King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ケニアの大豆

2017年05月19日 13時00分57秒 | 珈琲
最近の珈琲豆というのがどこの産地も
小粒の豆ばかりとなり、大粒豆がどこでも
取れなくなっているのかという疑念も生まれた
この頃です。

昨年のブラジルは、不作の年でなかでも良質な大粒豆
がないという状況で、スペシャルティグレードのものも
スクリーンサイズがあえて不選別にして#16中心のものが
ほとんどでした。

こういう出荷体制はスペシャルティではよくあることで、
国によりこのスクリーンサイズが直接等級に結びついている国も
多く、それらと違う、味で選んで高く売りたい売主との思惑とも
一致しているわけです。

元々タンザニアやケニアなどでグルメコーヒーとして昔から
親しまれているスノートップなどは味がスノートップに値しない
となると出荷しないという厳密な姿勢があり、粒の大きさには
こだわないのかと思いきやここの豆姿は常に一定です。

一方年々大きな豆の少なくなるケニアにおいて今回入れた豆は
農園名がないケニアAAというものながらAA規格なので大粒です。

これは最近のアフリカ豆の中でもでかい部類でちゃんとあるんだと
思える安心の豆姿でした。

それにさらに加えて生豆のときからフルーティー香りがあり、
これは期待できると思えるものでした。

ケニアでこういう感じは今までない感じでした。

ケニアというと固くて深いオリーブグリーンか黒い重い豆と
いう印象なのですが、このように香る大粒なんていい豆が
あるとはという驚きの豆姿だったのです。

私がなぜ大粒豆にこだわるのかというとそれは大きい方が甘い
からに他ありません。

最近のウオッシュドの豆は固く金属質で珈琲豆ぽっくないのが
多いのですが、今回のように農産物ぽいのが普通にでまわってる
というのを知るとこういうものを基準に集めるのも手だと思えて
きます。

これはインドネシアの豆にもいえることで、マンデリンを筆頭に
インドシアの豆はオリーブ色で製法や種類が違うので他の地域とは
一線を画した豆姿が特徴と思われましたが、今回のガヨマウテン
なども同じように大粒でフルーティーな香り立つカーキ色の
豆でこのようなアラビィカ種の豆もあるのだと解るとアジア圏にも
似た基準で臨めばもっといい豆が出てくるのではと期待させます。

ここまで書いて気が付いたのですが、ハワイの豆は大粒で見るからに
味の良い感じのものが多いのですが、農園によりモカなども植えていて
それは小粒なのです。

小粒でもモカ系は高値で取引されていて近年はどこの地域がよいか
というのもだんだん知れてきて産地と木の種類というのはやはり
重要な要素であり、さらにその産地でも赤い豆だけとか金色の豆だけ
とかいろいろな伝説的な宣伝文句も多いのです。

どこまで付き合えばいいのかという感じもしますが、希少性だけに
限らず味が良いものも時にありますので無視はできません。

当店では希少性にこだわらず味とそれに見合う値段に重きを置いて
選んでいますので今回の大粒豆はまさにそれにそうもので安心して
お買い求めいただけるものと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森のランニングにて

2017年05月18日 13時32分15秒 | ジョギング
このブログの二年前の記述と最近の体力状況を
考えよいよできなくなることが増え老いというものを
実感していると感じる日々だったのですが、それも
ちょっと待てよということが最近のランニングで
解りました。

最近は、週二回最低10Kのランニングを目標として
います。

これは全ての体力の源泉であり、自分の今の獲得した
もののペースとなる物という確信があったからです。

ちょっと前のできごとでもろもろの自身のアイデンティティ
を支えるものに少し揺らぎを齎す出来事があり、そのランニングにも
少し不安を抱えていたのですが、それも幻想にすぎないという
決定を昨日はしました。

元々ランニングを始めるきっかけになったのがミューズパークの
サイクリングコースです。

ここは車や信号に邪魔されずトイレもたくさんあり走るには
いいコースです。

ですからいつ行っても他に走る人がいます。

最近はそういった他の走る人から途中抜かされることもしばしばで
それは走る回数も減り体力的に衰えてきたからだという諦めにも似た
思いを抱き始めていたのですが、いや待てよという気持ちが起きたのが
昨日の走りです。

