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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

京都その18

2016-11-04 00:40:56 | 日本国内旅行(京都・2016)
新幹線に乗って帰る。何のかんのと言って日本は便利である。お土産も慌てて買い集めることとなった。上写真は八ッ橋。京都の土産ならまずはこれであろう。
Wikipedia「八ツ橋」
ウィキペディアのデータを信じるなら、「京都土産としてお菓子を買う人の中で、45%は八ッ橋を買っている」らしく、京都の経済にとっても重要な品目であろう。下は唐辛子。地味であるが京都では名店が多いらしい。

今回はかなりバタバタしたが、次はもう少しゆっくり回れればと思う。


京都その17

2016-11-04 00:35:37 | 日本国内旅行(京都・2016)
日中であればそこそこ遠くまで見通せるらしいのだが、さすがにこの時間では遠景は無理である。それでも高所から見下ろす京都の街の風景は良かった。ただカメラはあまり夜の撮影には適応していなかったようで、写真はブレブレである。まともそうなものだけアップしておく。


京都その16

2016-11-04 00:24:50 | 日本国内旅行(京都・2016)
ラーメンを食べ終わってもあと少しだけ時間がある。最後に京都タワーに登ってみることとした。
京都その3
高さ131mなり。既に下階の土産物売り場などは客が少なくなってきていたが、それでも展望台となるとこの時間でも人の数は多い。外国人観光客の姿も見かけた。京都をアピールするためにか下写真のような人形も置かれていたが、もうちょいシックな展示の方が自分としては好きである。


京都その15

2016-11-02 00:37:28 | 日本国内旅行(京都・2016)
地下鉄を乗り継いでJR京都駅まで戻ってくる。新幹線の出発までまだ間があるので、夕食を何か食べねば。
行ってみたのが京都ラーメンの老舗、新福菜館である。醤油ベースのスープで、見ての通りかなり濃い色をしているが、飲んでみると案外に薄味である。京都ラーメンでは一番の老舗なのだそうな。美味かった。「師匠」に少しは自慢できる土産話ができたかな。
Wikipedia「京都ラーメン」
こってりラーメン
受け付けなくなって

京都その14

2016-11-01 23:54:38 | 日本国内旅行(京都・2016)
直進すると、巨大な水路が現れる。これが水路閣に分岐する前の琵琶湖疎水の本流である。大きな川か堀を見ている気分である。
下左写真のような巨大なモニュメントが立っていた。題して「巨大な輝き」という像らしい。また分岐の近くには、下右写真のように川底にレールが敷かれている場所も見られた。これはインクラインと言い、勾配のある水路を水に逆らって船を運ぶために建設されたものだそうな。近くには琵琶湖疎水記念館もあったが、残念ながらすでに閉館しており入れずに終わった。残念。
Wikipedia「琵琶湖疏水記念館」


京都その13

2016-11-01 23:45:02 | 日本国内旅行(京都・2016)
すっかり日が陰ってきてしまった。そろそろ駅に向かわなければならぬ。南禅寺の法堂と三門をもう一回見て戻る。
南禅寺の前の通りを直進する。左手に大きな庭園(下写真、右から2枚)が現れた。こちらは無鄰菴(むりんあん)と言い、山縣有朋が別荘とした地である。あとで知ったが、この中にある洋館の2階で、日露戦争直前に日本の首脳陣が集まって会議を開いたことで有名であった。詳細はウィキペディア参照。
Wikipedia「無鄰菴」


京都その12

2016-10-31 21:33:52 | 日本国内旅行(京都・2016)
疎水の下をくぐり抜けて坂を上っていくと、この水路閣の上を眺めることができる。上写真の通り、現役で使われている。はるばる琵琶湖からやってきた水が今でも流れ続けているのである。
京都の観光地で「哲学の道」という道がある。あの西田幾太郎などが散策し、思索をしていたという道であるが、この道の脇を流れる川はこの水路閣を通った琵琶湖疎水の分流の一つである。元はと言えばこの道は疎水の管理用道路であったのだ。
Wikipedia「哲学の道」


京都その11

2016-10-31 00:13:13 | 日本国内旅行(京都・2016)
この水路閣、何かというとはるばる琵琶湖から京都に水を引いてきた用水路の一つなのである。なんといっても歴史ある古刹の中を通すという事で、景観にも最大の注意が払われた。
Wikipedia「琵琶湖疎水」
着工は1885年。この時期、京都は明治維新の際の戦乱で荒れ果ててしまっており、新しく京都に水運を作り産業を育成することが望まれたのである。しかしながら当時日本は開国したばかり、まともな土木技師が簡単に見つかろうはずがない。まだ日本が学術も技術も「お雇い外国人」に頼りきりだったころの話である。
横須賀その3
白羽の矢が立ったのが当時工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業したばかりの田辺朔郎であった。当時の工部大学校は教授も外国人が多く、ほとんどの授業は英語で行われていたという。田辺はその5期生である。現代の我々からすれば「授業が英語!それは凄い!」と思うかもしれないが、現在でも開発途上国などでは、英語圏でないにも関わらず大学での専門分野の授業を英語で行ない、教科書も英語のテキストを使っている国は幾らでもあることをお忘れなく。田辺は1861年の生まれであり、計算すれば琵琶湖疎水の仕事を任せられたのは25歳の時となる。若い力が国を動かしていたのだ。
Wikipedia「田辺朔郎」
Wikipedia「工部大学校」

京都その10

2016-10-28 00:02:05 | 日本国内旅行(京都・2016)
法堂を出て右に曲がる。木の陰に隠れるようにして、古い煉瓦の橋が見えてくる。これがこの寺のもう一つの見どころ、水路閣である。近代日本の技術発展の一里塚である。既に寺は閉まっていても、ここにはまだ幾らか観光客が残っていた。地元の女子高校生らしき人が数名、腰かけておしゃべりに興じていたりして、これもまた良い。



京都その9

2016-10-24 23:59:00 | 日本国内旅行(京都・2016)
三門を抜けて奥に進むと、法堂という建物が現れる。ただ実はこちらは明治時代の作。一回火の不始末で燃えてしまったあと、新しく立て直したものらしい。本当の見どころはこのさらに奥にある「方丈」という建物で、こちらは1600年代の作であったようだが、時間を過ぎており入れず。ちなみに建物だけでなく、庭園も見どころらしいので、これから訪れる方はご覧のほどを。