このところ、とみに思うことがあります。
国家って何? こんなことを考えたことはなかったというのは、
国家という言葉自体を受け入れない何かアナーキーな感覚が
自分の根っこにあったからのような気もしますが‥。
それがまたなぜいまごろ国家か?
国家と人民、そういうことをおもわざるを得ないのは大震災と
原発爆発事故があってから、政府発表、関係閣僚、官僚たちの
記者会見がそれ以前に比べてぐんと増え、その内容が看過できない
お粗末な内容であったことではないか、そんなふうに考えました。
注視せざるをえないから見てみた「国家」の体は、汚れていました。
仕事場の近くで近所の若者と、とあることで立ち話をせねばならず、
その時、相手の若い男の人が口にした言葉がタイトルにある通りです。
「オレ、放射能、だいじょうぶっす、政府の発表を信じてるんで」
バカ者がいるんだなあ、と呆れました。
いまこの時期、このごに及んで、政府を信じていると聞かされると
目の前に立っている真顔なのかふざけているのかわからない平たい
表情のバカ面から目をそらそうか、そらすまいか、ちょっと固まって
しまいました。
話をそれきりにしようとすると、なんでですか、あぶないんすかと
追いすがって話をしようとするのでありました。
振り切ることも断ち切ることもできない性分のうさこであります、
トホホホなまま、そのバカ者、いや若者君に、放射能は降っています、
あっちもこっちも降ってます、降ったのも残ってます、政府も今じゃあ
認めています、新聞、テレビにも書いてあります、見ないのですか?
と応えました。
大学では法律しかやってなかったもんで~放射能のことはちょっと
よく知らないっすよ~、で~仲間が南三陸に行って活動しているんで
自分もそのうち行こうと思ってて~様子見てこようと思ってるんすよ~
ほんと、昨日も呼ばれてて~そのうち行くって返事したんすよ~。
そんなことを若者は話しました。
三陸は福島じゃないよ、と言うと、そうでしたっけ、ととぼけました。
放射能の話から逸れてガレキ撤去のボランティアに参加する話を始め、
福島がどこかもわかっていない。放射能と津波と、ごちゃごちゃで、
なんか大変だってことはわかってる、自分も助けようと思ってる、って
言いつのるわけですが、最初に政府を信じてる、だいじょうぶと主張
したのは、実は事実関係をよくわかっていないことの弁解だったのだと、
すぐにわかりました。政府を信じているなんて今言われるより、むしろ
そのほうがまだマシであります。
思いつくままに軽くその場しのぎの言葉を並べたて、自己防衛する
のを、いつから身につけたんでしょうね。
それが習性となって嘘が日常茶飯事、そんな感じではないかと。
国家も嘘をつく時代。
これは今に始まったことではないけれど、それでもまだ律儀な人はいた
気がします、かつてのこの国に。
国家とは何か。憲法では確か、人、そして国土であると位置づけられて
いるのではないかと思うけれど、悠久の流れの中で、すべて幻であった
というのがその実、まことではないか、そんな気さえしてきました。
いや、今思い起こせば、カメに出会ってすぐのころ、わたしはその事を
カメの教えのなかに気づいた時から、元気になっていったのだった。
そうでした、すっかり忘れかけていた、幻の現世という密かごと。
眼前のことだけ視るのではない。
視るは目だけでもない、耳で見よ。
聴くは耳のみにあらず、全身、これ耳となせ。
あってなきがごとく、空(くう)心(しん)となせ。
愚か者総出演のテレビなんぞに憂えている時間はもうありませーん。
ひとりが国家、ひとりが真、そういう流れになってきて、大きなうねり
も巻き起こり、揺れ戻し、さらに押しして流れていくのでしょう。
そのなかのひとつの真、それを忘れないように。
国家って何? こんなことを考えたことはなかったというのは、
国家という言葉自体を受け入れない何かアナーキーな感覚が
自分の根っこにあったからのような気もしますが‥。
それがまたなぜいまごろ国家か?
国家と人民、そういうことをおもわざるを得ないのは大震災と
原発爆発事故があってから、政府発表、関係閣僚、官僚たちの
記者会見がそれ以前に比べてぐんと増え、その内容が看過できない
お粗末な内容であったことではないか、そんなふうに考えました。
注視せざるをえないから見てみた「国家」の体は、汚れていました。
仕事場の近くで近所の若者と、とあることで立ち話をせねばならず、
その時、相手の若い男の人が口にした言葉がタイトルにある通りです。
「オレ、放射能、だいじょうぶっす、政府の発表を信じてるんで」
バカ者がいるんだなあ、と呆れました。
いまこの時期、このごに及んで、政府を信じていると聞かされると
目の前に立っている真顔なのかふざけているのかわからない平たい
表情のバカ面から目をそらそうか、そらすまいか、ちょっと固まって
しまいました。
話をそれきりにしようとすると、なんでですか、あぶないんすかと
追いすがって話をしようとするのでありました。
振り切ることも断ち切ることもできない性分のうさこであります、
トホホホなまま、そのバカ者、いや若者君に、放射能は降っています、
あっちもこっちも降ってます、降ったのも残ってます、政府も今じゃあ
認めています、新聞、テレビにも書いてあります、見ないのですか?
と応えました。
大学では法律しかやってなかったもんで~放射能のことはちょっと
よく知らないっすよ~、で~仲間が南三陸に行って活動しているんで
自分もそのうち行こうと思ってて~様子見てこようと思ってるんすよ~
ほんと、昨日も呼ばれてて~そのうち行くって返事したんすよ~。
そんなことを若者は話しました。
三陸は福島じゃないよ、と言うと、そうでしたっけ、ととぼけました。
放射能の話から逸れてガレキ撤去のボランティアに参加する話を始め、
福島がどこかもわかっていない。放射能と津波と、ごちゃごちゃで、
なんか大変だってことはわかってる、自分も助けようと思ってる、って
言いつのるわけですが、最初に政府を信じてる、だいじょうぶと主張
したのは、実は事実関係をよくわかっていないことの弁解だったのだと、
すぐにわかりました。政府を信じているなんて今言われるより、むしろ
そのほうがまだマシであります。
思いつくままに軽くその場しのぎの言葉を並べたて、自己防衛する
のを、いつから身につけたんでしょうね。
それが習性となって嘘が日常茶飯事、そんな感じではないかと。
国家も嘘をつく時代。
これは今に始まったことではないけれど、それでもまだ律儀な人はいた
気がします、かつてのこの国に。
国家とは何か。憲法では確か、人、そして国土であると位置づけられて
いるのではないかと思うけれど、悠久の流れの中で、すべて幻であった
というのがその実、まことではないか、そんな気さえしてきました。
いや、今思い起こせば、カメに出会ってすぐのころ、わたしはその事を
カメの教えのなかに気づいた時から、元気になっていったのだった。
そうでした、すっかり忘れかけていた、幻の現世という密かごと。
眼前のことだけ視るのではない。
視るは目だけでもない、耳で見よ。
聴くは耳のみにあらず、全身、これ耳となせ。
あってなきがごとく、空(くう)心(しん)となせ。
愚か者総出演のテレビなんぞに憂えている時間はもうありませーん。
ひとりが国家、ひとりが真、そういう流れになってきて、大きなうねり
も巻き起こり、揺れ戻し、さらに押しして流れていくのでしょう。
そのなかのひとつの真、それを忘れないように。