懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

安倍元首相と「歴史記述問題で沖縄の11万人抗議」考

2007-09-30 14:05:31 | Weblog
死者に鞭打つじゃないけど、病気?で辞めた首相を後ろから鞭打つのは、おそらく日本的美学に反する。

と思って、辞めた安倍元首相より次の話題、と移行した向きもあったと思う。
もっとも、会社の女の子は安倍辞任をリアルタイムで知っていて、「辞めりゃいいのよ、いるだけ迷惑、」とミーティングの時間にボロカス言ってたが。
(この国でマスコミに叩かれる存在になることの怖さか)

安倍元首相で一番驚いたのは、辞め方より、数日後に会見を行えるほどには元気だったことだ。所詮はその程度の人だったということ。歴代首相や、政治家は普通病気の場合、もっと悪くなってから公表になっている。死ぬまで働いた人もいる。

政治家でなく、民間の企業社会一般でも、働きすぎストレス半病人など普通にいくらでもある。ストレス死も当然ある。「胃腸の機能性障害」と聞けば、企業社会に生きる人なら「ああ、あれか」と思う人も多いだろう。ま、よくあります、普通に。(病院の検査で腫瘍とか悪い所が見つからないけど、胃腸が動いてくれないってことね)それが仮に癌だったとしても、驚くに値しないほど、世間ではざらにあることだ。

安倍元首相が弱かったと言いたいのではない。
これほど、箸にも棒にもひっかからないほど「弱い」人間が、例えば今沖縄で問題になってる教科書検定の件など、重職にあり判断するのはおこがましくもあり、危険でもあると、改めて感じる。

自己の責任を人並みにまっとうできない人間が、歴史の記述改変や、後の世代への教育に多大な影響を与えるなど、とんでもないことだと、今思う。

人の思想性は色々ある。ただ、私も働いて色んな人を見て思うのは、自己の責任を身に引き受けられる人間と、何のかんのいってもいざとなれば責任を放り出して逃げる人間がいるということだ。それは思想性以前の問題だと思う。

安倍側近が、あの程度の病気の話が言い訳になると思っていたのなら呆れ返る。
昔の取引先の社長は吐血して入院してもすぐ退院して仕事していた。側近は前にもあったと言っていた。その社長は私の前では吐血したようには見せなかった。普通仕事とはそういうものでしょう。

戦争末期、沖縄での集団自殺が軍に強要されたものか否か、という議論はマニュピュレートがかりだとはそこそこ人生経験にある人ならわかりそうなものだ。
うわべが軍の強要だったかどうかを問題にして本質をすり替えてないか?

もし、軍の強要でなかったというのなら、親子が殺し合い、人々が集団で自殺したことは問題ではなのか?命が粗末にされても問題ではないのか?原因は何か。思想教育だということになるのでしょう。国のために死ぬとか鬼畜米英とか言って、死ぬことが正しいとした考え方を注入したのは誰なのか。何なのか。問題の本質はそこだ。

私は、どっちみち今回の教科書検定問題で「責任逃れをしたがってる」人々の立場の悪さは変わらないと思う。

安倍元首相の精神の弱さ。
弱い人間は、責任をとれない。冷たい言い方だが、多くの人をじかに見ていて、事実だと思っている。

この歴史認識、教科書問題は、安倍さんが、改変に賛同していたので、なかなか分が悪い。ああいう甘い人間が言いそうな言い訳。
だいたい、精神的に弱い人間は想像力が貧しい。自分が苦しくなるとそこから逃れる習性があるので、本当の困難を体験できないから。
安倍さんは集団自殺する人々の状況や心理など、想像もできずに原稿を読むように教科書改変の流れに賛同する意見を言っていたのだろうと今思っている。

安倍さんの弱さ。
日本軍は悪くなかったといいたげな人々の論調。
あったことをなかったことにしたいのは、やっぱり一種の弱さだと・・・。
直感的にそう思った。安倍さんがそっち系だったのは推進派も分が悪いわね。


マッチ擦るつかのま海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや

自分の駄文を見ると、この寺山修司の句には芸術の力を感じる。かなわないなあ。
天才には負けるわ。




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