想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

もう一つのギリシア - Eleni Karaindrou

2012-07-01 00:47:02 | Weblog
The Weeping Meadow - Eleni Karaindrou


「旅芸人の記録」「シテール島への船出」など今も忘れえない
作品がある。映像の断片がふと脳裏をよぎる、何とはなしに。
なぜなのかは自分でもわからない。DVDはまだない時代で
日本公開時に映画館で観たのだった。
監督はギリシアのテオ・アンゲロプロスだ。

アンゲロプロス作品は曇天のほのぐらい、独特の映像とともに
その音楽が印象に残る。作曲家はエレニ・カラインドール。
上の曲は「エレニの旅」から。
今年初め、アンゲロプロスの突然の訃報に驚いた。
もっとたくさんの作品を観たかった。
DVD-BOXで過去の作品を繰り返しみるしかなくなったが、
テレビニュースに映し出される混迷のギリシアとは別の
情感深い内面が確かにそこにあるのだった。

その国に生きる人にとって歴史とは何なのだろうと思う。
人が実感できるのは、産まれて生き、死ぬまでの何十年かだ。
短いともいえる人生に、想像もしないところで歴史の大河が
重くのしかかってくる。
今、こうしてあることの発端が、自分のあずかり知らぬこと
で、幸も不幸もなく、ただつながっているのだということを
歴史は教えてくれる。だが、それはいつも後からのことで、
未然に知ることは難しい。不可能ではないが‥。

歴史に学ぶこと、などというが、人はあまり学ぼうとはしない。
予測は頭の中で行われるのだから、そこに己の都合が
入ってくる。今を満たされていると思う人は未来を案じたり
はしない。そのまま現状維持で行ける方向へ思考していく。

反原発デモを眺めて「ユルイね、あんなんで変わる?」
などと言ってしまう人が、「そりゃ誰でも反対っていうでしょ、
今はね。でもこの先どうするの日本。ただ反対って簡単
すぎない?」とか続けて言う。
彼らには今のことも実際、わかってはいないのだが…
自分だけには明るい未来があると信じているのだろう。
同じ国の中に違う歴史を見ている、おかしな話だが、自分が
正しいと思い込んで、彼岸から眺めている態度だ。
河はもっと上の方から流れているのがわかっていない。
そして、その大河の波に乗り、泳ぐ事を選んだ人だけが
歴史を感じることができるのだ。

絶望の縁に立った者しか、変革や革新などと思い浮かべない。
大河の流れを変える石、集まれば岩になる今はまだ小さな石。



アンゲロプロス作品の主な主人公はアレキサンダー大王を
除いて、中央ではなく隅に生きることを選ぶ人だ。
しょうがなくて隅に行くのではなく、選ぶ。
ギリシアはフィロソフィー起源の地であるのに、欧州の隅に
追いやられて久しい、あまりに長い歳月。
経済主導の思想がはびこって、ついに破綻などという烙印
を押されるまでになってしまった。
けれどもギリシアは今も偉大だと思うのだ。羨ましくもある。

このエレニ・カラインドールのサウンドトラックCDはギリシア
全国でヒットし、アンゲロプロスはギリシアの誇りである。
国亡ぶとは、文化が根絶やしになったときのことだ。
わたしの国はだいじょうぶか?
わたしの国?






コメント
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