墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

灯油販売

2005-12-14 21:52:11 | 日常
 仕事帰り、駅までの帰り道に「灯油販売車」とすれちがう。
 軽やかな音楽と共に、録音したアナウンスを流しながら灯油を満載したタンクを積んだ2トン車が街を巡回している。
 「こちら、デュナミスの移動灯油販売車です。御用の方は容器を出してお待ち下さい」

 駅までの帰り道、灯油の1、8リッターの赤いポリタンクを手にしたおじさんおばさん達が家の中から姿をあらわし居並ぶ。

 まだまだ、関東の多摩地区の一般家庭では、冬の暖は灯油ストーブが主力であるようだ。
 ところで、「御用の方は『容器』を出してお待ち下さい」というアナウンスが、どうしても俺の耳には「御用の方は『勇気』を出してお待ち下さい」と聞こえる。
 灯油も思いっきり値上がりした上に、この冬もクソ寒いし、灯油を買うのにも確かに『勇気』が必要だな。 


徒然草 第百六十段

2005-12-14 21:23:00 | 徒然草
 門に額懸くるを「打つ」と言ふは、よからぬにや。勘解由小路二品禅門は、「額懸くる」とのたまひき。「見物の桟敷打つ」も、よからぬにや。「平張打つ」などは、常の事なり。「桟敷構ふる」など言ふべし。「護摩焚く」と言ふも、わろし。「修する」「護摩する」など言ふなり。「行法も、法の字を清みて言ふ、わろし。濁りて言ふ」と、清閑寺僧正仰せられき。常に言ふ事に、かかる事のみ多し。

<口語訳>
 門に額懸けるのを「打つ」と言うのは、よからぬか。勘解由小路二品禅門は、「額懸ける」と宣った。「見物の桟敷打つ」も、よからぬか。「平張打つ」などは、常の事だ。「桟敷かまえる」など言うべき。「護摩焚く」と言うのも、悪い。「修する」「護摩する」など言うのだ。「行法も、法の字を清んで言うの、悪い。濁って言う」と、清閑寺僧正仰られた。常に言ふ事に、かかる事のみ多い。

<意訳>
 門に額を飾るのを「額を打つ」と言うのは正しいのか。
 書道の先生の勘解由小路二品禅門は、「額はかけるのだ」と言われた。
 見物の時に用意する席の「桟敷」も、はたして「桟敷を打つ」でいいのかな?
 日常、天幕は「打つ」と言う。
 でも、「桟敷を構える」という言い方もある。
 「護摩を焚く」と言うのは良くない。「護摩」自体に「焚く」という意味がある。これじゃ「落馬して馬から落ちた」だ。
 「修行する」とか「護摩する」などと言うほうが良い。
 「行法は、法の字を濁音無しで『ギョウホウ』と言うのは悪い。濁らせて『ギョウボウ』と言うのだ」
 と、清閑寺の僧正が言われてたな。
 常に言う言葉にすら、かかる事のみが多いな。

<感想>
 兼行の言うように語る言葉のひとつをとっても、めんどうくさいんです。

原作 兼好法師