この人、東寺の門に雨宿りせられたりけるに、かたは者どもの集りゐたるが、手も足も捩ぢ歪み、うち反りて、いづくも不具に異様なるを見て、とりどりに類なき曲者なり、尤も愛するに足れりと思ひて、目守り給ひけるほどに、やがてその興尽きて、見にくく、いぶせく覚えければ、ただ素直に珍らしからぬ物には如かずと思ひて、帰りて後、この間、植木を好みて、異様に曲折あるを求めて、目を喜ばしめつるは、かのかたはを愛するなりけりと、興なく覚えければ、鉢に植ゐられける木ども、皆堀り捨てられにけり。
さもありぬべき事なり。
<口語訳>
この人、東寺の門に雨宿りしたら、かたわ者どもの集り居るのが、手も足もねじ歪み、うち反って、いずれも不具に異様なのを見て、とりどりにたぐいない曲者だ、もっとも愛するに足りると思って、見守られるうちに、やがてその興尽きて、見にくく、不快に思われれば、ただ素直に珍らしくはない物には及ばないと思って、帰った後、この間、植木を好んで、異様に曲折あるのを求めて、目を喜ばせたのは、あのかたわを愛したのだと、興なく覚えれば、鉢に植えられた木ども、みな堀り捨てられたそうだ。
当然の事だ。
<意訳>
資朝卿が東寺の門に雨宿りしたところ、かたわ者どもが門の下に群れ集まっていた。
手足はねじまがり、いずれも劣らぬ不具な具合で、それぞれたぐいなき曲者だった。しかし鑑賞している分には面白いと観察しているうちに、やがては興味も失せ、見るにたえないおぞましさを感じ、ただ素直な普通の体には及ばないと知る。
家に帰り、普段愛していた盆栽をながめているうちに、枝や幹の異様な曲がり具合を求めて楽しんでいた自分は、あのかたわどもを愛でていたのと同じ事をしてたのだなと思い、鉢に植えられた木を土ごと捨てちまったそうだ。
当然だろう。
<感想>
昨日一昨日に引き続いての資朝卿の話。
かたわの体なんて素直で珍しくもなんともない。本人にとりゃ最もスタンダードでオーソドックスなのだ。俺の体だってあちこち歪んでる。ただ、パッと見に普通に見えるだけだ。
ただ、盆栽がおぞましい趣味だと言う事には賛成できる。
盆栽は健康に成長できるはずの植物をわざわざねじけさせて育てて喜ぶ悪趣味だ。んな事を言いつつ、ガジュマルの鉢を育てている。
まぁ、育成は愛だよね。
原作 兼好法師