スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

横浜2023その12

2023-11-04 21:47:30 | 日本国内旅行(横浜2023)














そしてべーリック・ホールを出て。ここからがしばらく歩かなくてはならない。「山手イタリア山庭園」に向かうのである。途中に名門の進学校、フェリス女学院などを横に見つつ歩いていく。てくてくと歩いて行くと、山手イタリア山庭園に到達する。
ここに最後の2つの洋館が並んでいる。「外交官の家」(上から1・2枚目写真)と「ブラフ18番館」(3・4枚目写真)である。前者はもともと渋谷にあった外交官・内田定槌(うちださだつち)の家を移築したもので、1910年建築。アメリカ人建築家ジェームズ・ガーディナーの作である。後者はオーストラリアの貿易商バウデン氏の住宅として作成されたものをこれまた移築したもの。付近一帯はバラなどが植えられており、落ち着いた雰囲気であった。下から2枚目の写真は庭園にあったバラで、シェリー・メイディランドと言ってフランス産のバラである。この後は急坂を下って行って終わりとなった。最後の写真はJR石川町駅である。
Wikipedia「外交官の家」
Wikipedia「山手イタリア山庭園」

一日にも満たない旅行であったが楽しかった。たまには出かけてみるものである。
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横浜2023その11

2023-11-04 14:16:02 | 日本国内旅行(横浜2023)






























さて、べーリック・ホールに入ってみる。先のイギリス館と比べると圧倒的に華やかな雰囲気が漂う。
こちらは横浜の「山手洋館」の洋館群の中でも最大の規模を持つ建物である。イギリス人貿易商、バートラム・ロバート・ベリックの邸宅として1930年に建設されたものである。1952年にベリックが没した後は地元のインターナショナルスクールの寄宿舎として使用され、同校が閉校になったのちに横浜市の所有となった。設計は先の111番館と同じくJ.H.モーガンで、モーガンの代表作ともされる建物である。ベリックは文房具・機械・和紙・漆器などを取り扱う貿易会社「ベリック商会」を運営して事業の拡大にも成功した商人である。ただ戦争が近づくに伴って最後は日本を去り、カナダで没した。それでも彼が最初に来日したのは1898年であるというから、日本にいたのは40年以上ということになるだろうか。ずいぶん長い年月を過ごしたことになる。
建物は素晴らしい。皆様も一度ご覧になることをお勧めする。下から2枚目の写真は子供部屋であるが、この建物が建てられた時に実際にはベリックの息子は20歳であったのだという。ただ子供用の部屋として設計された部屋を持っているのはこの建物の大きな特徴であり、ここでは小さな子供がいたこととして再現したものである。何となく風見鶏の館を思い出してしまう。
建物は結婚式のために貸し出されることもあるのだという。この屋敷と結婚式はよく似合いそうである。
Wikipedia「べーリック・ホール」
神戸その13
神戸その8
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横浜2023その10

2023-11-04 13:36:37 | 日本国内旅行(横浜2023)
















ここから歩き始める。この付近に歴史のある建物が集中しているようで、一番上写真は「山手資料館」。1909年に中澤兼吉邸として横浜市内に建てられたものを移築したのだという。「和洋併設型住宅」というそうで、市内では唯一となるものだそうである(他に有名な和洋併設住宅としては、箱根の富士屋ホテルなどがあるそうである)。上から2枚目写真は横浜山手聖公会(1931年)で、この設計も先の111番館と同じJ.H.モーガンである。3枚目写真は電話ボックス。これも何とも風情のあるボックスである。4枚目写真は山手234番館。外国人向けのアパートで、関東大震災の後多くの外国人が国外に退避したが、1927年に外国人呼び戻しのための施策の1つとして建てられたものである。5~7枚目はエリスマン邸。スイス人貿易商のフリッツ・エリスマンの邸宅として1926年に建設されたもの。設計はアントニン・レーモンドで、同氏はのちに聖路加国際病院の設計にも関わっている。ただ上記の建物は全部外から見ただけである。それでも何とはなしに1930年代、戦前の横浜の雰囲気をどこかに感じられる。最後の1枚がべーリック・ホールの入り口である。ここは中に入ってみた。
Wikipedia「横浜山手聖公会」
Wikipedia「山手234番館」
Wikipedia「エリスマン邸」
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横浜2023その9

2023-11-04 12:46:44 | 日本国内旅行(横浜2023)










展望台のあとはまたバラ園の中を歩き回る。上から2枚目写真は「ゲーテローズ」といい、名前の通りドイツの作で、文豪ゲーテに捧げられたバラである。上から3枚目写真は大佛次郎記念館(大佛次郎は鎌倉をこよなく愛したことで知られるが、生まれと育ちは横浜である)であるが、時間がなく入っていない。一番下写真は山手111番館で、先のイギリス館と同様「山手洋館」の1つを構成する建物である。アメリカ人両替商J.E.ラフィン(J.E.Laffin)が1926年に息子のために建てた家で、風情のある家であるらしいのだが、こちらも外から眺めたのみとなった。設計者はJ.H.モーガンといい、日本の近代建築に大きな影響を与えた人物である。
Wikipedia「大佛次郎記念館」
Wikipedia「山手111番館」
Wikipedia「J・H・モーガン」
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横浜2023その8

