想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

霧が流れて

2008-07-22 01:12:55 | Weblog

   社会人になって、曜日に関係なく働くスタイルを通してきて、
   おまけに早くに独立し、社長なのに社員より休みも少なく寝る時間もないという
   十数年を過ごし、少々落ち着いてからも「盆暮れだからなんなのよ」的生活に
   変わりはない暮らしをしてまいりましたうさこです。

   フリーランスに憧れる若い人には、この現実を話します。
   でも、何を聞いているのか、へーというだけで、やっぱりいいですね、とくる。
   祝日とか休日とか振替休日とかで浮かれることもありませんのですよ。

   旗日でなくとも、日によってはけっこう浮かれてるわけではありますが。

   朝から霧が流れて、森は静かです。



   蝉がなんか、うるさいです。
   親分は、そうとう脚にキテルのに、まだ走るつもりのようです。
   知りませんよー。

   唐突ですが(いつもだけど)
   親鸞上人を想う弟子の唯円が書いた「嘆異抄」を読みつつ
   今も昔も変わらんなあと思うばかりです。

   テレビタックルでは、共産主義と共産党の違いがわからない自民党議員が
   日本共産党の小池議員にイジワルなツッコミを。
   かなり幼稚な話で、議論というにはほど遠い風景である。
 
   これらをチラ見して、親鸞が嘆いた、浄土宗の本義と念仏による救済の意味を
   取り違えた多くの末端の信者集団たちの姿、それに似ていることを発見。

   真剣に真面目に勉強しないとほんとにわからない、思想哲学の類は。
   宗教もしかり、踊ったり唱えたりだけじゃ、仏の心を知ることはできない。

   哲学のない政治はありえない。けれど現実にはその根っこのところ、
   すぽりと抜け落ちている。ずっと前から、長いあいだ。

   その後の浄土真宗、親鸞の嘆き、弟子唯円の嘆きは嘆きのまま
   現実のものとなったことは歴史に明らか、現実をみればよくわかる。
   嘆異抄の研究は盛んで、宗学を離れて広く読者を獲得しているが
   その意味を本当に学んでいる人はどのくらいいるだろう? と訝しい。

   民主主義って言えばいいくらいなノリのオッサンたちが国の中枢にいる、
   そりゃかなわん、と考える人がいるのは道理、21世紀である。
   今だから蟹工船は売れるわけだし、ついでに共産党党員も増えているそうな。

   だからって嫉妬して、共産主義はアカだとかまたぞろ言い出したりしそうで‥。
   民主主義の旗挙げてるオッサンたち、けっこう若い人もいるのにジジイだわ。
   同じ日に、カンボジアの児童買春をなくすNPO「かものはしプロジェクト」を始め、
   若者に広がっている社会起業家を、村上の龍サマが紹介していた。
   利権でしか動かない人と、他人のために働くことを生き甲斐とする人。
   この両極、いまはまだ、接触しない距離。
   ちょっと昭和前夜の大正時代っぽい。

   「人生は戦いなることを忘るべからず」
   ひさびさに脚光浴びたのは芥川龍之介の愛児への遺言、いいタイミングです。

   「鋼より堅い信があるのだ」とうさこに教えてくれたのは、ねずみ師。
   
   歴史は繰り返す、歳をとったか、そんなことが実感としてあるなあ。
   霧の流れる森で、胸の奥にある鋼をたたいて、堅いかどうか
   モノホンかどうか確かめるのであります。   

   
コメント (2)
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