ここをよく走っていた頃はキロ5分台のランニングペースで走り
一回の端から端までのラップは15分から16分で下りが多い南から
北コースだとそんな時間です。ですが、上りとなると20分を越えて
しまうこともしばしばです。

震災以降このコースにガソリンを使いわざわざ走りに来ることに
疑問を持つようになり、自宅からのコースを持つようになるの
ですが、最近はまたいくつかの理由でここを走るようになりました。

ただ、冬以降ランニングのペースがジョギング並みになり、その
速度をなかなか抜け出せない状況でした。

これは体力が落ちたせいだと思っていたのですが、昨日走ってみて
足の筋肉の感じからして今までと違い、足裏の感じも違っていました。

そして、タイムも久しぶりに片道20分を切りランニングペースに
入ったのです。

もろもろを考えてみるとどうやら冬の縮こまったランニングから
やっと本来の走りに切り替わったのではと思えたのです。

つまりは全ては寒さに縮こまった冬の走りからやっと衣替えして
ランニングモードに切り替わり、何の気兼ねもなく思い切り走り
それについて体力だとか規制となるものはなく思いのままに気持ち
よく走りぬくことが今でも問題なくできることを確認しました。

今でもあと一回かぐらなり渋峠なりで最後のスキーをすることを
考えるのですが、もうスキーでなくずっとランニングだけでも
いいと思える楽しさを感じこれから次のスキーができない寂しさも
ランニングで楽しさを満喫できると納得したのです。

それでもまた今シーズンのスキーを全くあきらめたわけではなく、
何かの機会がまだあり、温泉とスキーの旅ができないかという
模索をしたりします。

以前はスキーのオフトレとして代替スポーツなどをやりましたが、
いつの間にか夏には夏で色々やることがあり、サマーゲレンデなんか
にも出かけることはありませんでした。

何とか秩父にもそれらの施設ができないか考えましたが、冬の人工スキー
場から夏場のコブスキーコースとインラインスケートなどのコースに
スケボーのコースなど一連のスポーツ施設とすればまったくできない
ことでなく、新たな秩父の魅力発信にもつながるのではと考えます。

また一つのスポーツとかレジャーとしての秩父より生活の地として
考える考え方が本当は重要で、このミューズパークの魅力も自然の
豊かさで、森を抜ける空気感とか花の香りと鳥の鳴き声などたくさんの
魅力があるのにもかかわらず、秩父に住む人がそれを知らないため
発信もできないという現状を感じます。

誰か有名人に頼ったりとか芸術家の足跡とか過去の偉人の足跡とか、
とかくそれら有名なものに頼った考え方をす捨て市井の人の喜びを
高めそれをお互いたたえる心から生活者の豊かさにつなげることが
今後の地方の抱える問題を解決するものにつながると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肌サービスとチェリーブロッサム

2017年05月16日 10時29分35秒 | 珈琲
山の緑が一層濃くなった秩父の景観は
また一つさわやかな夏への序章のように
一幕一幕新規の舞台に移り変わるようです。

街中には植込みのつつじや皐月が咲き、街路樹の
花も今はハナミズキからアカシアへと変わりました。

三十度にもなる日があったかと思うと肌寒く上着の
ほしい日もあったりと健康管理にもむずかしく
風邪をひいている人も多く見かけます。

これからはアフリカの豆が新豆で入ってきます。

先週のバラを感じるモカ系飲み比べもあっという間に
なくなり、それはモカの人気とおもしろさをしってもらう
にはよかったもののこちらの負担と試飲の時間ばかりが
増え焙煎時間もとれなくなり配達にも支障が出るので、
次の秘蔵モカを加えた第二弾はしばらく先に延ばし
アフリカ豆の試飲に変えます。

さて、お風呂関係の話題も色々な人の意見がありました。

駅周りの話にもつながり、機能としての喫茶店の話もあり
結局それはサービスの質なのではという結末に向かうこと
がしばしばです。

このブログの中でも何回か書きましたが、サービスとは
バーのマスターのように客のニーズを見抜く眼力という
話はしていますが、逆の意味で客としては店側がどんな
気持ちでサービスしているかというのも敏感に感じ取り
伝わってしまうということです。

味に敏感なひととか感性の鋭い人とか芸術の感度などという
物とは関係なく、その人が賢いとか人としてすぐれている
とかそんなこととも関係なくそういう感度は皆持っていて
お店の評価はおのずと作られてしまうのです。

