さて、先に述べた通りこの周囲はローマ時代の遺跡が残されている。円形闘技場と公衆浴場である。円形闘技場は紀元前1世紀ごろには既にあったそうだが、今の規模(67×56m)になったのは3世紀ごろ。公衆浴場は2世紀から3世紀ごろの建設で、一部はかなり良い保存状態なのだそうである。写真の通り既に石は一部崩れ、中から木が生え出している。周囲は市民公園で、歴史的な建造物の前で子供達が奇声を上げながら走り回っていたり、老人がペタンクに興じていたり、老婦人が犬を散歩させていたりする。
もともとギリシャ人が植民都市としてニースを築いたのは前述の通りであるが、現地のケルト族、リギア族とは折り合いが悪く、幾度か戦闘になった。その為にローマに援軍を依頼したのである。ローマ人達が根拠地としたのがここシミエ地区であった。交渉により一時は現地部族との関係も改善されたが、4世紀ごろから再び戦乱に陥り、町も最後は放棄された。これらの遺跡が再び日の目を見るのは何と1000年以上も後、19世紀に入ってからである。マチス美術館には隣接して考古学博物館があり、同じく入場は無料なので、興味のある方は見学あれ。
写真は遺跡のもの。上写真と下左から2枚は円形闘技場、3枚目と4枚目は浴場、5枚目は浴場の壁に巣くうハト達(いいのだろうか?)、6枚目はペタンクに興じる老人たち、7枚目は遺跡の石の割れ目から覗く花、8枚目は考古学博物館である。
なお、この公園に隣接して聖フランチェスコ教会もあるが、こちらも時間が無く見学はパスした。残念。
もともとギリシャ人が植民都市としてニースを築いたのは前述の通りであるが、現地のケルト族、リギア族とは折り合いが悪く、幾度か戦闘になった。その為にローマに援軍を依頼したのである。ローマ人達が根拠地としたのがここシミエ地区であった。交渉により一時は現地部族との関係も改善されたが、4世紀ごろから再び戦乱に陥り、町も最後は放棄された。これらの遺跡が再び日の目を見るのは何と1000年以上も後、19世紀に入ってからである。マチス美術館には隣接して考古学博物館があり、同じく入場は無料なので、興味のある方は見学あれ。
写真は遺跡のもの。上写真と下左から2枚は円形闘技場、3枚目と4枚目は浴場、5枚目は浴場の壁に巣くうハト達(いいのだろうか?)、6枚目はペタンクに興じる老人たち、7枚目は遺跡の石の割れ目から覗く花、8枚目は考古学博物館である。
なお、この公園に隣接して聖フランチェスコ教会もあるが、こちらも時間が無く見学はパスした。残念。