竹の子が全国的に不作だそうです。
私は竹藪の前の無人販売で手に入れましたが昨年の二倍でした。
それならばともう既に煮てある出来たものを買ってみたのです。
柔らかさは家で作ったものより柔らかく値段も300円ほどでした。
しかし、味は毎年思いこがれるあの味ではないのです。
これは簡単にこういうのと説明できず、周りの理解も得られないのです。
まあ、毎年小女子と一緒に煮たのものを食べていたという思い出がなくその味を知らなければ何もこだわりもないのかもしれません。
しかし、私は昔から旬の竹の子を様々な料理で食べてきてその食べ方や一番柔らかく食べる工夫やら努力を味わってきたので毎年時期になるとまたあの味という思いが強く沸くのです。
そんなところにこの竹の子の煮たものという農産物直売所の品を出されてもこれは違うというイメージしか沸かないのです。
私のこんな思いを細かく説明しても何をいっているか理解同意されるかたはなかなかいません。
そして毎年それを実現するのも年々困難なものになってきているのは非常に悲しい気分です。
まず、小女子が手に入らないことと毎年文句もいわず長時間料理をしてくれる家族の存在と今まで当たり前のそれらの存在が実はいとも容易く手の届かないものになっていくという将来。幸福感とはそんな危ういものの中にあるのです。
温暖化とか平和とか実は普段の努力で保たれてきたというのを感じます。それに気がつかずもしくは気にかけずにおくと小女子がなくなったり春の楽しみの味覚が味わえないという不幸になるのです。
先日の大学病院のおしゃれなカフェでなんとかフラベチーノとかラテとか普段なら頼まないものをオーダーしプラスチックの容器とストローで出てきたものに700円以上の支払いをして非日常と特別な日のお祝い的な気分を楽しめたものの空いたプラスティックのごみをみると人々がここ数年やってきた過ちをまた私も重ねたという罪悪感のようものを感じたりもしたのてす。
今週見たアマゾンのビデオは2009年の古いドラマです。
オルトロスの犬というもので触れるだけでどんな病気も怪我も治ってしまうという神の手を持つ存在と触れるだけで命を奪う、殺すことが出来る悪魔の手を持つ存在が現れるというものです。
最初は面白く引き込まれ主役の刑事が水川あさみという華奢な美人で現実味もないアクションをしたりして顔を見るたび尾野真千子を思い出し似てると一人その他の登場事物も若い姿で面白がっていたのです。
ただ、その後のストーリーの展開に面白味も膨らみもなく何がテーマと思ったりスリリングな展開やワクワク感もないのでした。
そもそも神話のオルトロスの犬という双頭の犬を名した意図も膨らみも深みも感じないものだったのです。そんな残念なドラマなのにテーマとするそんなあり得ないことが実は歴史上実在し人類は殺してしまった事実を思い出し考えたのでした。
聖書にはイエス・キリストが処女懐胎により生まれ歩けない人が歩けるようになったり、目の見えない人が見えるようになったり死んだ人が生き返ったり、水をワインに変えたりごちそうを出したりして飢えから解放したりといった奇跡が書かれています。そんな神の子が求めたのは愛と信仰です。しかし、人々は裁判の末、磔に処したのです。どんな病気や怪我も直してしまう飢えも災厄でさえ退けるその人のいうことを聞けずなぜ殺してしまったのか。殺してしまって今さら信仰の元とするのか全く理解できないのです。磔にした拷問道具を神の証のようにシンボルとして首にかけたりするのはなぜなのか。ドラマでも地上に神はいらないといって殺そうとする勢力が描かれます。医者は科学に活かそうとDNAを解析しその仕組みを解明しようとします。
現実でもイエス・キリストのDNAを解析しようとする物語があります。聖骸布のDNA解析は行われキリストの顔とか血液型が公表されましたがそれ以上の情報はありません。逆にDNA解析技術が進み多くの聖遺物が偽物という鑑定がされたのは報道されています。今後物語のようにキリストのクローンやキリストに寄せたDNA改造とか新人類が産み出されるのか全く報告も予想も聞きません。
人類は完璧なDNAを手に入れたのか。そもそもips細胞でノーベル賞をとったのが2012年で13年もたつのに実際の医療に使われた報道はなく今の万博に小さい心臓が展示された程度なのです。これらのことは何を意味するのでしょうか。
まあそんなことを考えながら今回入手したケニアは最高水準のAAのさらに上のロットだということでそれでいて値段は以前の値段のままカレント特価ということなのですが、現物は10月から1月収穫したということでまだグリーン色の濃い新鮮なものです。
無い無いといわれたアフリカ高品位豆が前の値段で確保できてしまうという奇跡のような出来事が当店では続いて起きているわけでそんなのを集めているから当然なのかもしれませんが味を思うと無理に売らなくてもいいくらいで毎日焼いてずっと飲み続けていこうかしらと思って生の豆を見てはニヤッとしていたりしているのでした。
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