墨汁日記

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芸人の自覚

2005-12-02 22:42:14 | 駄目
 ビートたけしは芸人でエンタじゃない。
 いま、たけしの「座頭一」を観た。
 芸人には、「起承転結」の「転」の意識がない。つかみとオチは用意できるのだが、それだけが芸人だ。
 エンタは、つかみとオチの間にさらに展開とどんでん返しを用意できる。
 たけしは芸人の弱点は意識しているようだが、「座頭一」では「転」と「オチ」が近すぎる。全てがオチとしてしか理解されない。
 つかみとオチのみが、たけしの「座頭一」だ。
 「転」をつくるためには、エンタも苦労している。古くは主役メカ交代。最近ならヒロインの交代。こりすぎると主役が交代する。


徒然草 第百四十八段

2005-12-02 20:17:46 | 徒然草
 四十以後の人、身に灸を加へて、三里を焼かざれば、上気の事あり。必ず灸すべし。

<口語訳>
 四十以後の人、身に灸を加えて、三里を焼かねば、上気の事ある。必ず灸すべき。

<意訳>
 四十すぎの人、灸をすえても三里を焼かねば、上気する事ある。必ず灸すべき。

<感想>
 「上気」とは、第四十二段で書かれた、例の「気の上がる病い」のことである。
 ほっとくと膿で目鼻がふさがり こんな顔になって死に至る。大変に恐ろしい病いだ。
 だが、心配は御無用。三里のツボに灸さえすえていれば、この病いに冒される事はないそうだ。
 気の上がる病いの、症状と予防法はわかった。後は治療法さえわかれば、恐れる事なしである。
 というかさ。
 「徒然草」はつれづれな自由発想で書かれた書物だ。
 自由発想とはいっても、各章段は、前段とつながりをもつ話である事がこれまでの「徒然草」の基本だ。
 昨日までさんざ人の死に際の話を書いていたのに、ここにきていきなり灸の話の連打かよ。兼行の頭の中では、「死に際」と「灸」がどこかでつながっているらしい。
 うんまぁー、とにかく。灸は良いよ、灸は、という話である。俺も四十になったら灸をすえよう。

原作 兼好法師


徒然草 第百四十七段

2005-12-02 19:47:23 | 徒然草
 灸治、あまた所に成りぬれば、神事に穢れありといふ事、近く、人の言ひ出せるなり。格式等にも見えずとぞ。

<口語訳>
 灸治、数多ところに成せば、神事にケガレありという事、近く、人が言い出した。格式等にも見えないそうだと。

<意訳>
 灸をすえた痕は神域での汚れとなる。なんてのは、最近になって言い出された迷信である。そんな事は、法律にも定められていない。

<感想>
 兼行は何を言いたいかというと、あちこちに、お灸をすえたアトがある体で神様の前に出るのは、みっともなくはないかいと言う人々への「挑戦状」である。そんな事はどこにも書いてないと兼行はケンカを売っている。まぁ、神社の息子の言う事だからそうなんだろう。

原作 兼好法師