「盃の底を捨つる事は、いかが心得たる」と、或人の尋ねさせ給ひしに、「凝当と申し侍れば、底に凝りたるを捨つるにや候ふらん」と申し侍りしかば、「さにはあらず。魚道なり。流れを残して、口の附きたる所を漱ぐなり」とぞ仰せられし。
<口語訳>
「盃の底を捨てる事は、いかが心得る」と、或人が尋ねられたのに、「凝当と申しませば、底に凝ってるのを捨てるからでしょうか」と申しましたらば、「そうではない。魚道だ。流れを残して、口のついた所をそそぐのだ」と仰られたぞ。
<意訳>
酒を飲んで盃をまわす時に、盃の底に残った酒を捨ててから、他人に盃を渡すという作法がある。
ある日、ある時、ある場所で、ある人に聞かれた。
「盃に残る酒を捨ててから、人に盃を渡す事をいかが心得る?」
「その作法は、凝当と申すようでございます。たぶん底に凝り固まった酒を捨てるからでございましょうな」
「違う! 凝当ではなく魚道だ! 流れをつくり、口がついた部分をそそぐのだ!」
<感想>
酔っぱらいの戯言である。
原作 兼好法師