そんなことを知るには人に面倒を見られるという体験を
してみるとすぐにわかると思います。

大人になると子供の世話とか親の介護とか自分以外の
者に時間を取られて日々忙殺されていくのですが、
何かの折に入院などしてそんな忙殺から放り出される
時にふと人のサービスの質などにも思いが至るものです。

こんな季節の変わり目にそんな人の思いの違いなどを
ふと思いを巡らすのも一つのステップなのでしょう。

当店のチェリーブロッサムという名の豆ですが、そんな
季節感を気にするあまりそろそろ売りづらいなという
気もしているのですが、今朝これをまた飲んでみると
今まで入れていたブラジルブルボンとは違う魅力を
感じます。

この豆はパルプドナチュラルで真空パックで空輸された
焼く前から華やかな香り立つ豆です。

今まで飲んできたブラジルの豆とは違う特徴を持ち
焼き方も尋常では済まされないところがあり、それは
気を使う厄介さもあります。

それゆえ焼きあがった豆は今までにないスペシャルティ
特有の特長も持っています。

ブラジルの一番摘み同様、季節ものとしての扱いのみに
とどまらないスペシャルティの強みと鮮烈なイメージが
あり、もう桜の季節でないからやめようと思えないもの
があまりに強く、当分これを焼き続けることにしました。

というのも先週届いたアフリカの新豆と飲み比べると
より際立つものを持っているということもあります。

というわけでモカ飲み比べからチェリーブロッサムと
アフリカ豆でしばらく行こうかと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花を愛でるこころに

2017年05月15日 11時20分30秒 | 珈琲
日曜のお客様は一味違うというか色々な
人が来店されます。

ゴールデンウィークがおわり、地元の人に
やっと出かけられるといった雰囲気を持つ人や
今度は自分たちのイベントがあるという人や
はたまた未だに秩父が一面の花に覆われた地だ
という認識で来る人もいます。

ゴールデンウィーク中は当店の前の道など人通りが
絶え、実にひっそりしたものでしたが、今頃になり
芝桜の看板に誘われるまま駅から一山越えて芝桜の
丘に行ったら花はなかったと残念がる人がいました。

市がなぜもうすっかり花がなくなった芝桜の丘への
立て看板を立て続けるのか謎ですが、おもてなしの
ステッカーなどを配り観光に力を注ぐなら駅から
羊山を越えて歩いた末に花のすっかり終わった丘を
見せられ何を思うか思い至らないのでしょうか。

でも、その観光のお客様もそもそもの目的は芝桜の丘
ではないようでたまたま看板が出ていたから歩いただけ
のようで、さらに話してみると花が好きということでも
ないようでした。

平安貴族の花一輪を添えた文など現代でも授業で学ぶ
古典とは何を学ぶものだったのでしょうか。

今NHKの100分で名著は三国志を取り上げていますが、
こんなのは授業などではとりあげないものですが、
三国志好きは非常に多く、私も何度か小説の三国志は
読んでいます。

過去に学ぶということは今がどうして出来上がったを
知るとともに実は抑圧された自分の心を知ることでも
あるのです。

旅の場合は自分の解放であり、花一面の丘に立つ自分を
想像するだけでとどまらずそれを実行に移す行動であり、
直接の解放行動です。

だから別に花に対する思いは人それぞれで花に思い入れは
なくても花に詳しくなくても思いの統一は可能で人を
動かすこともできるのです。

心の解放は人との会話や一杯の珈琲からでも行えます。

天下三分の計ではありませんが、人それぞれの思いを
手段と目的でなすことは可能なのです。

まずは基本の香りからですが、珈琲の香りとして知る
ものは缶コーヒーなどに付けられた香料のもので本物の
香りは違います。

当店に入ってくると庭に立ち込める匂いに鯛焼きのような
臭いという人がいます。

この甘い香りが珈琲と知る人はかなり遠くからこれをとらえて
来店されます。

季節のブレンド『颯々』が歩いた甲斐になったといわれ
役を果たせた気分です。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モカ競演