2023-11-04 02:26:42 | 日本国内旅行(横浜2023)


展望台から撮った写真2枚を横に並べてみた。雰囲気が伝わるだろうか。
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横浜2023その7

2023-11-04 02:17:20 | 日本国内旅行(横浜2023)














イギリス館を出ると港の見える丘公園に向かう。洋館の前は庭園になっていて、各種のバラが植えられている。「イングリッシュローズの庭」と名付けられているのだそうな。上から2枚目は「ザ・メイフラワー」、3枚目は「ハーロウ・カー」だと書いてあった。少し歩くと展望台が見えてくる。ここから横浜港が一望できるのである。それにしてもネーミングがまさに「名は体を表す」という感じで良い公園である。1948年の極めて古いヒット曲に「港が見える丘」というのがあったのだとか。もともとは幕末のイギリス軍の駐屯地で、確かに港が一望できる丘というのは軍事的には重要な場所である。公園からはベイブリッジがみえる他、展示用の「ガンダム」の模型が見えたりもして楽しかった。GUNDAM FACTORY YOKOHAMAといい、ちゃんと動くらしい。
Wikipedia「港の見える丘公園」
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横浜2023その6

2023-11-04 00:21:31 | 日本国内旅行(横浜2023)
















さて「あかいくつ号」に乗って揺られることしばし。中華街を抜けてさらに東に行くと、バスは急坂を登り始める。「港の見える丘公園」に向かうのである。観光地図だけでは分からないが、この辺り一帯は丘になっていて、同公園に向かうことを考えている方は「あかいくつ号」などの利用を強くお勧めしたい。健脚な方であれば大丈夫かも知れないが。。バス停「港の見える丘公園」で降りると、すぐ近くに古めかしい洋館が見えてくる。「横浜市イギリス館」である。
もともとは1937年に建てられたイギリスの総領事館である。最初の開港、外国人居留が始まったのがこの付近だったこともあり、この丘には歴史のある洋館が数多く残されているのである。この建物は上海の設計チームが作ったとかで、丸い窓(上から6枚目写真)は船の船窓をモチーフにしたと言われている。玄関のすぐ脇には「GR Ⅵ 1937」(上から3枚目)と書かれたプレートが残されているが、これはジョージ6世の治世である1937年にこの建物が建てられたことを示しているのだそうな。その後に1969年に横浜市が接収し現在に至る。コンサートなどの開催に貸し出されることもあるらしい。
Wikipedia「横浜市イギリス館」
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横浜2023その5

2023-11-03 20:41:23 | 日本国内旅行(横浜2023)
















船を降りるとそこは横浜赤レンガ倉庫である。もともとは明治・大正期に倉庫として建造された倉庫で、日本で初めての荷役用エレベーター(アメリカ製)を備えたものだという。1989年に倉庫としての使命は終え、今はイベント施設などに使用されている。赤レンガ倉庫は小樽や福井県の敦賀市など、歴史ある他の港町にも残されており、今は他の用途に活用されているものが多い。この倉庫の裏手に「あかいくつ号」の乗り場があるので向かう。バス停からは上から5枚目写真のようにランドマークタワーのほか、観覧車なども良く見える。バスを待っていると何とリラックマペイントをされた「はとバス」が入ってきた。キイロイトリバスと書かれている。リラックマファンとしてはちょっと興奮する。さらにしばらく待つとやってきたのが一番下写真のあかいくつ号である。乗客の3割くらいが外国人観光客という印象であった。
Wikipedia「横浜赤レンガ倉庫」
森永 ザ・クレープ
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横浜2023その4

2023-11-03 14:59:52 | 日本国内旅行(横浜2023)




















さて、ようやく時間が来て。船に乗ることができた。船から見ると周囲には高級そうなタワーマンションが立ち並ぶ。上から2・3枚目は横浜市の中央卸売市場で、調べると10月には一般開放される日があったりもするらしい。さすが横浜で、あちこちに豪華客船がとまっていたりする。上から5枚目がベイブリッジ。上から8枚目写真は「スカイダック横浜」で、横浜市と港を回る水陸両用バスである。上から9枚目写真は北朝鮮の不審船を展示する海上保安庁の施設である。最後の写真は乗ってきた船を遠方から見たところ。
wikipedia「横浜市中央卸売市場」
Wikipedia「横浜ベイブリッジ」
Wikipedia「九州南西海域工作船事件」
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横浜2023その3

2023-11-03 14:29:33 | 日本国内旅行(横浜2023)
















切符は買ったが、次の便までの時間はほどほどある。時間をつぶすためにベイクォーターの屋上に向かう。屋上は小さな庭園になっているのである。時期的にハロウィンの飾り付けがされていた。植物も色々と植えられていて、先日アップしたシコンノボタン、そしてストレリチアなども花を咲かせていた。屋上からの周囲の景色も良かった。
シコンノボタン
ストレリチア2022
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