懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

アロンソ版「カルメン」その1、プリセツカヤ

2006-09-03 16:46:27 | バレエ
やっと「懐かしの」というタイトルを裏切らない内容に。

遡る事2年前、2004年7月、美女カルメン、IN 東京のお話。
その前に。

1.プリセツカヤのカルメン
ここで言うアロンソ版「カルメン」は、元は、当時ソ連国立ボリショイバレエのプリマだったマイヤ・プリセツカヤのために振付られた。
彼女のカルメンは、私も昔ビデオで見て、その時は強烈な印象を受けた。

「カルメン」は、改めて原作を読むと、巷のカルメンのイメージと原作自体が、そもそもズレがあると気付く。時代の感性に制約された一人の作家の想像力の産物に過ぎなかったものが、時代を超え人々の集団的想像力の中で、より自由で魅惑的なものに、変貌を遂げたのではないかと、思っている。

今、「カルメン」の一般的なイメージといったらどうだろうか。おおざっぱには、
「自由で奔放なラテン系の女」「情熱的な恋をするジプシーのいい女」といったところだろうか。

プリセツカヤの「カルメン」は、このオーソドックスなカルメン像と異なり、彼女の個性を優先した独創的なものだ。両者に共通するのは、火のような激しい生き様である。舞台全体の印象も、炎が燃え盛っていたような、激しさと緊張感が残った。

両者の相違は、プリセツカヤのは「恋」よりも生の闘争に力点がシフトされているということだ。プリセツカヤには、この作品に限らず、自己表現の希求が常にあった。

アロンソ版プリセツカヤの「カルメン」は、色っぽいイイ女というよりも自由を希求する女闘士のイメージである。振付もプティ版に比べ、硬質で直線的。

今の時代にアナクロなソ連の体制批判をやるつもりは、毛頭ない。自分が闘ってもいない人間が、安全圏から過去の他国の批判をやるには、私は勉強不足である。10年以上前、感銘を受けたプリセツカヤについても、彼女が得た名声に上乗せする称賛をやるほど、私も暇ではない。

そうでなく客観的な話として、アロンソ版は、元々は「生の闘争」「自由の希求」という重いテーマを持ったものだという、作品理解は踏まえておきたい。今名声に包まれて、80歳を過ぎ手をふる踊りでルジマートフらのガラコンサートに出演していたプリセツカヤと、初演当時、亡命をせず、ソ連の体制の中で自分の表現を追及したプリセツカヤとでは、表現者として存在も立場も違う。

アロンソ版カルメンのテーマ、闘争と自由の希求とを、表層的に抽象的に捕らえるのもひとつの行き方だが、プリセツカヤが、作品の一部に暗にこめた意味は、彼女自身の生き様と重なって苛烈であり、それを知って鑑賞するのも芸術の本来の意義に通じると思う。

でもね、結構重くてシビアです。
たとえば、カルメンがぐるりと囲いのある闘牛場の中のイメージの装置の場所で、一部闘牛の振りも入る踊りの中で殺されるのは・・。
マイヤ談「愚かな群衆が、カルメンが殺されるのを喜んで見ている」というような理解になるらしいです。

それは、もちろん、権力との軋轢の中で、実のところ民衆はマイヤの味方ではなく、権力がマイヤの芸術を封じるのを拍手喝采し見世物のように眺めている、そんな風に彼女には感じられたのかもしれない。

でも、その民衆とは、私も入るんですよね。
たしかに、衆愚って言葉はあって、民衆とは権力にマニュピュレートされる存在っていえばいえるし、そういう現実は今でも自分のまわりにころがってるわけだけど。

でも、マイヤみたいに、「愚かな群衆」って、スパーッと切れないですね、私は。
もちろん闘っていたころの彼女を評価するにやぶさかでないけれども。

マイヤの現実の問題は、置くとして、初演者の役の解釈としては、このあたりは踏まえておきたいです。今回、堅い話で、つまんなかったらすいません、次回は色っぽくいきます。




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