



土曜日は豆焼いて接客して朝から夕方まで慌ただしくびっしりと仕事をして電車に飛び乗りしばし放心。
先月いろいろやることがやっと片付き、月末の忙しさの中
束の間念願の佐藤久成のリサイタルに行ける可能性がでてきて
行こうか行かまいかと悩んで結局お出かけは自粛の声に負けて
断念したのでした。
それから緊急事態宣言の中、急速に感染者が減少しだした第5波ですが
雨のばかりの九月の最後の日曜日、いつもの地元ピアニストのリサイタルに
でかけました。
ここの所のお出かけというと昨年の今頃、家族の病院の付き添いで
練馬まで出かけたあのドライブ以来となるものでそれも文化的な
行事では二年ぶりくらいでしょうか。とはいえ毎日夜走っているので
その範囲内の文化伝承館ですし、土曜日にはバスケットの練習も再開
しているので人の集まるところに出かけるのは久しぶりということでも
ないのです。
リサイタルは感染対策をしてということで各回が会場の容量の半分の
80人定員で二部構成で行われました。
一部が正午から<ピアノの名曲ABC>
二部が午後三時からの<バッハの見たイタリア&フランス>
で私は一部の乙女の祈り、子犬のワルツ、月の光、バッハのパルティータ
といったいつものよく聞く曲ばかりの回です。
九月の期末で色々とやることがあり、このピアノリサイタルも
行けるかどうかというなか諸々が片付きやっとでかけました。
相変わらず天候の悪い曇り空でいつまた降り出すかという感じの
日曜日のお昼でした。
土曜日曜はお客様いらっしゃるのにお昼から一時間のリサイタル
だからと店を閉め会場に着くと会場にはリサイタルの看板もなく
いつもの日曜の市役所の駐車場はひっそりとしていました。
開場は一時間前でしたが開演間際についてみる久しぶりのホールは
ピアノから離れた席しかなく配置された椅子も随分とまばらな遠巻き
となっていました。
今まで何度となく聞いてきた曲ばかりで当たり前の感じで始まりあっと
いう間に終わってしまい、最後にABCのAの作曲家が抜けているというので
スペインの何とかという人の曲とショパンのワルツをやり終わりました。
一つ一つの曲が終わりすぐ次の曲という感じで名曲ばかりをひとつの曲の
ようにさっと弾かれたようなギュッと凝縮されたかのような名曲の羅列で
アラカルトのようなぜいたくさなのでした。
色々なイベントや楽しみがなくなる中、なくならなかったいつもの楽しみの
ひとつが味わえて心豊かな時間が持てました。
そもそもこのコンサートは春3月14日に予定されていてそれがコロナで
非常事態宣言が出され延期となっていたものです。
プログラムはヴァイオリンソナタ第1番ニ長調
ヴァイオリンソナタ第5番ヘ長調『春』
ヴァイオリンソナタ第9番イ長調『クロイツェル』
とアンコールにボーム作曲カバァティーナ、ゴセック作曲カボット、
ボーム作曲カンツォーナでした。
久々の生のコンサートながら家族の都合で聞きに行けるのか直前まで
解らなかったり、もう既に夏の終わりであり、今更春の曲を聴くのもと
いうのもあり、あまり盛り上がらない気分の中、それでも天の差配か
直前に聴きに行けるということになり、開場時間に家を出ました。
そうすると会場は階段座席とホールに椅子を出した席はほとんど埋まっており
かなり上の方に行かないともう空きがないのでした。前回の鴻巣で開場時間の
1時間前から既に並んでいた光景を思い出し、これも佐藤久成人気のあらわれか
などと思いました。
佐藤久成だけでサントリーホールを埋める実力を持ちそれがわざわざ秩父で
秩父の高橋望とコンサートが催されるという奇跡とそれに遭遇できた喜びを
感じるのでした。しかし、こんな上の方で大丈夫かという不安もないでもなく
そんなヤキモキとする気持ちを持ちつつも直ぐ開演となってしまいました。
上から眺める座席はほとんど禿頭か白髪のご老人ばかりで鴻巣やオークラの
時とは違う客層で大丈夫だろうかといういらぬ心配までしてしまうのでした。
そして、おもむろにコンサートは始まり、あのヴァイオリンははじまり、
あのステップや節回しと客の反応を確かめるかのように会場を見回す
仕草やそれではこれではどうかと挑む一音一音にどんどんと引き込まれていく
のでした。
