ドリーム 2(セカンド)

長坂徳久が語る夢教育(ときどき日常)

800

2014年11月13日 17時47分42秒 | 教育・指導法









少林寺拳法 橋本西道院・橋本西スポーツ少年団 道場通信

ドリーム 800号

発行日 2014年11月13日(木) 文責・発行 長坂徳久



【感謝 800号】

 
 ついに800号まで来ました。1号は1998年9月24日でした。

「1000号を達成したら、みんなで富士山に登っておにぎりをたべよう」が当時の合言葉でした。

 さて、100号、200号、300号、400号、500号、600号、700号とメモリアル号は、ディープな内容を書いてきました。

 主に長坂の個人的な内容でした。長坂が橋本市職員(公務員・橋本市役所)を退職し、

 育夢学園を立ちあげるということを発表したのもこの誌上の300号でした。

 今回も自分のことを書きかけましたが、「いや、今回は、亡くなった水浪まどかのことを記しておこう。」と考えました。

 ラインからスクリーンショットで引用します。


①まどかは高一の6月の県大会まで現役拳士として橋本西で活躍。

 その後、高校で入部した剣道部に専念するため橋本西を休眠に。

 ラインなどで連絡はしていましたが、その後秋に一度稽古に来ただけでした。

 ドリーム祭も来ることになっていたのですが、剣道部の遠征が入り来れませんでした。

 元気にがんばっているものとばかり思っていたのですが、3月にこのラインがまどかのタイムラインに。

 この話の流れや、コメントしている友達たちとのやりとりから長坂は異変を察知。

 その後、お母さんから「スキルス性胃がんである。」(スキルス性胃がんは末期がん)ことをお聞きしました。(亡くなるまでは、周囲はみん

 な知らなかった。)


 このタイムライン








②友達とのコメントのやりとり。ここに載せているのは、橋本西の拳士のもの。SHIORIは森脇栞で、ayakaは福田彩可。





















③1月末に体調不良で病院へ行き、2月にはすでにスキルス性胃がんと診断。本人も医師から説明を受けていたため、

 この上のラインの時点では本人も自分の状態を理解していたことになる。

 それでも、この健気な言葉を思うに、本当に辛かっただろう、しかし、本気で「治したい!」と思っていたことだろう。

 (誰もががんであることは知らなかった。)

 「薬の副作用」という言葉に長坂は嫌なものを感じ、次のように「調子悪いの?」と平静を装うってラインした。









④この時点で長坂は深刻な病気であることを覚悟した。そして、このあとお母さんから電話で末期のガンであることを告げられた。




⑤3/15に電話を受け、3/17からまた入院することを知った。

 長坂は次のラインを送り、まどかが亡くなる4/15まで毎日1通ずつのラインを送り続けた。

 既読はつくが返信はなかった。

























ドッヂビーベースボール

2014年11月13日 02時19分08秒 | 教育・指導法






フライングディスク(ドッヂビー)を使ったベースボール。


1,攻守に分かれる。


2,キックベースボールのルール。


3,守りは、適当に守る。


4,攻撃側は、順にドッヂビーを投げる。


5,守りがキャッチすればアウト、床に落ちればヒット。


※長坂ルールは、走塁はしない。時間の短縮と運動の苦手な女の子でも取り組みやすいようにしている。


※このゲームは滞空時間が長いのでなかなヒットにならない。