ドリーム 2(セカンド)

長坂徳久が語る夢教育(ときどき日常)

今日は駄目だった日、でも大丈夫な日

2014年05月23日 02時01分58秒 | 教育・指導法
今日は長坂が七時前ぎりぎりまで仕事が終わらずに、道場着が7時ちょっ前。

その時点で道場の雰囲気から(空気)から、

「今日は、ちょっとよくなさそうだなぁ・・」

と思った。

なんとなく空気が重い。

そして、稽古開始して15秒ぐらいで、それは確信に。

仕方ない。

運動会の練習が始まっている。

そして、雨。

低気圧が近づくと人は不安定になる。

とくに、子どもたちは、

「魔の6月」間近だ。

今日は、日曜日の大会に向けて、演武の数をかける予定だったが、急遽変更。

数より、質に。


でも最後は、あえて、ドッヂビー、じゃんけんチャレンジャーで楽しく終わった。

そして、あすの、補習稽古はすべてなしにすると決めた。

疲れも出ているから、ここは欲をかいては元も子もない。



こんな日もあるよな~

と思っている。



道院長になった22年前なら、そんなふうには思えなかっただろうな。

どうやって、喝を入れるか!

と考えていたと思う。



捨てること、あきらめることもときには必要だろう。

捨てて、はじめて見えることもある。

あきらめて、はじめて光が差し込むこともある。


ここで、捨てること、あきらめることは、「子どもたちを」「子どもたちのことを」ではない。


指導者の「欲を」「おもねりを」を捨てるのだ。


たかが大会で勝とうが負けようが、そんなことは、


「生きている」ことから考えたら、それは大したことではない。


今日の稽古はダメな日だった。


でも、橋本西にとっては大丈夫な日だった。

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2 コメント

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ゆとり (加茂 雄司郎)
2014-05-23 18:31:56
我が国のゆとり教育は失敗だったといわれるが、案外そうでもないと思っている。

やる気のある人は、いつの時代でもやるし、無い人は、どれだけ段取りしてもやらない。

結果的には一緒であって、やる気の無いものにガツガツやる事も無かろう、やるだけ無駄と言うもの。

演武も、或いはその他も同じで、本当の所、使えないようなものをいくら積み重ねても意味が無い。

少林寺拳法の技は、やる人次第で全く違う。
稽古の仕方で、女の子でも十分身を護れるだけのものに仕上がる。


それは、演武の稽古だけでも可能である。
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ありがとうございます (長坂)
2014-05-24 02:26:30
加茂先生、いつもありがとうございます。
勉強になります。
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