いつもだと高橋望氏の語りとか曲の説明とか入りますが、今回はアンコールまで
終始無言でそのアンコールでも今の曲は誰々の曲で佐藤久成さんはそういった
埋もれた曲を掘り起こし演奏するという活動もしていると紹介しただけです。
それなのに次にやった曲は誰でもが知るメロディの曲であり、そしてそれは
佐藤久成がやればこうですよと雄大に語ったものでした。秩父の人にもこれで
今回のコンサートの意図したものとか佐藤久成のヴァイオリンが理解された
物と思います。今回佐藤久成氏は一言も発しませんでした。
移転という大変な問題を抱えながら、それでもバスケットの試合と楽しみにしていた
ライブ参戦と丸一日営業を取りやめてしまいお客様にはご迷惑をおかけいたしました。
昨年の泉谷しげるに続いて今年もスターが秩父を訪れ秩父でライブを行うということで
参加したわけですが、いつも走っているミューズパークで行われ、主催が秩父開発機構と
いうところで今までも大物アーティストとか大規模なコンサートがミューズパークで行われ
そんなイメージからはじめから野外コンサート場の方でやると思い込んでいましたが、手にした
チケットを見るとはっきりと音楽堂と書かれていました。
そうすると座席数にして600あるかないかという規模で一階の座席だけだとさらに少ないと
いったものです。でもアコギのライブそれもワンマンなら十分なスケール感ではあります。
秩父だと好きなアーティストのライブなどいくらでも日帰りで行ける距離なだけに行こうと
思えばライブもいくらも選択肢があるのです。ですが、清志郎亡き後すっかり聞きたいライブなど
なく、わざわざ検索してライブを探すということもなくなっているのですが、地元にかつての
スターが来るというのはまた別でどうしても血が騒ぐというのが我々の世代なのではと思います。
それにアコギの生ギターのロックなどというのも随分久しぶりです。世良公則は深夜のラジオで
よく最近の活動や最近聞く曲の話などを聞いており、身近な存在でそれが秩父でライブとなれば
見逃せません。というわけで期待も膨らみバスケットの試合が終わりシャワーを浴びたらすぐに
出かけました。席は指定券で確保してありますが、小さい会場ながらいつも走る公園は観光の人で
ごった返しており、公園橋からのアクセスはこの前の台風で未だ工事中で片側交互交通でこの信号が
二分半も待つというものなので、会場の一時間前に家を出ました。
ミューズパーク内は駐車場はたくさんあり、混雑を嫌い早く出てさらに渋滞を避け別所巴川側から登り
渋滞もなくすんなり野外ステージの裏に停められました。それからぶらぶらと公園内をうろついたり
して開場を待つのですが、公園内を行き来する人や会場に集結する人々はみな当たり前ではありますが、
知り合いばかりで、入り口にはすでに行列する人もいて人気の高さを感じます。
そんな状況なので私たちはそんな会場から離れたところでしばらく公園の様子を見てうろつき紅葉の
様子を楽しんだりしました。
開場時間になり、列がなくなったころ入場してみましたが、物販コーナーはかなりの規模でコンサートグッズを
売っていたり、いつも買うパン屋がいたりといつもと違う光景もあり、しばらくそんな人たちを眺め席には
すぐ着かづにいたのですが、ロックのライブにしては服装や雰囲気の違う人がいたり、ネクタイと背広の人も
いたりとこれは地域色なのかセンスなのか果ては主催団体ゆえかなどと思うのでした。
今回の席は一番前列という席でこれもすぐには席につかない理由でしたが、着いてみるとなんとスピーカーの前
で、これはどうなるものかという気持ちになりました。
スモークをたかれたステージがいきなり暗転して世良公則が単独で登場、座るとすぐに1977という曲をやり、
挨拶を始めて次にHeart Is Gold(ハートイズゴールド)というベイシティ刑事というドラマの主題歌という
のをやり、続いて新しいアルバムからHowling Wolves(ハウリングウルブズ)SECTION No.9(セクションナンバーナイン)
とやりサイドギターの人を呼び入れ音屋吉右衛門の曲をやるということで野村義男とのユニットだが本人がいないので