2017年05月13日 12時24分53秒 | 珈琲
巷にあふれる花の香りに誘われるように
手持ちのモカ系を合わせて焼きました。

なかなか手に入りづらくなったイエメンモカですが、
贅沢にも他のモカと飲み比べるということができます。

道の駅よしだ龍勢茶屋にもそれができるような小分け
のものを納品して置きました。

ご利用ください。

エチオピアのモカ、シャキッソとイルガチェフ、
モカマタリ、さらにクラッシックモカマタリという
秘蔵豆も焼きました。

なぜこの時期にモカを焼いたのかを理解できる試飲
方法も考案しました。

試飲は三時までにご来店ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お風呂に思う

2017年05月12日 14時21分00秒 | 日々のこと
西武秩父駅の温泉施設を体験して
その感想を話したらなぜか人とお風呂と
温泉に対しての違いがあることが解り、
改めてそこら辺をまとめておこうと思います。

というのは私のお風呂に対する思い入れは
近所の銭湯に由来します。

銭湯とは社会のひとつの窓であり、人との交流や
社会生活上の重要な舞台でもあります。

私が通ったのは裁判所の近くと柳島通りのクラブ湯と
野坂にあった銭湯です。

今でもクラブ湯だけが現存します。

なぜ銭湯に思い入れがあるかといえばそれは
家族や家庭という基本のコミュニティから
町内というご近所のコミュニティとさらに
地域の接点としての銭湯という社交場が存在し、
そこで出会う人というのが普段町で出会う人とは
違う人たちであり、銭湯に出かけることで人と
出会いまたついでにお店に寄ったりとして違う
体験をしてという社会の窓としての役割があった
のです。

そして、ふとした疑問として私たちのように歩いて
銭湯に行ける地域の人以外は果たしてお風呂はどうして
いたのかとずっと疑問に思っていました。

各家に皆風呂があったのでしょうか。

私の家も私が小学生になったころには家に風呂ができ
ました。

風呂を作ると今度は風呂を沸かすという手間がかかり、
それは主に私の任務だったのです。

夏場はすぐに沸いたからいいのですが、冬場はなかなか
沸かず苦労した思い出があります。

やがてそれらの苦労も石油釜の導入でなくなり、風呂に
対する思い入れやありがたみも随分軽いものに変わったと
思います。

今の人は生まれた時からすでに風呂はスイッチ一つで
沸くものであり、各家にあるものが普通と思っている
でしょうし、風呂にはいれるありがたみもそんな感じる
こともないでしょう。

そんなことが少子化とか活力のない社会とかにつながって
いるように感じます。

食事もコンビニで買うものという人が増え、何のために
働いて生活してという基本の行動が随分と揺らいできて
いるので人々の生活の幸せの元とか豊かさとか価値が
薄らいで人と接して暮らすよろこびとか自然を感じて
自然とともに生きる喜びなど本来感じてしかるべきもの
がネットの情報やスマホでつながることだけがすべてと
思っている若者に未来を託せるのかと思うのです。

普通に食料を自分で獲得して料理して風呂を沸かしてはいる
という基本の生き方をまず数年経験させるということが
教育として一番必要なのではないかと思われます。

そんなことを考えたことのひとつに祭りの湯の話を人とした時
、やはり自分のうちの風呂が一番いいですねという人と
私が祭りの湯に行ったときにあった同級生が次の日にも
入りに行っていたことからひとそれぞれの風呂の価値に
差があり、それは何から来ていて今問題となっている
格差とも重要な関係があるのではと思えたからです。

生活に根差した喜びとそれを共有できる喜びの拡大を
目指すことが今地域に起きている日本の問題も解決の
元とすることができるのではと考えました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青の時代

2017年05月11日 09時55分09秒 | 珈琲
昨日は連休後に落ち着いたであろう
祭りの湯デビューに出かけました。

外観や全体の雰囲気としては、ベンガラ色の
壁色や唐破風など既存のスーパー銭湯のものを
踏襲すかのようなもので中もパンフレットなどから
想像するに既存のものをなぞったできたのではと
思っていました。

一歩足を踏み入れるとまさにその想像を破るものは
なく、何か与えられたマテリアルをすべて生かし切れて
いないもどかしさや既存のものを破る発想の新奇性など
まったくなく私とすれば残念でした。

言えるのは企業として失敗しない再生のうちにとどまって
おり、新たな情報発信なり企業と地域の新たな提案が
あってしかるべきのところ、どこかから借りてきたような外観
とベンガラ色の色調もまったくそれを裏切り違う方向をみて
いますという表明のようにも見えます。

