太古の人々は草木は語るものと伝えています。
詩人が作った話ではありませんよ、日本の古い文献の記述に
残っているのですなー。草木は大地の毛だと。
毛が焼けこげたら、どうなるか‥
泣いちゃうね‥痛い。
文献など見なくても、いつも一緒だかんね、わかってると
山里暮らしの爺婆は思ってる、理屈なんか知らんけどわかってる。
福島を始め東日本から熊本や大分へ避難移住した人がけっこう
いるようなのだ。(ツイート多し)
その熊本と大分の県境の竹田から阿蘇へかけて豪雨の災害
が発生した。阿蘇から熊本市街地へ流れる白川が氾濫した。
原生林の間を縫ってゆうゆうと流れる白川、おいしい水の
水源地でもある。
濁流で大木が押し流され、山土から流れ出した泥で道は塞がって
いる光景。長生きした年寄りも体験したことのない災害だろう。
友と連絡がとれず、夜になって家が被災したとメールが
返ってきた。生きてたかと安堵した。
家族は無事だったからと書いた彼は市役所職員で、災害対策
のために役所へ詰めている最中だという。
死者行方不明者の捜索が続いている。
自然に抱かれて暮らすというのを体感できる場所、阿蘇は
そういうところではなかろうか。
外輪山に囲まれカルデラの中央の五岳は日ごと違った顔を
見せる。雄大で、原初に近い風景が残った山は富士山とは
また別の大きさで人間を包み込んでくれる。父でもなく
母でもなく「祖先」といった風景。
友は阿蘇の草原保護の活動をしている。いい歳なのだが、
最年少らしい。草原の草は阿蘇では昔から循環型農業に
使われていた。赤牛を草で養い、牛糞は堆肥になり田畑の
栄養にされる。収穫後の稲わらは牛の寝床になる。
牛飼いが減り、農薬が使用されるようになって草刈りを
する農家が減り、草原は荒れてきた。再生し維持しようと
いう取組みは容易ではないけれど、新しい生き方に沿って
いる。使い捨てから循環型、共生への取組みだ。
昨年の3.11以後、何かを変えなければならないと気づいて
気づくだけでなく行動に移している人が増えた。
若い人が動きだした。
今夜は悲しい夜だけれど、阿蘇はまだ放射能に汚されたわけ
ではない、今年の稲はダメでも来年は作れる。
全部がダメになったわけじゃない。拾う神あり、だ。
フクシマを体験した今、心底そう思う。
フクシマは今、捨てられたままなのだから。
阿蘇で暮らしている人はあまりにのどかで隣の県、鹿児島に
ある九電川内原発の存在を知っていても知らんフリしている。
知らないで済ますのもそろそろやめよと、大地の声、樹々の
涙が降りそそぐ前に、動きださなければ‥‥声を挙げ続け。
今日はとても疲れました。
でも、だいじょうぶ。
新しい一歩を、一歩づつ。