分家だと称し宿無し、Rock’n Roll Is Gone(ロックンロールイズゴーン)をやります。そしてサイドギター退場し、
ギターをチェンジしてストリング系のバラードに入る時にサウンド系にトラブルとなり、スタッフを呼び込み対処
するというアクシデントが発生。トークでつないだりしてこなしてやったのが奥田民生が世良還暦の時に寄せた
いつもの歌というのをやり、さらにJacaranda(ジャカランダ)を紹介。これはどこか幼稚園の生徒が
演奏するビデオを見て感激したというエピソードを挿入。そして亡くなって行く先輩たちに捧げる曲と
して同胞たちの賛歌(はらからたちのさんか)をやり、日々のニュースでいらっとすることなどを癒す
歌などやり終了。アンコールで同じ黒いTシャツで登場して一旦暗転すると胸のロゴが光る。着替えて
来たとわざわざアピール。デザインはプロの人でコラボした商品だとか。銃爪や燃えろいい女をやり
終了。
とまあ結構内容的には盛沢山でたくさんのロックをやってくれ、そのギターテクニックも聞かせて
くれたという感じです。
しかし、盛り上がったのはやはり宿無しや銃爪などの曲であり、それを単独ライブだからかアレンジが
強く、すんなり昔のようにシャウトしたりメロディラインを変更したりという癖が強く、すんなりと
楽しめない節もあり、最近の歌をやるのは当然としても今の自分はこうなんだという主張とともに
ラジオの喋りのような世界観はない感じでそれを補うために喋りを入れているのだけどその内容の
薄さと裏付けとなるものが感じられないのと何かスカッと肩透かし的なものを感じて楽しめないそんな
不満も感じました。
ロックにしても洋楽のパクリというところを完全に脱した清志郎のように日本語もロックにしてしまうという
スタイルと常に曲が生まれていたというライブ感もあったけれどそういうものとつい比べてしまうところに
過去の歌でしか乗れない感じになってしまった気がしました。それでも生のロックサウンドを身近で聞けたというのは
有意義でした。
この朗読劇のポスターを見かけたのは六月頃いつも市民大会の会場になる
文体センターで見ました。会場はうちの近くの伝承館です。興味があったので
伝承館でチケットを聞くと詳細は解らず、肝心のポスターも貼ってなかったのです。
というわけでポスターにある問い合わせ先に電話してチケット入手先などを聞くと
前売りはしてなくて、当日渡すから会場前に来いというなんともおかしい対応だった
のです。
何カ所かでこのポスターを見かけるようになり、当店の珈琲の卸先でも貼ってあったので
券はどうなっているか聞くと知らないというのです。券を売るためのポスターかと思えば
その問い合わせの電話番号でしか受け付けていないようで、そもそも券の前渡しも前売りも
しないという事でした。席数200席のイベントで開場と同時に券の売り捌きもしようとするのか
とても当日の対応に不安を覚えて不信感を募らせたのですが、対応先はここだけだという
電話口の態度は頑なで大丈夫かと思いながらも券を予約したのでした。
そして当日、券は売り切れ満席という表記の所で予約してあると名前を言い券を受け取り
席に着きました。前回の鴻巣クレアがとても寒く、いつもより一枚余計に着込んできましたが、
伝承館は冷房が効きすぎることもなく、クレアより若干広い天井も高くてゆったり感があります。
劇はおもむろに始まり、普通なら舞台登場とともに拍手で主役を迎えるはずが、もともと舞台袖が
ない構造で楽屋口のドアから中村敦夫が登場し、それも中腰で手に持った機械をピーピーいわせ
舞台中央スタンドとマイクまで来てそのまま劇は始まりました。
登場したのが中村敦夫本人なのかスポットライトもないままマイク前でいきなり台本を読み出し
ますが、それがどこの方言なのか解らないけれど帽子をかぶってリュックをしょった姿はあの
紋次郎というより普通のじじいでしかなく、芸能人のオーラもなく、セリフ回しは田舎の爺さんの
語りそのままです。設定としては福島第一原発に配管工として勤めその現場の杜撰さを指摘したら
辞めるように言われ飯館村にて有機農業とゲストハウスを経営することになり、作物も実りよいよ
というときに妻が脳梗塞で入院した時に震災が起きて飯館村に防護服を着た人が線量計で計測している
