スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

宇都宮その14

2023-03-19 22:28:57 | 日本国内旅行(宇都宮・2023)


















最後は残った写真を適当に。大きな市というのはどこに行ってもほとんどの場合、市内を川が流れている。1番上写真はJR宇都宮駅のすぐ近くを流れる「田川」である。宇都宮は水も空気も東京よりも綺麗に感じた。
Wikipedia「田川 (利根川水系)」
2枚目はその田川の川岸にいたカワセミ。市の中心部の駅のすぐ近くにカワセミがいるのである。東京駅や横浜駅のすぐ近くにはたしてカワセミがいるだろうか。
3枚目写真から以下は順に。
3枚目と4枚目:歩いてJR宇都宮駅西口に再び到着した。ペデストリアンデッキを下から見上げたところ。中央に「ひびき」の像が見える。4枚目は「ひびき」の拡大像。
5枚目と6枚目:帰りの電車で。途中の駅に「間々田」駅があり、電車内部でこの表示が出る。「次はママだ」と読める。Twitterでよく「次はオマエダ」というネタが流れてくるが、こちらもちょっと目を引いてしまった。
Wikipedia「間々田駅」
7枚目:以前も紹介したレモン牛乳。改めて飲んでみて、確かにどこか懐かしい味である。ちなみにレモン牛乳とついてもレモン果汁は使用されていない(本物の果汁を牛乳に混ぜるのは技術的に難しいらしい)。
那須その21
8枚目:御用邸チーズケーキ。これは宇都宮に行く前に同僚からも薦められたお土産。確かに美味かった。同僚に感謝である。
9枚目:駅の土産物店で売っていたラー油。これは存外に当たりで、チャーハンなどにかけるとなかなか美味い。

半日にもならない旅であったが楽しかった。また機会があったらどこか行きたいものである。
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宇都宮その13

2023-03-19 21:32:46 | 日本国内旅行(宇都宮・2023)








最後に着いたのが宇都宮城址公園である。かつての宇都宮城の跡に作られた公園である。
宇都宮城は歴史上何回か表舞台に登場している。一番有名なのは本多正純の改易の原因となった宇都宮城釣天井事件である。事件そのものはでっち上げとも言われるが、将軍の暗殺計画ということで江戸初期の大事件となった。また戊辰戦争では「宇都宮戦争」の舞台となった。はじめ宇都宮城は新政府側についていたが、旧幕府軍に攻め落とされ、それを新政府側に再奪還される、という経緯で、この間の戦闘で城も市街も灰燼に帰してしまった。
今は写真のように復元された城が作られ、内部は公園となっている。公園として開放されたのが2007年のことだというから、ずいぶん最近のことである。上から3枚目写真のような無料の資料館も作られ、当時のジオラマなども見学できる。
Wikipedia「宇都宮城」
Wikipedia「宇都宮城釣天井事件」
Wikipedia「宇都宮城の戦い」
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宇都宮その12

2023-03-19 21:24:23 | 日本国内旅行(宇都宮・2023)


そして市街を進むと出てきたのが「旭町の大いちょう」である。くだんの宇都宮空襲があったあと、市街は焼け野原となり、この木も黒焦げの姿となってほとんどの枝を失い、もう枯れるか。。と思っていたら春に若芽が芽吹いてきたため市民の希望の光になった、とある。戦争も負け、周囲も焼け野原となった中で、どれだけ皆の希望になったことであろうか。
もう現在の地名は「旭町」ではなく「中央一丁目」であるが、この木の名前は現在でも「旭町の大いちょう」のままである。推定樹齢は400年。今後も頑張って春には芽吹いて欲しいものである。
Wikipedia「旭町の大いちょう」
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宇都宮その11

2023-03-19 21:08:44 | 日本国内旅行(宇都宮・2023)








そして暗くなってきて。到着したのが「カトリック松が峰教会」である。大谷石を使った建築としては国内でも最大級のものであるらしい。設計者はマックス・ヒンデルで、札幌のトラピスチヌ修道院などの設計も手掛けている。
Wikipedia「マックス・ヒンデル」
宇都宮カトリック教会は1888年に発足し、最初の聖堂は1910年に現在の敷地内に建てられた。その当時の松が峰一帯は草藪が広がり、北の隣は監獄であったのだという。創設者はカディヤック神父と言い、布教につとめ、また新しい聖堂建立の資金集めにも奔走した。この聖堂がたったのは1932年であるが、惜しくもカディヤック神父はその前、1930年に帰天されている。先に紹介した宇都宮空襲ではこの聖堂もダメージを受けたが、戦後はいち早く復興した。1998年には登録有形文化財に指定された。
もう周囲が暗くなってきてしまった。ヨーロッパの聖堂に比べるとだいぶこじんまりした感じではあるが、それでも信徒の人たちの息遣いを感じることが出来た。もう少し暗くなるとライトアップも始まるらしいが見ていない。
Wikipedia「カトリック松が峰教会」
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宇都宮その10

2023-03-19 20:25:24 | 日本国内旅行(宇都宮・2023)




駆け足で見終わって。その後東武線の宇都宮駅の方向に歩いてみる。ほどほど遠い。同じ「宇都宮駅」であるが、ずいぶん離れているようだ。
途中で発見したのが「二荒山神社」。栃木県にはここ宇都宮市と、日光に2つ二荒山神社の名を冠する神社があり、古くから地元の信仰を集めてきたらしい。確かに一見して由緒正しそうな神社である。時間がなかったので外から見ただけであるが。。
Wikipedia「宇都宮二荒山神社」
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宇都宮その9

2023-03-19 17:51:47 | 日本国内旅行(宇都宮・2023)




