墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

徒然草 第百五十段

2005-12-04 19:47:55 | 徒然草
 能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
 未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。
 天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。

<口語訳>
 能をつけようとする人、「よくできないうちは、なまじ人に知られず。うちうちよく習い覚えて、さっと出るのこそ、とても心にくいからね」と常に言うけれど、こういう人、一芸も習い覚えることない。
 まだ堅固にかたまらないうちより、上手の中に交って、そしり笑われるにも恥じず、つれなく過ぎてたしなむ人、天性、その骨なくても、道に泥まず、むやみにしないで、年を送れば、多才のたしなまないよりは、ついには上手の位に至り、徳高く、人にも許されて、双びなき名を得る事だ。
 天下のものの上手といえども、始めは、無能の聞こえもあり、無下の欠点もあった。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、無視しなければ、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るはずない。

<意訳>
 これから芸事を習おうとする人が良く言うのは、
「良くできないうちは、かっこ悪いから人に知られないようにして、こっそり練習してうまくなってから人前に出るのがかっこいいよね」
 なんてこと言ってる人が芸を身につけ人前に出ることはない。
 まだ技も知らず、道具の名前も知らないうちから、上手な者の中にまじり、怒られようが笑われようが恥じる事もなく、平気で押し通して修練に励む者だけが芸を身につけられる。才能なんかなくても気にしない。ぬかるみ道を、教えだけを信じて修練に励めば、いずれは才能があっても修練しない者を乗り越え、ついには芸に貫禄もつき、人にも認められる名人の名を得られるだろう。
 天下の名人だって、最初は無能とすら言われる。事実、それなりの欠点もあっただろう。しかし、道の教えを守り、これを尊重して無視しなければ、その道の名人となり師匠ともなるだろう。こういうことは、なんの道においても変わる事はない。

<乾燥した感想>
 コツコツのロールプレイングゲームだ。ゲームなら好きだけれど、実際の人生のコツコツは嫌いだ。経験値と装備さえ整えれば魔王すら倒せるという話だが、根本的にこの世には努力する才能がない者が存在する。
 一発逆転の三冠王が俺の望みだ。それ以上は望まない。
 それはともかく、昨日まで鹿の角の臭いを嗅いだら脳を蟲に食われると言ってたおっさんが、なんで今日は「芸能を志す者」の話か。
 たぶん「脳」と「能」の連想だろう。兼行ブレインの連想力は凄まじい。

原作 兼好法師 


修理代

2005-12-04 17:54:25 | 日常
 毎朝の通勤に使っているボロ自転車のブレーキが効かない。
 前も後も両方ともまったく効かない。
 止まる時には腕力全開で、ブレーキワイヤーがぶち切れんばかりに、ブレーキレバーもへし折れるばかりに、つよくつよく握りしめてやっとヌルリと自転車は止まる。完全に停車したい時は、両足を補助ブレーキにして靴底と地面の摩擦力を利用しない事には止まってくれない。止まる気もないらしい。思いっきり慣性の法則のおもむくままに生きているのが俺のボロチャリだ。
 この年末のクソ忙しいさなかに、ブレーキの利かないチャリで暴走機関車トーマスなみのノンストップアクションでダンプに突っ込んで御臨終じゃ、他人事なら面白いが、我が身の事となると少しシャレにならない。
 少しだけ金にも余裕ができたので、ブレーキの修理を頼みに立川駅近くの自転車に行く。

 自転車屋の親父に、修理に一時間ばかりかかると言われたので、立川の街をぶらつく。
 TUTAYAで借りていたDVDを返す。
 グランディオのオリオン書房でかるく立ち読み。
 古本屋で、橋本治の「宗教なんかこわくない!」と、中村うさぎの「穴があったら、落っこちたい!」を購入。二冊で530円。
 立美の近くのラーメン屋で500円のラーメンを食う。

 なんて事をしているうちに一時間が過ぎたので、自転車屋に行くと、自転車の修理代は4400円。
 たしか、前にこの自転車のタイヤ交換をしてもらった時には4000円とられたはずだ。このボロチャリの修理代に8400円もかけていることになる。つい、それだけあれば安いママチャリが買えたなと思う。
 やめとこう、無駄な考えだ。自転車が何台もあっても仕方ない。どうせケツはひとつだ二台いっぺんにはこげない。

 さすがに、ブレーキの効く自転車は最高だ。
 なにしろちゃんと止まる。
 安心してスピードが出せる。
 チャリの乗り心地を確かめながら、調子こいて西国立まで足をのばす。いや、タイヤをのばすか?
 西国立のディスカウントショップで、欲しいなと思っていた500円のジーパンを購入。
 レンタルビデオ屋で「阿修羅城の瞳」と「インストール」をレンタルする、二本で700円。
 スーパーおおたでビールとマヨネーズを買う。1400円。

 今日は金を使いすぎた。明日からは慎もう。


職場の扉

2005-12-04 10:27:49 | 駄目
 毎朝、電車に乗って職場に行く。
 そんでもって、職場のドアを開けて「おはようございます」と中に入るのだが、ドアを開ける直前に必ず思うのは、「このドアを開けずに、このまんまどこか遠くへ行きたい」という事だ。
 ドアを開ける寸前の俺には、労働意欲も金がもらえる勤労への感謝もない。ただただ、どこかに逃げ去りたい。むしろ、このままどこか遠くへ旅立ちたいという思いだけだ。
 今朝は思いつきで、仕事は休みなのに、わざわざいつもどうりの時間に職場のドアの前に立ってみた。もちろん中には誰もいないし、電気も消えている。
 職場の扉に軽くタッチしてから考えた。遠くへ旅立つのは無理だが、休みの今日なら小旅行気分で家まで歩いて帰るのも有りだなと。

 小平のパン屋から、自宅まで歩いて帰る事にした。
 長距離の徒歩はずいぶん久しぶりだ。
 すこしだけワクワクする。

 学園西町を抜け西へ向かう。小平浴場の前を通り、玉川上水沿いに歩いて鷹の台駅南側の踏切を渡り、国分寺市北町へ。かって養豚場があったあたりを通り、五日市街道を横断して新町に入る。むかし通っていた幼稚園や小学校、中学校の横を通り、戸倉街道を横断して戸倉神社の横を通り、日吉町の交差点を横断して南に向かう。中央線の線路にぶちあたり、線路沿いに歩いて行くと国立駅。
 いくら歩いても体が温まらない。寒さで肩が痛む。
 歩き続けて腰も痛む。
 このへんが限度かもと、国立から電車に乗って立川へ。

 立川で、朝のってきた自転車を回収して、コンビニで黒ラベル2本買い、矢川緑地に寄って帰宅。歩き疲れたので、ビールを飲んで今から昼まで寝る。


ライブ

2005-12-04 09:22:14 | 駄目
 新しい物語が産まれる可能性は、ライブから以外には考えられない。
 想像で物語を語るなら、どうしても神話の模倣から逃れられない。
 ならば、自分が生きているという事を物語るしか方法はない。
 ゆっくりとだが、だんだんと俺の結論が目に見えだしてきている。
 それは俺自身がひとつの物語になるということだ。
 だが、下手すると俺の生き様そのものが神話の模倣になる可能性がある。