想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

学ぶに才も歳も関係ないぞよ

2019-04-25 16:09:41 | 
上の写真は熊本市中央区にある肥後藩主
細川忠利ゆかりの「水前寺成趣園」、
中鷺の脚が水面から見えているのは
熊本地震の影響で水深が低くなっている
からだそうだ。

鷺も幾種類がいてカモメや鴨や水鳥が
まだいてくれることが救いである。
豊かな水のなかに隠れていた石の肌が
見える景色は少し荒涼として、以前を
全く知らない観光客にはそれでも
ビューティフル!らしかった。



撮影はまだ桜の蕾が固かった頃なので
茶色い芝の色も寒々しく、雨天の中を
地元の出水神社にご挨拶して早々に
退散した。

と、そんな前の写真を桜も散って青葉
の盛りになろうかという時になぜ?
と思われるかもしれないですね、
それはですね、、、、、、、、、、

なんとなく、まあ江戸時代の風情を
醸した数少ない手持ちの写真という
こと、とこじつけておきましょう。
撮ったけどアップせずじまいだった
だけということでもありますが…

さて、本題は…
本居宣長が書いた「うひ山ぶみ」と
いう随筆があります。これは古典の
学び方指南、初心者向けの心得であり
かつ学問とは何かという基本姿勢を
古事記伝という大著の大仕事を成し
とげた後、じゃあ後進の為にひとつ
さらっと書いとくかってな感じで
「世に物まなびのすぢ、しなじな
有て…」と始まっています。
さらっととはあちきの感想ですが…



白鷺の脚みえ写真とうひの山ぶみの
組み合わせはなかなかシュールで
キュンと来る気もしたのです。

以下、学びのツボ
1.結局のところ学ぶというのは
ひたすら年月をかけて倦まず怠けずに
長くやり続けることが一番である。
2. 学ぶ方法の善し悪しや、才能が
あるかないか、はたまた若いとき
からやったほうがいいとか歳だから
無理だとか考えることもあろうが、
そうともいえないのである。
3.才能は生まれついたものでは
あるけれども、大抵は努力して
怠けず続ければ結果がついてくるし
遅くに始めたにしてもなおさらに
励むから思いのほか実りがあること
もあるものだ。
4.時間のあるなしによるかと
いえば、忙しい方が意外に結果を
出したりするものだから、時間が
ないといってあきらめて止めるのは
よくないことだ。
5.とにかく、努めればできると思い
定め継続することが学びには一番大切
であり、投げ出す事は最悪である。
結論を言えば方法にこだわるよりも
怠けず続けていくことで結果は必ず
出てくる。そこに才能や年齢は関係
ない。それが道を学ぶということで
あーる。

というようなことを始めに書いて
繰り返し読む、読む、そして慣れ
ていく、というような素朴な基本を
宣長さんは提唱しているのであります。

才能なく、飽きっぽくふらふら過ごし、
思いつくと跳ねる、転ける、という
ていたらのうさこはおおいに慰められ
ました。

先代旧事本紀大成経伝だけは長くじみ〜
になが〜く、やってきてよかったなあ、
だんだんおもしろくなってきたなあ、
と実感した経験があるので、宣長翁の
言われることに合点がいくのです。

まずくりかえし読むことという
指南にはウンウン、と松坂方向に
向かって御辞儀したいくらいの
気持ちです。

ここから思うついたのは…
物を知ることも人を知ることも
同じではないか、倦まず飽きず
諦めず、ながくつきあってこそ
奥深い味に気づく、ひいては
自己を倣い、自己を忘れる
という域に行けるのではないか、
旧事紀という教科書から離れ、
ただ息をしただ歩くという人に
なっていくのではないか、
と気づいたのでした。

それまで……長いみちのりです。





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