人がいたのを発見し、数値を教えるように迫ると逃げるようにいなくなったので技師時代の荷物から
線量計を取り出し測ると針がビンビンと振れるので、これはいけないと妻の病院に向かいやっと
到着するとすでに妻は強制転院した後でそれを追うという展開。とまあなかなか当時のどたばた
ぶりを思い返すような進行で、東電の事故の隠ぺい体質やうそだとか原発マフィアとよばれる
企業体質とか福島第一のマークワンといわれるジーエム製の原発が欠陥品だったとか、お友達作戦
の米軍が被ばくして五人は死んだとか語られるが、これらはあくまで中村敦夫の創作した台本での
話で、現実に働いていた原発作業員の声でもなければ証言集を集めたものでもないのです。
これが気になったことで、これは確かにひどい事故でそれに懲りずに再稼働が進むという現実に
たいして果たして有効なことなのかという気もするのです。
政府や東電にはこれだけ嘘や欺瞞に満ちていたという世論を醸成し原発はやめなければならないと
いうのであれば、もっと別な方法でやって感情ではなく、きちんとした科学的な理論として脱原発を
訴えなくてはならないのではないかと考えてしまいます。
確かにお友達作戦といいつつ、米軍が東北地方の救援に回った時わざわざ日本海を周って青森経由で
仙台に到着したことは明らかに放射能を避けての行動で後に知った時にはそこまでひどいと認識しても
お友達作戦などという実働可能能力のほんの数%の活動しかしなかった人たちが被ばくして死んだ人も
いたのかは知りようもありません。しかし、ニュース等で軍の命令でがんになったと訴訟になったケースは
報道されています。
この様に私の知る事実以上にひどいことであるとする糾弾する声には果たしてどの程度正確かという懸念も
ありました。増え続ける汚染水や取り出してもどこにもやりようもない燃料デブリなど本当に取り出す
気なのかとか、チェルノブイリと同様石棺で閉じ込めるのがいいのではないかという疑問もあります。
つい先日福島第一と第二も廃炉というニュースがありましたが、取り出せないデブリがあり続けると
いう事実は廃炉などとい名目が付いたところで現実に変化はなく、何の意味もありません。
最終処分場にしろ誰も自分の住んでいる近くにそんなものを置かれたなくはないのですから、決まる
はずもありません。ただし、それを言ってしまうと何故そんなものを作ったというとりとめもない話も
出てきてしまうため、本音としては誰も認めることなく今後も移転先のない仮置き場なり、処分場なり
はつづき、原発があるところから使用済み燃料など運び出すこともできず、再処理施設やらできもしない
リサイクル施設はきまっていてもできないと言ってしまったら新たな搬入は出来ないからリサイクルの
方向の看板は下ろすわけにもいかず、事故やら不始末だらけの燃料リサイクルや再処理はつづけられて
いるのです。
オリンピックで蓋をしてという表現が出てきましたが、それは目くらましどころか先日の報道では
補修が必要な橋とか施設が70%もあるというものがあり、それなのに新国立競技場を作ったり
オリンピック施設などを作るより先にやるべきだったんじゃないのかというのは誰もが思った
はずです。どこかの高速道路の天井がまた崩落して死者でもでないとそんな議論もされないのでしょう。
秋田と山口に配備のイージスアショアも結局日本国民の生命と財産を守るためよりアメリカのための
施設だというのがばればれでそんなもの作る金があるのならという思いを強くするだけです。
日本も米のいいなりをやめいうべきことは言う時なのではないでしょうか。米軍基地の負担増をいうのなら
どうぞお引き取りをといっていい時期だし、地位協定も見直して主権国らしい態度を持ってもらい
たいものです。
とまあこれだけの不安要素や問題があるのに世の人は選挙にすら行かず京アニのニュースなどが
連日流れるのです。
それでもこの朗読劇が需要があり、日本全国80箇所にも上る上演があり、今後も続いていくとの
ことなので、決して忘れてしまった人ばかりでもないんだという気もしてそれなのによい方向性
とか原発を止めようとか議論も上がりそうもなく、どこでどう人々の声は消えてしまうのかまったく
謎なのでした。
