墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

徒然草 第百六十三段

2005-12-17 21:06:25 | 徒然草
 太衝の「太」の字、点打つ・打たずと言ふ事、陰陽の輩、相論の事ありけり。盛親入道申し侍りしは、「吉平が自筆の占文の裏に書かれたる御記、近衛関白殿にあり。点打ちたるを書きたり」と申しき。

<口語訳>
 太衝の「太」の字、点打つ・打たないと言う事、陰陽の輩、争論の事あった。盛親入道申しますは、「吉平の自筆の占文の裏に書かれた御記、近衛関白殿にある。点打ったのを書いてある」と申した。

<意訳>
 「太衝」の「太」の字は、「太」と点打つのか「大」と点なしなのかで、陰陽にかかわる人々の間で論争になった事がある。
 その論争に決着をつけたのは盛親入道。
 彼が言うには、陰陽の祖とも言える安倍晴明の息子、阿部吉平の自筆の書が近衛関白の家に残されてたらしい。
「阿部吉平が占いの結果を書きまとめて、天皇に差し出された紙の裏に、天皇が覚え書きをなされた文書が近衛関白の家に残されています。それには『太衝』の『太』の字には点が打たれていました」

<感想>
 兼行の生きていた当時の占いは、未来を占うだけではなかった。
 なにか凶事があれば、その原因をも占いでつきとめようとした。
 例えば、今年は日照りで、水不足だ。その原因はなんだろう? 現代なら、その原因を科学で解明しようとする。しかし、昔の人達は、それを占いで解明しようとした。
 「なんで今年が日照りなのかがわかりました。小町さんちの三毛が、昨年に車にひかれまして、その三毛のたたりです」
 こんな具合だ。
 こんなのを、もったいぶって権力の最高責任者である天皇に書類で報告する。その提出された書類の裏に天皇が自分の日常の出来事かなんかを書きつづった落書きめいたものが、近衛関白の家にたまたま残されていた。もちろんその表は朝廷の正式書類で、それによると『太衝』の『太』の字には点が打たれていたという話だ。
 もちろん、現在であっても日照りの原因なんかは科学でも推定できない。あくまで出来るのは推測だ。その点では、当時の占いを笑う事はできない。ようは、誰もが納得できる理由さえでっち上げられさえすれば科学でも占いでもなんでもいいのである。
 ちなみに太衝とは、陰陽で言う九月のこと。

原作 兼好法師 


土曜

2005-12-17 06:08:59 | 携帯から
空に満月が出ている、今朝も晴れた。今日も寒い、寒くてみんな家に帰ってしまったのか街には夜遊びの人の姿が少ない。「エステいかがですか」と女の客引きに声をかけられる。この寒いのに大変だ。断ると、すれ違いざまにチッと舌打ちをしていた。