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映画・演劇のレビュー

『スマホを落としただけなのに』

2018-11-18 18:43:38 | 映画

 

今だからこそ、意味を持つ映画なのかもしれない。題材がとてもタイムリーだから、大ヒットした。だが、映画自体は大してことはない。中田秀夫はもう以前のような輝きを失った、ということが決定的になった。彼のキャリアの頂点はあの『リング』であり、そこに尽きる。そして、あの頃作った『仄暗い水の底から』が最高傑作だろう。と、いうことがこの映画を見ながら、改めて認識させられる。それってとても残念なことだ。今までも何度となく裏切られてきたけど、今回は決定的だ。この素材がとても彼らしいから、そう思う。

 

確かに、スマホの恐さがちゃんと伝わってくるけど、でもそれはリングのようなわけのわからない恐さではない。もちろん2本を同じ地平から比較するわけにはいかないことなんて、誰にでもわかる。だが、敢えて乱暴にそこを結びつけることで、中田秀夫の弱さが明確になる。ホラーではないから、怖くない、というのは当たらない。現実の方がずっと怖い、ということを、この映画を通して証明して欲しいのだ。こんなふうにわかりやすいサイコのせいになんかしないで欲しい。

 

成田陵のオーバーアクトは演出の意図なので目を瞑る。劇場にやってきた観客は興味深く見たはず。ちょっと大袈裟だったり、それはなぁ、と思うこともあるがそれなりには見ていられる。ただ、わけのわからない恐さにまでは至らない。それどころか、とてもきちんと理に落ちてしまう。猟奇的連続殺人犯の謎、とかいうような、よくあるパターンに落とし込んでいくのは安易過ぎる。犯人は誰でもなく、誰でもある、という匿名性があったほうがよい。幼少期のトラウマなんていうのは、もうつまらない。母親による虐待というのも、今どきどうよ、と思う。

 

わかりやすさは、映画の弱さにしかならない。わけのわからなさが、作品の力になるような作劇が必要なのだ。別にデビット・リンチをしろ、とは言わない。だけど緊張をどこまで持続させることが出来るのかがこの手の映画の胆ではないか。日常の何気ない風景に裂け目が出来てとんでもない恐怖に叩き落とされていく。それこそが、中田秀夫が追い求めてきたテーマで、この映画はその進化形でなくては意味を成さなかったはずだ。なのに、安易な商業映画に堕している。

 


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