきた小麦粉が有害などというのは行きすぎなきもします。
まあそんなわけで団子についた焦げについて気にするのは私だけかもしれませんがそれがなんでついたか気にするのも私なのです。
大手の食品メーカーでも昔ながらの手作りの菓子屋でも
焦げているというのはその方が美味しそうに見えるからだと思いますが、本当に炭で手焼したら焦げるのかといえば本当の腕のいい職人なら魚でも団子でも焦がさず焼けるのです。でも消費者がバかだから少し焦げてた方が本物の炭火焼きらしくてさらに焦げがあった方が香ばしいからと焦がしているのです。大手の食品メーカーで機械で焼くものでもこの焦げオプションは遭えてつける使用になっているものと思われます。私などは昔の焦げの恐怖がいまだにあり魚でも団子でも焦がさないで焼いたものが食べたいし焦がさず焼ける腕の職人さんのものを食べたいと思います。
今年の春頃は食品衛生法の改正の影響で漬け物屋さんの廃業が増えたといいます。
益々手作りの昔ながらの無添加食品が減ります。

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真新しい照明に

2024年09月01日 11時38分12秒 | 珈琲
のろのろ台風10号はもろもろの予定やらイベントやらも吹き飛ばし、町内会の防災イベントさえ中止となりました。
長い夏休みが終わりこの9月の初日が日曜なんてなんとついてるんだろうと小・中学校の頃なら思ったはず。
しかし、秩父の今年の小・中学校は8月30日からやっていたようで残念としかいえないような…。
徳島にいた台風はそのまま南下して海に出て、陸地には上がらす今は愛知の下辺りだそうでなんとまた北上して上陸しそうなんだとか。
この台風は鹿児島のはるか下にあるときから1000キロもはなれた蒲郡に大雨を降らせたりのろのろで広範囲に影響を及ぼしているのです。
土曜日のバスケットの練習は二週間ぶりにいつもの農工体育館で行われ照明が新しくなった下、初の練習となりました。
新しい照明は水銀灯からLEDになり昼間の光と同じ白日光でスッキリ明るく見えます。
白日のもとにさらされるといいますがなにも隠し事などないし滲みとか影とかがでなくてとてもいい感じ。
スッキリと爽やかなイメージは今月のブレンド『林檎』でも大切なメッセージとして今月の味のテーマです。
また、このブレンドで感じていただきたいのは香りの特徴です。フルーツ香というと皆さん違うイメージを持つと思いますが、林檎が昔木箱に詰められて送られてきたとき、その箱を開けると林檎のいい香りがしました。その香りこそ珈琲の持つ香りと同じなのです。
豆を焼いていると様々な匂いが出ますが、概ね一般の人がイメージするのは炭のはぜるようなスモークされた香りで炭火焙煎などというとその炭の火の香りが豆に移っているイメージを持つようです。熱源として炭を使うのは遠赤外線効果であり、スモーク臭や炭の香ばしい香りをイメージするようですが世の中炭火で焼き上げた魚だとか焼き鳥だとかの味を知らずイメージ先行でそれも誤った情報を信じてしまいもはや誰もたださないような炭火のマジックで世の中味についてはかなり貧困な人が多いのが解ります。
コーヒー豆屋でも薪で焙煎したり炭で焙煎を売りにはじめる人はその必然を知らない人がほとんどで今のキャンプブームと同じでイメージ先行で勝手に踊らされているだけの消費者が多いのです。
先日オープンしたコーヒー屋さんもコーヒー鑑定士のいる店だそうですがその鑑定士が何を鑑定しているのか気にしている人はいません。私はあなたは何を鑑定してるのですかと行ったら聞いてしまいそうです。抽出液の鑑定なのか生の豆の鑑定なのか。いくら鑑定士がいても味の判定はあなた自身がしなけりゃ行けないのは同じで人が鑑定したあとだからと丸投げで安心のわけがありません。となると端から全く鑑定士の存在に意味があるのでしょうか。
世の中ちょっと考えれば解ることが考えない、自分で判断しないで騙されることを容認する人が多いのです。その上政府や国はそんな国民にたいして安全安心を与えるとがんじがらめの規制を施しガラパゴス市場などという特殊な世界になっているのです。
食品業界でいえば飲食業とか一番個人や小規模の事業者が多い業界で日本の国の規制は大手企業に有利と思われるような規制がされています。食品添加物がこれ程多く認可される先進国はなく、有機農法に使っていい農薬が年々増える国もありません。食中毒を止めるため生魚など一度冷凍庫に入れ1ヶ月以上たったものでなければダメだとか添加物でいつまでも色が変わらなかったり腐らない食品を優遇するような大手企業優先規制で昔ながらの無添加で無農薬の安心安全な食品より添加物まみれでそれをちゃんと表示することで認可された添加物使用の安全性を担保していると添加物推奨な立場をはっきりと講習会などで聞くこととなります。
消費者が無知なのをいいことに誤ったことがなされているのは毎度のことですが何故とか長年の変化のわけを知ろうとしない人々に一番原因があるのかもしれません。
環境が大事だ自然が大事たと騒ぎキャンプとかグランビングが流行る世の中でさも環境に配慮し自然を堪能してる風潮ですが自然公園で焚き火する人や川原でバーベキューする人が増えキャンプ場では火もおこせない人が一酸化炭素中毒や斧や鉈で怪我して緊急搬送される例があとをたたずです。
これも格差が広がった現れかもしれません。
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