想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

死者を、社に祀るなかれ

2017-01-03 19:43:41 | 

年末年始にかけて首相閣僚の靖国神社
参拝が世界中に配信され、批判されて
いる。

天皇陛下も外国の賓客も靖国には
行かず千鳥ヶ淵の戦没者の慰霊施設
を訪れるのは、靖国神社が戦死者を
慰霊するためではないことが明白
だからである。

神社はその名のとおり、神の鎮まり
ます処を指す。
「古代憲法」神職憲法の
第一条に
「大社は天下を衛り国社は
国家を護り県社は群民を守る。
三社は風雨を領し禍福をつかさどり
これを以てはたらきとなす。(後略)」
(現代語訳省略)

第十四条に
「吾が国は天尊齊元の国なり。神代
すら尚、未だ人魂を祭りて神明に
混えず。人の代も之に随え。
皇、王、臣、連たち、先人たちを
崇むといえども神号を以てせざれ。
陵廟をまつるといえども祭締を以て
せざれ。之によって芳野、菟狭の
如く己現の霊神に非ざれば社祠を
造り祭祀を致すことなかれ。」
とある。

つまり、神社の区別と役割を示し、
神代の由緒ある神社以外に、新たに
神社を造り人を祀ってはならないとし、
また神と人を一緒に混ぜて祀っては
ならないと定めた。
吉野(金峯)や宇佐(神宮)は霊験
(由緒)あってのことなので特別で
あり、それ以外は神社、祠を造ること
を認めない、としたのである。

ジャーナリスト清水潔氏のtwtを
引用RTしたところ、ふだん静かなTL
に多くの反応があった。
戦犯合祀の問題以外に、そもそも論
として、靖国神社も明治神宮も神道
の原則から外れているのだ、という
ことを書いたのである。
twtでは文字数が足りないのでここに
条文を補足した。

古代憲法(聖徳五憲法)はまったくと
いっていいほど知られていない。
そこには、腐敗しきってしまう以前の、
この国の儚い夢が描かれている。

聖徳太子薨去後、晩年の推古天皇が
中臣御食子や河勝とともに憲法を
遵守したことが記録にあるが、奈良
時代になるとこれらの禁は完全に
破られ、まるで別の国と化していく。
法が変われば国は変わる。
憲法の重みとはそういうことだ。



神を祀る意味と、人の死を悼む
ことは別のことであり混同しては
ならない。
葬り方を伝えるのは仏教の務めだ。
人魂を神の位置に置くのは、神の
尊さに便乗するもので、死の意味を
欺くことになる。神に仕える神職者は
これをわきまえ禁を守れと定めている。

墓参を神社参拝にすり替え、死者に
偽りの格式を与えることで、遺族の
悲しみを誉れに置き換える。まさに
靖国神社はそのための装置であり、
神社とは名乗ってはいけない場所だ。











コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 制御不能のまま | トップ | 承前)真心を以って死者を悼めよ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。