とはいえ二階に開放的な露天風呂を配して秩父の象徴武甲山を
見ながら入ることができるという形をとったのはすばらしいと
思っていたところ実際には眺めながらの入浴という位置関係には
湯船が配置されてなくてそんな意図もなかったのかと現地では
感じました。

これは夜の入浴で雨も降っていたので二階からの眺めはあまり
実感したというほどでもありませんでした。

それでも、当店閉店後ミューズパークで走り、その後での
入浴で外で外食したらなんだかいつものスキーと温泉の旅を
しているような錯覚に陥り、随分お手軽にリゾート気分を
味わえてお得な感じがしました。

課題としてはスーパー銭湯にはスーパー銭湯アイドルがいて
強力なリピーターを育てたことにより経営にアイディアと
新発想があったわけですが、祭りの湯に秩父を愛してまた
直ぐ再訪したいと思わせるものがあるか作れるかが一番の
問題なのだと思いました。

それは有名温泉地の有名ホテルでも太鼓のショーを従業員が
やっていたりそういう姿勢を観光客の人も肌で感じるわけです。

ベンガラ色の流行に乗った建物にした時点で不安なものは
あったものの出来上がった市役所に文句を垂れるだけの
市民活動と同様の住民意識としてそれらがみている方向が
まるで市民意識と一致したものでなく、企業の姿勢なのだと
感じるのでした。

今日はそんなリゾート感覚の名残の中で朝方入った注文に
より特別な豆を焼くことになりました。

並行してモカの飲み比べもしていくつもりです。

ある秩父のホテルで玄関にカーネーションの盛り花を
みました。

そんなさりげなく飾られたものにホテルの良心と姿勢を
感じられました。

誰にもツイートも画像のアップさえされないそんなものでも
人の心を癒し暖かくしているのです。

もっともホテルでさえホームページでとりあげるということも
なく世界へ向けたアピールの場があるのに手が回っていないと
いえるのも確かでした。

最近薔薇に続きカーネーションも青色ができ話題になりました。
一番最初に訪れるのが青の時代です。ずっとできないと言われた
青い薔薇が作られ21世紀になり次は何色が作られるのでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モカのさそい

2017年05月10日 09時49分51秒 | 珈琲
今朝は雨のしずかな始まりでした。

30度の真夏のような日があったかと思うと
また肌寒いような日ところころと変わる
季節の変わり目特有の感じにふと感覚が
ぶれるような感じを受けます。

これだけ暑くなったのに田んぼにはまだ
水さえ張られていなかったり、荒れ地のような
田んぼには雑草も生えていないのです。

当店の駐車場など草が生え放題なのをみると
農業というのは自然との闘いなのだと
ふと思います。

前回の車の話で問い合わせがいくつかあり、
少し解説しておきたいと思います。

まず今月のブレンド『颯々』は、誰もが
共通に感じる初夏の今の心地よさ、さわやかさ
を表現しています。

それを感じる今の森を抜ける風を象徴する意味でも
薫りには重きを置き、飲んだ後にもそれを感じられる
ように工夫しています。

詳しくは来店の折に説明いたします。

さて、専門用語を羅列した車の話であまり興味のない
方には何が言いたいのかぴんとこないところがあった
と思いますが、要は車に対して高級車や外国製スポーツカー
が備える高出力エンジンは公道ではその性能を発揮できる
ものではなく、渋滞だらけの日本の道路ではクラッチ付きの
車だと疲れるだけです。

ラゾンド2号(現在の私の車)のギアはCVTといって重機など
と同じで二つのプーリーをベルトで結びその径を可変させ
ることにより、無段階変速にしたものです。

つまり、変速の度に感じるショックがないのです。

それなのにわざわざスポーツモードなるものが付いていて
6速のギアが付いているかのような変速感も体験できるよう
になっていて特に峠などではその操作性を楽しむことが
できます。

ポルシェなどが現在のギアの位置と変速を促すマークが
表示されるのと同様のデジタル表示も付いています。

そして、ギアチェンジはパドルチェンジなのです。

それらはただの模倣と呼べるものでなく、本家の
バリバリのスポーツカーが軽自動車と同じに
アイドリングストップしてしまうのを見ると
何が本物なのか解らなくなるのです。

珈琲の世界も日本ではいまだにブルーマウンテンの
ブランド感が根強いわけですが、これだけスペシャルティ
とかカップオブエクセレンスなどといった実力派の豆が
世に出てきていてもそのブラトンド力はいささかも陰りも
みえません。

