映画「蝉しぐれ」の世界。
日本的な美学の映像化、といってはどうだろう。
確か吉本隆明あたりが、「日本的」というのはどういうものか、実は未だはっきり
していないんだとかいう趣旨の発言をしていたことがある。
確かに、よく考えると案外解明されてないものなのかもしれないけれど。
とりあえず、それでも、あの「蝉しぐれ」の中で語られる、恋愛のすれ違いの話な
どは、あの展開が作者の美学の世界なのだろうと捉えてる。
例えば、主人公が、ヒロインが江戸に下ると知って、追いかける場面。
ワルガキたちに捕まり袋にされて、ヒロインをとめることが出来ない。
ああいう歯がゆい展開によって、切ない結ばれぬ純愛に終始するのだが。
たぶん、そういうことも含めて、完璧に破綻のない日本的美学なんだろとは思う、
一応は。
でも。
本当は、恋は、そうあってはいけない。
実の所、恋ゴゴロを抱く女の子が江戸へ行く、それを止めるとひた走る。
「ここ一番!」と言う時に目的を達せられる、「運を引き寄せる力」は、恋には必須
の能力だと思う。
最後は破滅でも、別れでも、1回くらい、逢瀬のひとつもないことには・・・。
こういうセンスは小説上は、西欧的なセンス、ということになるんだろうか。
「ロミオとジュリエット」などは典型的に、関係を前に進めることで話が回ってゆ
く。
「蝉しぐれ」の結ばれぬ純愛は、小説の作者たちがこころのどこかで願ってる完成
された世界、ということはなかろうか?
山田洋次監督語る、「寅さん」の女性や恋愛への感じ方も、ちょっと似てる。い
や、もっとさらにパワーアップしたシャイで、「いいな」と思う女性がいて、脈あり
でも、寅さんが「でも、やっぱり巧くいかないのではないか」と思って、心の中で
がっかりして、自分から恋をやめてしまう、そんな感じらしい。
(なんかかわいい)
こういう昔の日本人男性は、時々いたと思う。
これは「蝉しぐれ」の美学とはちょっと違うけど。
日本的な美学の映像化、といってはどうだろう。
確か吉本隆明あたりが、「日本的」というのはどういうものか、実は未だはっきり
していないんだとかいう趣旨の発言をしていたことがある。
確かに、よく考えると案外解明されてないものなのかもしれないけれど。
とりあえず、それでも、あの「蝉しぐれ」の中で語られる、恋愛のすれ違いの話な
どは、あの展開が作者の美学の世界なのだろうと捉えてる。
例えば、主人公が、ヒロインが江戸に下ると知って、追いかける場面。
ワルガキたちに捕まり袋にされて、ヒロインをとめることが出来ない。
ああいう歯がゆい展開によって、切ない結ばれぬ純愛に終始するのだが。
たぶん、そういうことも含めて、完璧に破綻のない日本的美学なんだろとは思う、
一応は。
でも。
本当は、恋は、そうあってはいけない。
実の所、恋ゴゴロを抱く女の子が江戸へ行く、それを止めるとひた走る。
「ここ一番!」と言う時に目的を達せられる、「運を引き寄せる力」は、恋には必須
の能力だと思う。
最後は破滅でも、別れでも、1回くらい、逢瀬のひとつもないことには・・・。
こういうセンスは小説上は、西欧的なセンス、ということになるんだろうか。
「ロミオとジュリエット」などは典型的に、関係を前に進めることで話が回ってゆ
く。
「蝉しぐれ」の結ばれぬ純愛は、小説の作者たちがこころのどこかで願ってる完成
された世界、ということはなかろうか?
山田洋次監督語る、「寅さん」の女性や恋愛への感じ方も、ちょっと似てる。い
や、もっとさらにパワーアップしたシャイで、「いいな」と思う女性がいて、脈あり
でも、寅さんが「でも、やっぱり巧くいかないのではないか」と思って、心の中で
がっかりして、自分から恋をやめてしまう、そんな感じらしい。
(なんかかわいい)
こういう昔の日本人男性は、時々いたと思う。
これは「蝉しぐれ」の美学とはちょっと違うけど。