最後に付属の蔵の中も見学した。昔の台所用具が展示されていた。上から2枚目写真では釜や火吹き竹が見える。「まんが日本昔ばなし」に出てきそうだ。
さて、栄華を誇った篠原家であるが、こちらも戦争の災禍を免れることは出来なかった。1945年7月12日、B29爆撃機133機が参加して宇都宮空襲が行われた。市街の65%の地域が被災し、この屋敷も半分ほどは焼け落ちてしまった。残ったのは母屋と、蔵が3つだけ、「その6」の一番下写真の模型でいうなら、写真の右半分の部分は焼け落ちてしまったのである。醤油醸造蔵、米蔵などが消失したという。当時の篠原家当主による「炎天や 視野のおぼめく 煙りもの」「炎天や ものにつまづく 本通り」「炎天や 灰ふるいいる 釘拾い」という句が残されている。余談であるが、「風の谷のナウシカ」「千と千尋の神隠し」などで世界的に有名なアニメ監督、宮崎駿監督はこの宇都宮空襲の体験者である。疎開で小学校3年生まで宇都宮で過ごしており、この空襲はのちの彼の作品にも大きな影響を与えたのだという。
Wikipedia「宇都宮空襲」
残された建物は平成7年に宇都宮市の文化財となり、平成8年に市に寄贈された。修復工事を経て、平成9年から一般公開が始まり、国の重要文化財に指定されたのは平成12年(2000年)のことである。100年以上の歴史のある建築物が受け継がれるのは良いことである。次世代にも受け継いでいって欲しいところである。
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宇都宮その8

2023-03-19 01:08:32 | 日本国内旅行(宇都宮・2023)












そして2階にのぼる。階段は1番上の写真で「箱階段」と書かれていた。引き出しがついており、階段の下も収納スペースとして使用されたのであろう。2枚目以下が2階である。大広間は本当に広い。ここでもひな祭り人形が迎えてくれた。人形はどちらも「明治期のもの」と注釈がついている。確かに年季は入っているものの細工は見事であり、現代の我々からみても綺麗なものである。なお、二つのひな祭り人形の壇の間にある柱(上から4枚目写真の左側に写っている柱)が、1階から伸びているケヤキ材の大黒柱である。窓の脇に廊下があるが、窓ガラスは当時の製法で作ったものが今でも割れずに残っているようで、特に窓の下の方のガラスは現在の技術では再現できないものであるそうである。
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宇都宮その7

2023-03-19 00:26:57 | 日本国内旅行(宇都宮・2023)










さて、1階はそのまま通り抜けて中庭に出ることが可能である。1階部分を外から見たのが1番上写真で、白っぽい石が壁一面にはってあるのがお分かりいただけるであろうか?これが「大谷石(おおやいし)」である。宇都宮市の北部、大谷というところで採取される良質の石材で、かつて帝国ホテルの本館にも使用されたことで知られる(しかも、その直後に発生した関東大震災ではあまり被害がなく済んだという逸話もある)。あの宇都宮駅の餃子像もこの石で作られているのだ。この石を8cmの厚みに加工し、板状にして壁の外側に貼ったのである。鉄製の釘で外から止め、その釘の上、そして板の間の隙間を黒漆喰で塗り固めた。上から2枚目は近くで見た写真であるが、線状の黒い部分が板の隙間、点状の部分が釘の頭だった場所である。
また、母屋の隣にある土蔵では「大谷石を使った屋根瓦」が今でも残されている。上から3枚目写真、そして4枚目写真は2階から土蔵の屋根を見下ろしたところである。この大谷石の屋根瓦、重くなる上に定期的にふき替える必要があり、「大谷石で屋根をふくと家が傾く(2重の意味で)」と言われたそうである。5枚目写真は中庭である。
Wikipedia「大谷石」
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宇都宮その6

2023-03-19 00:07:31 | 日本国内旅行(宇都宮・2023)








入るとひな飾りが出迎えてくれた。この人形も当時のものだそうである。
篠原家が手掛けていた事業は醤油の醸造、そして肥料の販売である。入口の近くにあったのが上から2枚目写真の看板であるが、「完全人造肥料」という文字が見える。この時代にすでに化学肥料の販売を行っていたのである。調べてみるとイギリスで世界最初の化学肥料の製造が始まったのが1840年代であったので、篠原家の事業は世界的にみてもその当時で最先端の事業であったはずである。そして化学肥料は農産物の増産には間違いなく効果があり、農民たちはこぞって買い求めたのであろう。
当時の町の予算をも超えると言われた予算が投じられた屋敷、確かに高級な資材があちこちに使われているらしい。上から3枚目写真は大黒柱で、家の中央を支える柱であるが、角の部分が一辺45㎝の柱で、高さは11mを超えるケヤキ材である。このレベルのまっすぐな柱は現在ではそうそう見つからないらしい。この柱は2階の大広間の床柱も兼ねており、屋根を支えている。他の扉の木材なども木の節目の模様があるものを選んであったりして凝っている。一番下写真はこの屋敷が出来たころの模型である。
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宇都宮その5

2023-03-18 22:50:06 | 日本国内旅行(宇都宮・2023)






かなり駆け足であるが、ちょっと市内をめぐってみることにした。駅のすぐ近くにあったのが「旧篠原家住宅」という古い家。国指定の重要文化財であるらしい。篠原家は宇都宮で商売に成功、巨万の富を築き上げた豪商である。宇都宮駅から歩いてすぐの場所にあるので、ちょっと行ってみることにした。建設されたのは1895年(明治28年)、優に100年以上前のことである。建設にあたっては当時の宇都宮の町の予算をはるかに超える予算が投じられたらしい。
Wikipedia「旧篠原家住宅」
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