ガラシャの菩提寺、崇禅寺を訪れました。
奈良時代に行基によって創建されたそうです。
境内は歴史を感じさせる風情でした。
住職様の穏やかなお話が心に響きました。
墓地の奥にガラシャの塔がありました。
忠興のものはなく、足利義教の首塚と並んでいました・・・。
そしてガラシャの終焉の地です。
大阪玉造聖マリア大聖堂です。
正面ガラシャの像と片山右近の像がありました。
ファチマのマリア様の出現が子羊たちと一緒に庭にありました。
この地は細川家の屋敷跡だったそうで、奥に越中井戸が残されています。
細川家の台所だったそうです。
聖堂の正面は和風のマリア様でした。
隣りには同じ堂本印象画伯作のガラシャの絵がありました。
石田三成に人質になるようによう迫られ、拒否し、
家臣に胸を突かせて果てました。
脇の小聖堂で、巡礼最後のミサに与りました。
神父様のお説教は
人生は一つのたとえは相撲の土俵のようなもの。
人と一緒に上がっていて、突いたり疲れたり、危うくなったり助かったり
毎日うろうろしている。
けれども決して一人ではなく誰かと係わって生きていくものだ。
そしてその土俵の中には必ずキリストがいてくださる。
それを信じて生きるのがキリスト者としての生き方であると。
素晴らしい神父様と、巡礼の仲間たちで出合い、アレンジしてくださった人にも
すべて感謝、学びの豊かな4日間の巡礼でした。
奈良時代に行基によって創建されたそうです。
境内は歴史を感じさせる風情でした。
住職様の穏やかなお話が心に響きました。
墓地の奥にガラシャの塔がありました。
忠興のものはなく、足利義教の首塚と並んでいました・・・。
そしてガラシャの終焉の地です。
大阪玉造聖マリア大聖堂です。
正面ガラシャの像と片山右近の像がありました。
ファチマのマリア様の出現が子羊たちと一緒に庭にありました。
この地は細川家の屋敷跡だったそうで、奥に越中井戸が残されています。
細川家の台所だったそうです。
聖堂の正面は和風のマリア様でした。
隣りには同じ堂本印象画伯作のガラシャの絵がありました。
石田三成に人質になるようによう迫られ、拒否し、
家臣に胸を突かせて果てました。
脇の小聖堂で、巡礼最後のミサに与りました。
神父様のお説教は
人生は一つのたとえは相撲の土俵のようなもの。
人と一緒に上がっていて、突いたり疲れたり、危うくなったり助かったり
毎日うろうろしている。
けれども決して一人ではなく誰かと係わって生きていくものだ。
そしてその土俵の中には必ずキリストがいてくださる。
それを信じて生きるのがキリスト者としての生き方であると。
素晴らしい神父様と、巡礼の仲間たちで出合い、アレンジしてくださった人にも
すべて感謝、学びの豊かな4日間の巡礼でした。