ゆめひこう 

日々の思いを

マルコ福音書を読む 京都司教区聖書委員会

2015-03-14 21:43:32 | カトリック
               

イエス・キリストの秘密というのがサブタイトルです。


幸田和生司教

マルコの書かれた時代は迫害が始まっていた。

それで十字架上のイエスも

「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」

と叫ばざるをえない。

キリストも苦しんだので私たちも同じ苦しみを味わおうと。

イエスと共に歩くことに希望がある。



中川博通司祭

イエスと弟子たちとの激しいせめぎ合い。

弟子たちとの栄光の道の勘違い、イエスは絶対に譲らない。

イエスの最後の挫折を通して、すべてを新しく始めてゆく。


西経一司祭

金持ちの青年のたとえを、非常に興味深く話しておられます。

ペトロは網を捨てて舌がいました。

イエスはすべて捨てろとか言うのではなく、

「あなたが必要だ

と言っておられる。

財産を捨てる捨てないにこだわってしまうのではなく、

自分お信仰を問うことですと。


聖書が常にベストセラーなのは、深く読めば読むほど、深い味わいがあるからでしょう。

読んでいる間、ずっと心が満たされた日々でした。

四旬節黙想会 「愛」

2015-03-08 20:12:09 | カトリック


四旬節の黙想会でした。

「愛(ベネディクト16世回勅『神は愛』をヒントに」

「ラツィンガー枢機卿は、聖書学のオーソリティですから、初めの回勅には

 さぞ硬いテーマを選ばれるだろうと、思っていたら最初の回勅が

 『神は愛』でした」

と、神父様は言われました。

・愛の業に励むように

・キリスト教的愛について

など書かれています。

エロス

フィリア

アガペー

愛について、この3つがよく上げられますが、

エロスの愛は陶酔するということで、神との陶酔もあるそうです。

回勅の中でも、雅歌3章が取り上げられているそうです。

愛を求めて探し回り、見つけて喜びに浸るというもので、

この求めているのは神であると。

アガペーの愛は新約の時代になってから。

神が人間を愛して肉となって使わしてくださった。

あなた方も互いに愛し合いなさい

どういう風にかというと、


「私があなた方を愛したように」

祈ること愛ですが、愛する行動を起こしましょう。

働きかける愛は大切です。

神父様は愛の人のような方なので、納得がゆきました。




最後はアベマリアの祈りをしました。

マルコ16章18節

2015-03-03 21:09:10 | カトリック
使徒信条について学びました。

二ケア・コンスタンチノーブル信条が制定された歴史。

内容についても。
 
三位一体、ペルソナと本質、目からうろこ…まではいきませんが、

これから深めたいです。


質問の時間に、

「『マルコ16章に病人に手を置けば病人は回復する』

 とありますが、

 受洗して15年以上過ぎたけれどそういう場面に出合ったことはありません」と。


神父様のお話、

「いつの時代でも、神の力は必ず働いています。

 キリストが公的生活を送っておられたときにたくさんの奇跡を行いましたが、

 それ以降、何倍も、何千倍も、何万倍もの神の力が働いていると思います」

と言われました。

「人がこうなって欲しいと思って、その通りなるのが、奇跡ではないですね。

 聖書をそのまま文字を追って読むのではなく、味わって読みましょう」と。


それで、確かに神様が働いてくださったことがあった・・・と思いました。

聖書は味わいながら読む、とても難しいことのように思えました。