1月3日記。山の天気は変わりやすい。
さっきまで日が照っていたのに、ふと窓の外に
目をやると吹雪き始めている、そんなことが
いつものことで、冬の特に正月明けての数日は
そうである。今年は降らないか、そんなことを
いつもいつも思うので今年もまた苦笑いである。
降らないわけないじゃん、ってことで積った。
お客さん1号は、なんと江戸猫。カメが名づけた。
江戸猫はずいぶん久しぶりなんだが当人(猫)はそうでも
ないらしく堂々とというか、なついた感じで縁側に出して
おいたご飯を食べていた。
ガラス一枚隔てて親分の黒い図体があるのを見ても
食べ続けて、時々わたしの顔も見てくれる。
目がコンニチワ、なのである。はい、コンニチハ。
ずっと来ていていいよ、カメがあーたのファンだからね、
ブチャよりあーたに会いたがってたよ、だから来週あたり
またおいで。来週にはカメも来るかもしらんからね、と
言ったんだけど通じたろうか…。通じたな、テレパシーで。
猫は都合のよいことには敏感である。
オールハート動物病院の鍼治療で足を長持ちさせようと通院
し続けているが、効果はあって、間があいてしないと悪くなる。
老化にともなって出てくる具合の悪さは人間と同じであるから
憂えてもしかたがない。くれぐれも放射能にだけは当たらない
で欲しいと願うばかり、なにせ犬の背丈は危険区域内だ。
ヒトも犬も猫も、樹々も、土も、今では死がお隣さんになった。
病とつきあって、考えたり、うろたえたり、ちょっと具合が
いいと治癒していなくても喜び、生きていることを実感する。
それをしあわせと思うか、めんどくさいこっちゃと思うか。
人それぞれの思いがあろうけれど、思い出すのは好きな詩人が
病に伏しながら書いた詩に、幾度も支えられたり励まされたり
してきたことだ。
八木重吉、宮沢賢治、若山牧水しかり、子規しかり。
瞬間に生き、永遠を旅する人たち。
さっきまで日が照っていたのに、ふと窓の外に
目をやると吹雪き始めている、そんなことが
いつものことで、冬の特に正月明けての数日は
そうである。今年は降らないか、そんなことを
いつもいつも思うので今年もまた苦笑いである。
降らないわけないじゃん、ってことで積った。
お客さん1号は、なんと江戸猫。カメが名づけた。
江戸猫はずいぶん久しぶりなんだが当人(猫)はそうでも
ないらしく堂々とというか、なついた感じで縁側に出して
おいたご飯を食べていた。
ガラス一枚隔てて親分の黒い図体があるのを見ても
食べ続けて、時々わたしの顔も見てくれる。
目がコンニチワ、なのである。はい、コンニチハ。
ずっと来ていていいよ、カメがあーたのファンだからね、
ブチャよりあーたに会いたがってたよ、だから来週あたり
またおいで。来週にはカメも来るかもしらんからね、と
言ったんだけど通じたろうか…。通じたな、テレパシーで。
猫は都合のよいことには敏感である。
オールハート動物病院の鍼治療で足を長持ちさせようと通院
し続けているが、効果はあって、間があいてしないと悪くなる。
老化にともなって出てくる具合の悪さは人間と同じであるから
憂えてもしかたがない。くれぐれも放射能にだけは当たらない
で欲しいと願うばかり、なにせ犬の背丈は危険区域内だ。
ヒトも犬も猫も、樹々も、土も、今では死がお隣さんになった。
病とつきあって、考えたり、うろたえたり、ちょっと具合が
いいと治癒していなくても喜び、生きていることを実感する。
それをしあわせと思うか、めんどくさいこっちゃと思うか。
人それぞれの思いがあろうけれど、思い出すのは好きな詩人が
病に伏しながら書いた詩に、幾度も支えられたり励まされたり
してきたことだ。
八木重吉、宮沢賢治、若山牧水しかり、子規しかり。
瞬間に生き、永遠を旅する人たち。