車のように我々はおいそれとポルシェをたやすく試す
わけにもいかないので、ずっとあこがれの存在として
存続するのは解らないものではないのですが、珈琲などは
わずかな金額のものであり、これがコンテストで賞を取った
世界一の豆ですと言っても手の届かない金額ではない
のです。

それなのにブルーマウンテンがそれらの実力派の豆と
同様に存続し続けるこのブランド力とはなんなのか
ついつい考えてしまいます。

そんな謎に少しでも解決に近づけるものとしてこの時季
咲きだした薔薇に誘われるように注目されるのがモカです。

上質のモカはバラやワインにたとえられます。

真っ黒の液体からは想像もできない花の香りや果実感
にあふれ、その複雑な深い味の世界は知る人ぞ知るもの
です。

というのもモカの飲み比べなど企画する人などもいず
モカに魅せられた人がより高級の希少な豆を追い求め
真に上質なモカの味を知りたいという思いによるもの
だからです。

一時期商社から黄金のモカとか競ってその上質のものを
取り揃えた時もあったものの今では普通のN)9すら手に入れ
づらい現在では夢物語を語るようになってしまいます。

でも、この薔薇の香りに誘われるまま今度手持ちのモカを
いくつか焼いてみようかと思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポルシェお前もか

2017年05月09日 12時08分19秒 | 珈琲
今朝はブラジルダテーラでモーニング珈琲を
楽しみました。

これは珈琲の深淵を味わせてくれる仕事中の
一休みの憩いの時にもよい、人生の相棒とも
呼べる頼りになる友達のような味です。

昨日の夜も常に月は怪しいベールに包まれていて
時には大きな傘までさしてその姿の変容の妙を
見せていました。

まるで絵画のような雲のスクリーン上の月の光は
見ていて飽きませんでした。

季節のブレンドは今月も好評で一度買われたお客様が
友達にも飲ませるとまたすぐ訪れて買われていきます。

そうするとなぜか自身での体験で説明すればいいものを
わざわざ当店のコンセプトをもう一度改めて聞いて
それを再現するというパターンになります。

なぜご自身の感性でどうしてお友達とそれを共有したい
からというもともとの動機を説明しないで、私の説明を
伝えることを重要視するのかちょっと疑問がありますが、
今月のブレンドは先月の太陽マジックと違い、名前から
して簡単です。

つまり、ホワイトボードの名前を見ただけで短歌や茶の湯の
素養のあるかたは買い求めていきます。

先月のブレンドが文学ファンの方はなぜその名前を付けたのか
聞きたがったり、どうしてブレンドしたのか知りたがったりした
のと差があります。

秩父の飲食店というのは開店してから一度もメニューが変わらない
という店や季節に従い変化するということを知りません。

昔のラーメン屋でさえ冷やし中華始めましたという張り紙が
それを感じさせたのに、料理に対する感性がどんなものか
想像されます。

変化といえば今や自動車は進化をどのメーカーも全自動化に
置くようで自動運転の開発にしのぎを削っています。

そもそも車に乗るのは移動のための手段という目的も
さることながら、車誕生時からドライブという名の中には
車を駆るという運転を楽しむという部分も大きな楽しみの
ひとつだったはずです。

昨日、自慢の車を見せてくれるというのでポルシェカレラを
見せたもらいました。

昔ながらの形ですが、中身は水冷6気筒水平対向DOHCの
7速MTと今風のエンジンに変わっていました。

昔からポルシェといえば空冷四発で派手なオーバーフェンダー
と吸排気音のほか駆動音もやかましいというイメージで
それがスポーツカーらしいと乗り継がれる理由と思って
いました。

ですからエアコンもオーディオもないのが標準でファンは
そのまま乗っているのかと思いきや日常使いを考えたら
楽な方がいいとそれらは付けられることの方が今は多い
様です。

エンジンも今様ならギアも日本の道路事情を考慮したら
M2のようにDCTの方がいいだろうが、すべからずスポーツカー
ならマニュアルという操ってこそという人もいるのです。

それなのにポルシェでさえ停止時にはアイドリングストップ
するのです。

音とギアチェンジを楽しむのもいいものの日本の道路事情
なら私は現在のCVTでハイブリットのXVで十分です。でもポルシェを
みてたらM2を手に入れる野望もまた沸々と沸いてくるのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四次元的思考