鴻巣でまた魔界のヴァイオリンを聞きました。佐藤久成のコンサートがあると聞き、
この近さならと予約したのです。会場のクレア鴻巣はかつてクリスマスに清志郎が
コンサートを行った地であり、埼玉ではここと所沢のミューズと私にとっての聖地の
ひとつです。
プログラムを記しておくと
モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲第一番KV423
A.ロッラ ヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲
パガニーニ モーゼ幻想曲
休憩
西村朗 モノローグ~独奏ヴァイオリンのための
西村朗 <鳥の歌>による幻想曲~ヴィオラ独奏のための
イザイ 無伴奏ヴァイオリンソナタ第6番
シベリウス ヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲 ハ長調
ヴィニアウスキ 華麗なるポロネーズ第1番
アンコール
ヘンデル ハルヴォルセン パッサカリア
佐藤久成を芸大の同級生ということで大江のぞみさんが共演を望んで実現したということで、
どんな演奏スタイルか全くの予備知識なしで行きました。会場に演奏会の看板はなく、
まったくの夏の静かな土曜日の午後の佇まいで人気はなく清志郎以来のクレア鴻巣は
あの時の記憶のままに立っていました。駐車場が無料でたっぷりとある施設で聞けるのは
とても幸運で都内なら端から車移動を諦め電車で暑い中移動しないといけません。
クラッシックの演奏会だから人気はそんなにないのは仕方ないのかもしれませんが、いつも
聞く地元でのコンサートと同じく人出は少なかったのですが、熱心なファンはいるようで、
開演前から入場口に行列ができていました。全席自由席だからいい席を確保しようという
表れなのでしょう。
ホールは映画館のような折り畳み椅子で多目的ホールらしくテーブルも引き出せるようになっていて
伝承館のように木と鉄の階段と舞台はなく平坦なアリーナ状の平坦な板張りの上に楽譜台が6台広い
V字に並んでいました。何人でやるのかと思っていると結局ヴィオラとヴァイオリンの一台づつで
主にヴィオラの大江さんがしゃべり曲の説明をして普通ならピアノとチェロとヴァイオリンのトリオを
ピアノパートなどをヴィオラに編曲してヴィオラは伴奏という形でやったもののようです。
しかし、シベリウスの二重奏曲では主旋律をバイオリンとヴィオラで交替したりして決して伴奏しかできない
楽器ではないんだようというのは鳥の歌でも見せました。
逆にヴィオラでここまで伴奏ができるんだというのもあり、ピアノの伴奏との違いで楽しむこともでき
ました。
聞いていてバッハのシャコンヌの事をまた思い浮かべられずには
いられませんでした。たった一台のヴァイオリンでもあの音の伽藍が構築できる荘厳な表現と目にするかのような
その構造の美しさ。なぜこうも立体的に積み重ね合わせられるのかというような視覚的な音の構造物にただ圧倒され
それでいてそこにあるものは無であるという哲学的なものを見るようです。
パガニーニの幻想曲は何度か超絶技巧曲として聞いていますが、本当にG線だけで弾かれるのを目の当たりにしたのは
今回初めてだったように思いました。それは伝説で楽譜すら完璧の物はなく、絵画ではG線だけを弾くパガニーニが残されて
いますが、それは虚構の上の事だと思っていました。それが現実に可能であり、曲としてこうも聞けるものとして
目にしていることにこれは奇跡なのではと思えてくるのでした。それも曲芸的に弾くのではなく普通になんともなく
曲として弾きしかも曲として表現するまさに演奏家の技であり特質なのだと。
世に難曲は数多くあり、あくまで人間でありながら神業的に弾ける聞かせることができると演奏されるのは
当然として、淡々と演奏するのでなく曲を完全に自分の物として読み込みまた吐き出させているのとは自ずと
聞かされる身にも当然伝わるものがあるのです。
今回演奏の後に佐藤久成氏と話す事が出来、ヴァイオリンでは堂々としているものの会話では挙動不審な
おじさんのようでそのギャップに驚かされました。来年の3月にまた再会できることを確認し秩父に帰りました。