2017年05月08日 10時21分20秒 | 珈琲
連休も終わり本格的にこの初夏の秩父を
楽しむ感じになってきました。

今朝はやはり朝に合う珈琲としてコロンビアの
サンチュアリオブルボンを淹れすっきりとした
朝を迎えました。

とは言えこの珈琲を飲みながら思ったのは昨日の
寝る前の月の姿でした。

霞を帯びたような月の周りには怪しい光に包まれ
その脇には木星を従えという堂々と夜を支配する
姿にしばし誘われるように見入っていた寝る前の
ひと時を回想したのです。

武甲山の上には夏の星座であるさそり座がオリオン座の
代わりに鎮座し盆地を睥睨していてその対極に月がある
という構図はなにやら今の世界を予想するかのような
配置の様です。

そんなわけで目覚めてみるとフランスの選挙は融和の
マクロン氏の勝利となっていました。

最近思うのはこのような重要な分かれ目に対して人々は
皆その都度選択して熟慮の末の決断を迫られ分岐点を
経過していくのですが、数学的物理的にいってこの選択
というのは人間の自由意志によってされるのでなく、もう
地球誕生、銀河誕生の時から結果は決まっているのだと
いいます。

さらには四次元的思考でいうと時間というのは幻想で平面
の世界から立方体が理解できないのと同様、三次元から
その全貌が見えないだけなのだといいます。

つまりは過去を変えられないのと同様未来も変えられない
のだといいます。

じゃああくせく毎日何の自由意志もなく何のために生きて
いるのかということになってしまいそうですが、哲学的にも
この選択の自由というのはなくて結果はもう決まっていると
いうのは大勢派だといいます。

そんなことを考えつつ決まっていることも見通せないもど
かしさを感じつつ努力してもあがいても変わらないのかと
常に考え続けるのが人間です。

まあでも今朝はこの珈琲があってよかったと思うのでした。

今後は新豆の入るアフリカ系の豆を続けて焼いて行きます。

アフリカは産地が多く広大なのに珈琲ファンの意識としては
タンザニアとケニアで終結していて他は試すまでもないという
人が多いと思います。

それでも良いのですが、スペシャルティの豆がうらぎる
珈琲らしさを知るとまたその世界が広がり楽しみも倍加し
裏切りの真相を知ることになります。

こんなのも今朝の珈琲を飲んだときに決まっていたことかと
考えるとさらに人生も深くなるかも。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ大型連休?

2017年05月02日 14時25分55秒 | 珈琲
今月のブレンドは『颯々』です。

今国立博物館で曜変天目茶碗が展示されています。

こんなさわやかな季節にぜひ訪れてみたい展覧会の
ひとつです。

尾形光琳の白紅梅図屏風とかポーラのピカソとか
今見に行きたい美術展がいくつかありますが、全部
まとめると大変だしどれにするかというとそれもまた
困る選択であり、なんとももどかしく次に出駆られる
時を窺っています。

昨年は若冲をみてマラソンのような思いをしてやっと
念願を果たした経験をしてそんな思いがなにかしら
自分に果たす効果というものもあるのではとふと思ったり
するので、この世のお宝に会いに行くのも一興やめられ
ないのです。

それと自然のお宝に会いに行くのもこれまた人生の一大事
であり、残り少ないこぶ斜面との邂逅もやりのこしたような
気持ちもあり、できればあと一度という願いも持っています。

そんな気持ちと恋い焦がれるような欲求が様々にあるうちが
花で、珈琲豆も選べる時が華であり、お気に入りに出会うまで
それがつづくのか、それともこれからのアフリカ系の新豆が
出るときにまた今年の新豆に期待するのか人それぞれの楽しみが
あるものと思います。

谷間のような平日ですがとなると金融機関やら郵便局やらと
あわただしく動かねばならず、その最中なにやらNHKだけゴールデン
ウィークという呼称を使わずに大型連休と敢えて言っていることに
気が付きました。

どうやら商業的に作られた呼称なのであえて公共放送なので
使わず、休みでも働く人に慮っているとか。

それだけ他の報道とかテレビやラジオが連休をあおって
消費に走らせようとしているということなのでしょう。

皆様も明日からの大型連休をお楽しみください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする